第六十四話 新体制
「帰ってきた」
岩瀬忠震が俺の前に立った時、そう言った。
江戸を離れていた間に、少し顔が変わっていた。細くなっていたが——目の奥に、落ち着きがあった。地方での日々が、何かを整理させたのかもしれない。
「お帰りなさい」俺は言った。
「……あの時は助かった。本当にありがとう」岩瀬が言った。
「いいえ——」
「礼を言わせてくれ」岩瀬が遮った。「川路に聞いた。お前が動いてくれたから、俺は逮捕を免れた。それだけは、はっきりと言いたかった」
「生きてお帰りになってくれたことが、俺には一番大事なことです」
岩瀬が少し笑った。
「相変わらず、変わった言い方をする」
「これからが本番です」俺は言った。
「本番」岩瀬が頷いた。「そうだな。安政の大獄は終わった。しかし——幕府の問題は何も解決していない。外国との条約は続いている。尊王攘夷の声は高まっている。薩摩や長州が力をつけている」
「全部、その通りです」
「神田——お前、この先どうなるか分かるか」
「分かりません」俺は言った。「以前は、ある程度の予測ができていました。しかし今は——違う歴史になっています。俺の知識が使えない部分が増えています」
岩瀬が俺を見た。「ある程度の予測ができていた」という言葉に、聞こえた気がした。しかし問い詰めなかった。
「では」岩瀬が言った。「一緒に考えるしかないな」
「はい」
幕政の再編が始まっていた。
越前の松平慶永が幕政参与として力を持ち始めた。川路が記録整備の役割で幕府内に残った。一橋慶喜の発言力が少しずつ戻ってきた。
俺が作ってきた人脈が、ようやく動き始めた感触があった。
(改革派が主流に戻った。これが第一の目標の達成だ)
しかし喜んでいる時間はなかった。
「薩摩から使者が来た」川路が翌日に伝えてきた。「幕府の今後について、話がしたいということだ」
(薩摩。改変した幕府を、薩摩はどう評価しているか——史実の地図のない世界で、それを俺は読めない)
「慎重に対応してください」俺は川路に言った。「今の段階では、軽くは動かない方がいい」
「分かっている」川路が言った。「しかし——相手の出方を見る良い機会でもある」
「そうですね」
足場が固まりつつあった。しかし次の問題が、既に来ていた。
そして翌日、勝海舟から「そろそろ来い」という短い書状が届いた。
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




