第四十八話 一橋派の結集
越前藩邸は、静かな朝だった。
俺は川路の書簡を持って門を叩いた。「阿部老中の文書を届けに参りました」という名目で通される。松平慶永の名前は既に聞いていたが、会うのは初めてだった。
(幕末の四賢侯の一人。越前藩主、松平慶永。開明的な人物で、一橋派の中心となる)
面会は短かった。しかし慶永は文書を読みながら、俺に一つ言った。
「一橋様への支持は変わらない。阿部殿のご意志を無駄にしない」
それだけで十分だった。
一橋家の屋敷を訪ねたのは、その二日後だった。
慶喜は相変わらず、挨拶もなく「来たか」と言った。
「二度目です」俺は言った。
「座れ」
今度は座れと言われた。前回より、少し変わっているかもしれない。
「一橋派がまとまりつつある」慶喜が言った。「水戸・薩摩・越前——阿部殿の推薦状が届いた」
「はい」
「私が動けることがあれば言え」
俺は考えた。慶喜に何ができて、何ができないか。
「政治的な保証が必要です」俺は言った。「老中の中に、最低一人——慶喜様を明確に支持する者が必要です。今のところ、支持はあっても公式には声を上げていない」
「どういうことだ」
「南紀派の圧力が強い。表立って一橋派を支持すれば、自分が標的になる——そういう計算が働いています。それを変えるには、誰かが先に声を上げる必要があります」
「俺が直接話しかけるか」
「それは難しいと思います」俺は言った。「一橋家の当主が老中に直接接触すれば、政治的な干渉として見られます。間接的に、老中が動きやすい状況を作る方が——」
「お前はどこまで先が見えているのか」
慶喜が唐突に言った。
「見えているというより、考えているだけです」
「同じだろう」
「少し違います。見えていれば確信があります。考えているだけなら、間違える可能性がある」
慶喜が俺を見た。少し考えてから、口端を動かした。
「……面白いやつだ」
(この人はそういう返事をする)
「老中への根回しは、私と川路様と岩瀬殿が担います。慶喜様は表に出ないでください。今はまだ、その時ではありません」
「俺に待てと言うか」
「はい。しかし必ず出番があります」
慶喜が短く「分かった」と言った。
屋敷を出ながら、俺は一橋派の形が固まりつつある感覚を持っていた。越前・水戸・薩摩。老中への接触。阿部の推薦状。駒が揃い始めていた。
しかしその夜、川路から急ぎの知らせが来た。
「井伊直弼が動いた。大老候補として名前が上がり始めている」
俺は書状を握った。
(来た。最も恐れていたことが、現実になりつつある)
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




