第四十七話 後継者の指名
阿部から呼ばれたのは、珍しく晴れた午後だった。
川路・岩瀬と共に病室へ通された。三人が揃うのは久しぶりだった。
阿部は床の上に半身を起こしていた。顔は薄かったが、目はまだ鋭かった。
「三人とも来たか」
「はい」川路が答えた。
「座れ。長くは話せないが——聞いてほしいことがある」
三人は静かに座った。
「私がいなくなっても」阿部が言った。「一橋様を支持する方向で動いてほしい。これが私の意志だ」
誰も反論しなかった。
「川路、岩瀬——お前たちは幕府の制度を守る。その役割は変えるな」阿部が続けた。「勝は海軍を作る。それを続けさせろ。そして——」
阿部が俺を見た。
「神田、お前も聞いておけ。これが私の遺志だ」
「……はい」
「お前の役割は、三人の外側にいることだ。三人を動かし、守り、繋げる。表に出る必要はない。しかしいなければ機能しない——そういう場所にいてくれ」
(外側。補佐ではなく、枠を作る者)
不思議と、その言葉は腑に落ちた。
「一橋様への推薦状を書いた」阿部が言った。「老中宛の文書だ。私の名前と印がある。これを届けてくれ」
川路が受け取った。
「これは……」川路が文書を見た。
「公式文書だ。私が書ける最後の公文書になるかもしれない」阿部が静かに言った。「だから確実に届けてほしい」
「必ず」川路が言った。
「岩瀬」
「はい」
「外交は続けろ。ハリスとの条約は、お前でないと続かない。私がいなくなっても、外交の筋を曲げるな」
「……承知しました」岩瀬の声が、わずかに揺れた。
「神田」
「はい」
「三人を頼む」
あの夜と同じ言葉だった。しかし今は三人が揃っている。その重さが、全く違った。
「必ず」俺は言った。「阿部様の意志を無駄にしません」
阿部が目を閉じた。疲れた、という顔ではなかった。何かを手放した、という顔だった。
「……行っていい。ありがとう」
三人で部屋を出た。廊下で、川路が文書を胸に当てた。
「川路様、私が届ける」岩瀬が言った。「外交担当として、老中との接触に理由が作れます」
「頼む」川路が言った。
三人の間で、言葉は少なかった。しかしその沈黙の中に、共通の決意があった。
(阿部様の遺志を形にする。それが俺たちに残されたことだ)
しかしその夜、情報が届いた。
「南紀派が加速しています。彦根・紀州が連携して、複数の老中に圧力をかけています」
川路が俺に言った。
「どちらが先に動くか」俺は言った。
「政治のレースだ」川路が静かに言った。「先に動いた方が勝つ」
俺は推薦状のことを思った。今すぐ届ける必要があった。
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




