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幕府は、俺が守る――1853年7月8日、浦賀沖から始まる歴史改変  作者: ヲワ・おわり


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第四十三話 蘭方医の診立て

柳田先生は、年配の静かな人物だった。


 宮里仙蔵——澄の父——の伝手で、「阿部家の財政顧問が体調を崩した知人を見舞いに来た」という名目で屋敷に入った。書類を抱え、商人風の装いをした柳田が、阿部の居間へ通された。


 俺は外で待っていた。澄も来ていた。


「……緊張しますね」澄が小声で言った。


「そうですね」俺も同じくらいの声で返した。


 部屋の前で、二人は静かに診察が終わるのを待った。


 三十分ほどで柳田が出てきた。表情が読めない。しかし俺が「どうでしたか」と聞くより先に、彼が口を開いた。


「重篤ではありません」


 俺は小さく息を吐いた。


「しかし——」柳田が続けた。「慢性的な疲弊が全身に及んでいます。消化器系にも問題がある。放置すれば、半年、一年のうちに急激に悪化する可能性がある」


「治りますか」


「処置をすれば、遅らせることはできます」柳田が静かに言った。「根本は、無理をしないことです。しかしあのご様子では——」


「説得は難しい」俺は言った。「分かっています」


「一点だけお願いがあります」柳田が俺を見た。「食事の内容を変えてほしい。今は刺激が強すぎる。胃腸に負担をかけない、消化の良いものを中心にする。それだけでも、かなり違います」


(食事療法。現代でも基本だ。それでも確実に効く)


「川路様に伝えます。藩医を通して、食事の指示が出せるよう動いてもらいます」


「難しいですね、それも」柳田が眉を寄せた。


「でもやります」俺は言った。


 柳田が少し頷いてから、もう一つ言った。


「あの方、随分と長く無理をされてきた。……体だけの問題じゃない。心が先に疲れている。それがいちばん——」


 柳田はそこで言葉を切った。医者として言えることの限界を知っているように。


「分かりました。ありがとうございます」


 柳田が帰った後、澄が俺の横に来た。


「この件は、私と父だけが知っています。安心してください」


「……ありがとうございます」


「感謝しないでください」澄が静かに言った。「私が動きたいと思ったから動いただけです」


 俺は澄を見た。


(この人はいつも、そういう言い方をする。「巻き込まれた」のではなく、「自分で選んだ」という言い方を)


「澄殿、なぜここまで——」


「理由は分かりません」澄が少し目を伏せた。「ただ……あなたが動いている理由が本物だと、そう感じているから」


 短い沈黙があった。


「帳簿の仕事を始めた時、私はただの数字として動いていました」澄が続けた。「でも今は——数字の向こうにいる人が見えている。阿部様が幕府に残してきたものが、何なのか。それが少しだけ分かる気がします」


 俺はしばらく何も言えなかった。


(この人の言葉は、正確だ。阿部が残してきたものの重さを、澄は数字の中から読んでいる)


「川路に報告します」俺はやっと言った。「食事の件を動かせるよう、今日中に」


「はい」澄が頷いた。


 その夜遅く、川路から一言が来た。


「阿部様から直接、神田に会いたいという話が出た。一度だけ、面会できる」


 俺は書状を読みながら、静かに目を閉じた。


(……今が最後かもしれない)


 覚悟が、静かに固まっていった。

続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。

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