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幕府は、俺が守る――1853年7月8日、浦賀沖から始まる歴史改変  作者: ヲワ・おわり


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第四十一話 蘭方医への道

「澄殿、少し聞いてもいいですか」


 宮里澄が帳簿を閉じた時、俺は声をかけた。


 いつもの部屋だった。財政の書類が積まれた小さな一室。澄は少し目を上げて俺を見た。


「何でしょう」


「蘭方医を——西洋式の医術を学んだ医者を、ご存知ないですか。幕府の方の治療に関わることです」


 澄がしばらく俺を見た。表情が変わらない。


「父の知り合いに、そういった方が……」彼女は慎重に言葉を選んだ。「誰のことですか」


「直接は言えませんが、大事な方のことです」


 静かな沈黙があった。外で誰かが廊下を歩く音がした。


「……阿部老中のことですか」


 俺は一瞬、止まった。


「なぜそれが——」


「帳簿から推測しました」澄が言った。「ここ数週間、ある部署の人員配置が変わっています。老中の執務補佐に集中している。倒れた後の体制を誰かが準備している——そういう動きに見えます」


(この人の目は、数字の裏にある動きを読む)


 俺は澄を見た。


「……そうです。阿部様のことです」


「分かりました」澄がすぐに言った。「父に聞いてみます」


「巻き込みたくないのですが」


「もう巻き込まれています」澄が静かに、しかしはっきりと言った。「帳簿を読み始めた時から、私はこの仕事の深い部分に入っています。今さら表面だけ見ていることはできません」


 その言葉に、何かが解けた気がした。


「……ありがとうございます」


「感謝はまだ早いです。父が動けるかどうか、分かりません」澄が立ち上がった。「ただ——父はかつて、長崎で蘭方を学んだ医者と親しくしていました。今もその繋がりが生きているかもしれない」


「どれくらいで分かりますか」


「三日。早ければ二日です」


 俺は頷いた。


(二日。十分ではないが、動ける。阿部の容態が今すぐ急変するという状況ではない——しかし、時間は限られている)


「澄殿」俺は言った。「一つだけ伝えます。阿部様は過労と、長年の無理が体に溜まっています。蘭方医に診ていただくとしたら、伝えてほしいのは——安静、栄養、そしてストレスの軽減の三つです。難しい話ではありません」


「ストレス」澄が繰り返した。「幕府の老中に、それができると思いますか」


「だから、せめて医者の言葉として届けたいんです」


 澄が少し考えてから、頷いた。


「分かりました。父に書状を出します」


 部屋を出ながら、俺は澄が言った言葉を繰り返した。


(「もう巻き込まれています」——そうだ。この人はとっくに、この渦の中にいる。俺が選んだのではない。彼女自身が選んで、ここにいる)


 申し訳なさと、感謝と、その先にある何かが、俺の中でゆっくり混ざった。


 翌日、川路から意外な知らせが来た。


「阿部様の病室への私的接触を控えよ、という通達が役所から出た」


「……誰が」


「非公式だ。だから誰からかは分からない」川路が静かに言った。「しかし、誰かが動いた」


(守旧派だ。阿部が弱っている今が、奴らにとって好機だ)


 俺の中で冷たいものが走った。


「川路様、これは阿部様の療養を遅らせるための動きです。阿部様が動けない間に——」


「分かっている」川路が言った。「一つずつ、崩さないようにしながら対処しよう」


 蘭方医への道と、内部の圧力。二つが同時に動いていた。

続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。

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