第二十七話 出島の情報
出島への訪問には、正式な手続きが必要だった。
長崎奉行所を通じて申請し、一日の訪問許可をもらった。浅羽が「公式な申請が必要では……」と心配したが、「川路様の非公式な許可は取ってある」と答えた。
出島は思ったより小さかった。扇形の土地に、オランダ商館の建物が整然と並んでいる。赤い屋根。白い壁。江戸の建物とは明らかに違う様式だ。
案内された部屋で、通詞のヘンドリックという男が待っていた。
五十代のオランダ人だ。日本語が達者で、俺と浅羽が入るなり流暢な日本語で「ようこそいらっしゃいました」と言った。
「長崎のオランダ商館の方に、欧州の情勢を定期的に教えていただきたいのです」俺は切り出した。
ヘンドリックが目を細めた。「何かと引き換えに?」
「日本の情勢情報と、多少の謝礼を」
「日本の情勢情報というのは」
「主に政治の動向です。幕府の外交方針、諸藩の動き——長崎の商館にも有用な情報のはずです」
ヘンドリックが少し考えた。「具体的にどんな欧州情報が欲しいのですか」
「三つです。一つ目、英国の対中国政策の変化。二つ目、ロシアの極東進出の状況。三つ目、西洋列強のアジア植民地政策の全体的な方向性」
「……それは政治的に敏感な情報もありますが」
「分かっています。詳細な軍事機密は求めません。新聞や公開された情報の範囲で構いません」
ヘンドリックが腕を組んだ。しばらく沈黙があった。
「悪い話ではない」ヘンドリックが言った。「幕府の動向は我々も知りたい。合意しましょう」
「ありがとうございます」
「ただし——この取り決めは非公式なものです。商館長には報告しますが、公式な文書にはしません」
「それで構いません」
握手はしなかった。この時代の日本式に、互いに頭を下げた。
宿に戻ると、江戸から急使が届いていた。
川路からの書状だった。短い。
「ハリスという米国領事が下田に到着した(1856年7月)。交渉を求めてきている。急いで帰れ」
俺は書状を手に持ったまま、静かに「来た」と思った。
(ハリスが下田に来た。これが次の関門だ)
タウンゼント・ハリス。米国初代駐日総領事。ペリーより遥かに手強い外交官だ。ペリーが軍人だったのに対し、ハリスは純粋な外交のプロだ。彼が求めてくる条約は——史実では日本に決定的な不平等条件をもたらした。
(急がなければ)
「浅羽さん、出発の準備を。明日の朝には長崎を発ちます」
浅羽が「分かりました」と動き始めた。
俺は窓から出島の方角を見た。
今できることはやった。情報ルートの種を蒔いた。伝習所を確認した。次は江戸へ戻り、ハリス交渉の準備を始めなければならない。
勝への伝言を書いた。「できるだけ早く江戸に戻れ。本番が来る」と。
長崎の夜は、どこか甘い匂いがした。異国の香りが、海風に混じっている。俺は明日の朝から急いで帰る旅が始まることを、静かに準備した。
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




