第二十五話 長崎へ
旅は長かった。
江戸から長崎まで、陸路と海路を組み合わせて十日以上かかる。同行は浅羽と、若い下役が二人だった。
江戸を出てしばらくは、参勤交代の行列とすれ違うことが多かった。
大名の行列だ。人数が多い。武士が整然と並んで、荷物を持ち、槍を立てて進んでいる。
(これが毎年、全国の藩から行われている。往復のコストは膨大だ)
参勤交代制度。藩主が一年おきに江戸と国元を行き来する。江戸での滞在費、往復の旅費、家臣団の維持費——これが諸藩の財政を慢性的に圧迫している。
農村を通ると、人の表情が変わった。
江戸の賑わいはない。田畑の間を歩く農民の顔が、疲れている。子供が瘦せている宿場もある。
「長崎は変わっています」浅羽が言った。「外国人がいますから」
「そうですね」
「神田殿は外国のことを調べていたと聞きますが、実物を見るのは初めてですか」
「ええ」
俺は現代の知識を持っている。写真や映像で出島の映像を見たことはある。しかしそれは二百年後の遺跡の映像で、今の出島ではない。
(生きているオランダ人を見るのは初めてだ)
下関を過ぎた辺りで、街道沿いの宿場に泊まった夜。隣の部屋から大きな声が聞こえた。
「異人めを打ち払え! 何が通商だ、何が開国だ!」
浅羽が顔をしかめた。「長州の方のようですね」
「そうですか」
「あのあたりは特に攘夷論が強い。黒船の件以来、余計に」
(長州藩。幕末最大の攘夷運動の発信地。後に下関砲撃事件を起こし、薩英戦争と並んで外国と直接交戦することになる)
俺は静かに飯を食べながら、「この勢いは止まらない。幕府が変わらなければ、この怒りは幕府へ向かう」と考えていた。
船に乗った日、海が広かった。
瀬戸内の波は穏やかだ。空が青い。
俺は甲板に立って水面を見た。
(この国は美しい。それは変わらない。でも今、この美しい国が大きな圧力にさらされている)
長崎が近づいた時、浅羽が「あそこです」と言った。
入り江の先に、出島が見える。扇形の人工島。その向こうに、洋風建築の屋根が見えた。
(ここが唯一の窓口だったのか——百五十年以上、日本はあそこだけで外国と繋がっていた)
その窓口を、ペリーが叩き壊した。
「いよいよですね」浅羽が言った。
「ええ」俺は頷いた。
長崎の宿に落ち着いて、俺は翌日の予定を確認した。長崎海軍伝習所の訪問。勝が来ているはずだ。
(勝海舟は今頃、あそこで何をしているだろう)
灯台の光が窓から差している。海の向こうに、出島がある。江戸では感じない何かが、ここには漂っていた。
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




