第二十三話 宮里澄との出会い
勘定奉行所での財政議論の場に、俺は川路の紹介で出席した。
数人の官僚が集まって、幕府財政の課題について話し合う非公式な場だった。そこに宮里仙蔵がいた。
五十代の小柄な男だ。眼鏡をかけて帳簿を膝に乗せている。声は小さく、動きも静かだ。しかし指が帳簿の数字をなぞる速さが尋常ではない。
「宮里殿、この貸借の件ですが」
「ちょっとお待ちを」仙蔵がページを繰った。「ここです。この数字と、先月の数字を比べていただければ」
話し合いが進む中で、仙蔵が「娘が帳簿管理を手伝っております」と言った。
部屋の隅に、一人の若い女性が控えていた。
静かに座っている。目を伏せて、手元に帳簿を開いたまま。顔立ちは整っているが、主張する感じがない。ただ——何かを見ている目をしていた。
「宮里澄でございます」
仙蔵が紹介した。
「ご質問があればお答えします」
澄が静かに言った。俺と目が合った。一瞬だけ。
俺は一つ確認したいことがあったので、問いかけた。
「先ほどの試算書ですが、前提条件は何ですか。利率の計算根拠を教えてください」
澄が顔を上げた。
「嘉永二年以降の幕府の借入実績を基にした平均値です。三年、五年、十年の三つのパターンで計算しております。ご覧の数字は五年の場合です」
俺は一瞬、息が止まった。
(即座に答えた。数字を全部頭に入れている)
「では、もし利率が変動した場合のシミュレーションは」
「手元にあります」
澄が帳簿のページを素早くめくった。「こちらです。三パターン、ご参照ください」
数字は正確だった。計算も正しい。
議論が別の話題に移った。
その間、俺はちらちらと澄を観察した。父の横で控えている。余計な発言はしない。しかし時々、議論の流れを静かに聞いている目が——「何かを探っている」ような目をしていた。
議論が終わりかけた時、澄が俺のそばを通った。
すれ違いざまに、小声で言った。
「……ここの数字、少し変です」
帳簿の一角を指でそっと示した。
「失礼しました」
すぐに目を伏せて、元の場所に戻った。
俺は心の中で「変?」と繰り返した。
帳簿の数字が変。その一言が頭に焼き付いた。
(何が変なのか。聞きたい。でも今日は時間がなかった)
宿へ帰る道、俺は澄のことを考えた。
二十歳前後。父の仕事を手伝い、この時代の女性には珍しい財務知識を持っている。口数が少ない。しかし信頼できる相手には率直に話す——そんな気配がした。
(またあの人に会う機会を作りたい)
そう思った自分が、少し意外だった。
俺は人脈を「使えるかどうか」という目で見がちだ。しかしあの一言「数字が変です」には、別の何かがあった。
純粋に「おかしいものがある」という、誠実な観察の言葉だったと思う。
「帳簿が変だ」という澄の言葉が、俺の頭から離れなかった。
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




