第二十一話 役職を得る
川路が俺を呼んだのは、阿部との面会から五日後だった。
「座れ」
川路の表情が、いつもより少し改まっていた。
「阿部様のご意向を受けて、お前に仕事を頼むことになった」
「……はい」
「目付の調査役として働いてほしい」川路が言った。「公式な辞令ではない。しかし実質的に、江戸城の内側に出入りする立場を与える」
俺はすぐには答えなかった。
(調査役。無役の旗本から、幕府の機構の内側へ——)
「……承りました」
川路が短く頷いた。「仕事の内容は国内外の情報収集・分析・報告書の作成だ。川路の管下として動く。岩瀬・阿部様にも報告する機会がある」
「分かりました」
「ただし」川路が言った。「正規の辞令がないということは、失敗すれば責任の所在が曖昧になる。つまり——表向きは俺の個人的な使い走りだ。異議があるか」
「ありません」
「なければよい」
川路が立ち上がった。「来週から出仕しろ。場所は後で知らせる」
出仕初日、役所に入ると、先輩役人たちの視線が来た。
あからさまではない。ちらちらと、横目で見る感じだ。
(「阿部老中の肝いりらしい」「でも無役の旗本が急に……」という空気が充満している)
俺は最初から「低姿勢で行く」と決めていた。
「神田伊織と申します。不慣れなことが多く、皆様にご迷惑をおかけすることも多いかと思います。よろしくお願いします」
深く頭を下げた。
三十代の中堅官僚・山田という男が近づいてきた。
「神田殿は阿部様のご推薦と聞きますが、何か特別なご経歴が?」
「川路様のお声がけがきっかけです。経歴らしい経歴はありません」
「……はあ」山田が少し気の抜けた顔をした。「そうですか。ならば、まず報告書の書き方から覚えていただくことになりますが」
「よろしくお願いします」
山田が「ご謙遜を」と言いながら仕事の説明を始めた。
(この人は悪い人じゃない。ただ「なぜ急に旗本が入ってきたのか」という違和感があるだけだ。実績で黙らせるしかない)
午後、仕事の書類を読んでいると、山田がまた来た。
「神田殿は外国の件に詳しいと聞きましたが」
「少し」
「ならば——勘定奉行所から回ってきた書状を読んでみてほしい。解読できますか、これ」
書状を見ると、オランダ語で何か書いてある。部分的な翻訳が添えられていたが、不完全だった。
「……読んでみます」
俺は辞書を借り、一時間かけて読んだ。
「英国が中国で新たな港湾施設の建設を開始したという情報です。これは長崎のオランダ商館からの報告で——」
山田が目を丸くした。
「……読めるのですか」
「下手ですが」
「いや、それだけ読めれば十分です。実はこの書状を半月放置していたのですが……」
俺は「そうでしたか」と穏やかに言った。
(まず仕事の質で示す。それしかない)
夕方、帰り際に「また明日もよろしく」と山田が言ってきた。昨日より少し柔らかい声だった。
(居場所ができてきた——ほんの少しだが)
役所を出ながら、俺は「次に何をすべきか」を整理した。
まず幕府財政の実態を知ることだ。改革の前に現状を知らなければ、何も動かせない。財政の数字が見えれば、「どこを変えるべきか」も明確になる。
そのための資料が、この役所にはあるはずだ。
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




