第十五話 交渉の内側
本作は全70話完結予定です。
毎日5話ずつ、07:10 / 12:10 / 18:10 / 20:10 / 22:10 に更新予定です。
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「今日はペリーが開港場の話を出してきた」
岩瀬が俺の部屋に来たのは、交渉から帰った夜だった。
外は暗い。行灯の光の下で、岩瀬が疲れた顔をして座る。
「下田と箱館の二港を求めてきた。それに、漂流船の救助と石炭・食料・水の補給を加えると」
「予測通りです」
「分かっていた。だが実際に言われると、腹に来るな」
岩瀬が苦い顔で笑った。
「箱館は受け入れていいと思います」俺は言った。「あそこは本格的な貿易港にはなりにくい。ただし」
「ただし?」
「開港規模に条件をつける。貿易品目を制限する。管理の権限を幕府が持つ。これを条文に入れるように粘ってください」
「下田は」
「下田は難しい。あそこは江戸に近い。条件をつけにくいが——箱館の条件で先例を作れば、下田にも適用できます」
岩瀬が書き込みをする。
「最恵国待遇条項はどうなっている」俺は聞いた。
「ペリーが強く求めてきた。外せないと言っている」
「双務的にする案は持ち出しましたか」
「持ち出した」岩瀬がため息をついた。「受け入れられなかった。『米国の法では困難』と言って退けられた」
「……やはり」
「お前が予測していた通りだ」
「でも記録に残りましたね。日本が要求したという」
「ああ。それが今できる限界だ」岩瀬が顔を上げた。「神田、正直に言う。俺は今、いくつかのことで戦っているが——その全てに勝てるとは思っていない」
「分かっています」俺は言った。「全部を変えることはできない。でも一つは変えられる」
「一つとは」
「今回の交渉で最優先すべきことを絞り込みましょう。最恵国待遇の双務化は今回は無理でも、開港場の管理条件なら入れられる可能性がある。そちらに力を集中してください」
岩瀬が考えた。
「管理条件……具体的には」
「幕府の役人が開港地に常駐すること。外国人の行動範囲を制限する規定を条文に入れること。これが入れば、後々の管理がやりやすくなります」
「それはやってみる価値がある」
二人はしばらく議論した。岩瀬が言い、俺が考える。俺が言い、岩瀬が修正する。交渉担当者の岩瀬と、外の視点を持つ俺——違う角度から同じ問題を見ていた。
深夜になって岩瀬が立ち上がった。
「神田」
「はい」
「お前はどこで外国のことをそこまで勉強したのか」
「読書と人脈です」
「そう言うが——お前の知識は本から来たものではない」
俺は答えなかった。
「お前の読書は、私が読んだどの本とも違う何かがある。まるで実際に西洋で生きた者のような知識だ」
「……買い被りです」
「そうは思わないが——まあいい」岩瀬が門に向かいながら言った。「また三日後に来る。交渉の最終局面が近づいている」
俺は見送りながら、「この人を守る」という感情を改めて確認した。
史実では、岩瀬忠震は安政の大獄で失脚する。五年後のことだ。しかしそれを変えるためには、今ここで一つずつ信頼を積み上げておく必要がある。
行灯の火が揺れた。外は静かだった。
交渉の最終局面が迫っている。俺は「どこまで変えられるか」の結果を、ただ待つしかなかった。
続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。




