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幕府は、俺が守る――1853年7月8日、浦賀沖から始まる歴史改変  作者: ヲワ・おわり


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第十二話 岩瀬忠震

本作は全70話完結予定です。

毎日5話ずつ、07:10 / 12:10 / 18:10 / 20:10 / 22:10 に更新予定です。

面白かったら評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです。

岩瀬忠震は、川路の役所の一室で待っていた。


 三十五歳。細身で、顔の輪郭が鋭い。目が——何かを分解しようとするような目だ。


「神田伊織か」


 俺が入るなり、岩瀬がそう言った。挨拶もなかった。


「はい」


「川路殿から聞いている。座れ」


 俺は座った。岩瀬が正面から俺を見る。川路の測るような目とは違う。岩瀬の目は「使えるかどうかを一秒で判断しようとしている」目だ。


「最恵国待遇の件を話してくれ。川路殿が『直接聞いた方がいい』と言っていた」


 俺はそのまま説明した。川路に話した内容を繰り返す形だ。


 ところが岩瀬が途中で遮った。


「それは私も気になっていた」


 俺は少し驚いた。


「……知っていたのですか」


「概念は知っている。ただし、それが条約文にどう入るかは、正確には把握していなかった。続けてくれ」


 俺は続けた。最恵国待遇の連鎖構造、関税自主権の問題、開港場のリスク。


 岩瀬は聞きながら、時々手元の書状に何かを書き込んでいた。


「では」岩瀬が書状から顔を上げた。「それを外す交渉は、どうすればよい」


 そこが問いだった。


 俺は少し考えた。


「完全に外すことは、おそらく難しいです。ペリーは強硬ですし、米国には他の列強に対する牽制の意味もある。ただ——」


「ただ?」


「双務的にする、という交渉は試みることができます。『米国が日本に最恵国待遇を与えるなら、日本も米国に同条件を与える』という形にすれば、一方的な不均衡ではなくなります」


 岩瀬がわずかに目を細めた。


「……それを交渉で持ち出せば、ペリーは拒否するか」


「拒否すると思います。しかし記録に残ります。日本が要求したという記録が」


「それが後で使えると」


「はい。将来の条約改正交渉で、日本側が主張できる根拠になります」


 岩瀬が腕を組んだ。


 長い間があった。


「神田」岩瀬が言った。


「はい」


「お前はどこで外国のことをそこまで勉強したのか」


 来た、と思った。


「読書と人脈です」


「どんな読書だ」


「長崎の通詞を通じて入手した洋書の翻訳書です。それと、オランダ人商館員と接触した者から聞いた話を集めました」


 岩瀬が黙った。


「……お前の読書は、私が読んだどの本とも違う何かがある」


「どういう意味ですか」


「本から来た知識ではなく、実際に経験した者の知識のように見える」


 俺は答えなかった。


 岩瀬が「まあいい」と言った。


「一つ聞くが——もし幕府が変わらなければ、この国はどうなると思う。率直に言ってくれ」


 俺は迷わず言った。


「植民地になります。時間の問題です」


 岩瀬の顔が少し動いた。


「……そこまで言うか」


「言います。アジアですでに起きていることです。中国が今、アヘン戦争の結果として国土の一部を西洋列強に割譲しています。それは幕府も知っているはずです」


「知っている」


「では、それが日本に起きる可能性を、幕府は本気で考えているでしょうか」


 岩瀬は答えなかった。


「もし幕府が変わらなければ、それを変える機会はない」岩瀬が静かに言った。


「変わります」俺は言い切った。「変えます」


 岩瀬が驚いたような顔をした。一瞬だけ。


「……大きな口だな」


「根拠があります」


「聞かせてほしいところだが」岩瀬が立ち上がった。「今日はここまでだ。続きはまた来い」


 俺は頭を下げた。


 岩瀬が部屋を出る前に振り返った。「川路殿に言っておく。この神田という男、使えますと」


 俺の中で、何かが温かくなった。


(岩瀬が川路に「使える」と言った。川路は既に阿部への書状を準備してくれている。あとは阿部様が実際に動くまで——俺には待つことしかできない)


 この人を守る。それが今の俺の役割の一つだと、改めて確信した。

続きも本日更新予定です。よろしければ次話もお付き合いください。

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