日向(ひむかい)雅哉(まさや)
日向雅哉の日常は普通――ではない。
それを証明するかのように、朝の通学時間――雅哉は普通は赴かないであろう体育館裏にいた。しかも、その周りには10人近いシカバネ――いや、ただのシカバネのようだがれっきとして生きている学生――が横たわっていた。そのそばには、いくつか武器と思しきバットや木材も転がっている。
「う……?」
「……もういいですか、先輩?」
雅哉は呻き声をあげた一人の学生の正面に立つと、丁寧な口調で目の前の生徒を嘲った。
その嘲りには幾ばくかの呆れのようなものも含まれていたが、冷たい地面に横たわる先輩と呼ばれた学生は雅哉と同じ服装をしていた――彼は雅哉とは違ってずいぶんと服を乱してきているが――その制服も今や土にまみれている。
「…………ふん」
改めて睥睨した不良たちの服装は様々だった。緑のブレザーの生徒もいれば、学ランの生徒もいた。私服の生徒も何人もいた。
そのなかで雅哉と同じ制服を着ているのは、たった3人だ。割合としても決して多くない。ほとんどが他行からの応援というわけだろう――そう考えると、ずいぶんと自分は嫌われたものだと苦い笑いが浮かぶ。
「っ!」
その笑い――不機嫌を隠すことをしなかった自虐的な笑い――をどうとらえたのか、想像に難くない。
そもそも、10倍近い人数差をつけてまで雅哉をだまし討ちし、それでもなお負けたのだ――完璧に、完全に。
表情一つ歪ませることもできなかった。出来たのは、彼の機嫌を損ねることだけだ。
先輩と呼ばれた生徒は表情をこわばらせ、逃げるように顔を俯かせ、じりじりと這って後退する。それを雅哉は感慨なく見つめた。
「……逃げるくらいなら、もう来ないで下さいよ? 俺もあまり暇じゃないんで」
「暇じゃない……だと? 初めに喧嘩を売ってきたのはてめえだろ!」
一時、恐怖を忘れ、先輩は激昂する。
激昂により高ぶった精神は、しかし一瞬で急速に冷めてしまった。
「――っらぁ!」
「!」
「お?」
突如、雅哉の背後に影が落ちる。
倒した――と思っていた私服姿の学生が一人、起き上がって木材を大きく振りかぶっていた。
「…………」
今からでは避けられないな――冷静に判断した雅哉は、黙って腕を上げて軌道を遮る。一瞬遅れて、木材は雅哉の腕をしたたかに打ち据えた。
「……ふっ!」
「ぐぁ」
そのまま、雅哉は痛みに身をすくめることなく、力を込めたこぶしをがら空きのみぞおちに叩き込み、ひざを折ったところにさらに蹴りをたたきこんでとどめを刺す。
「……まだ戦えたんだな」
無感動にそうつぶやいた後、視線を回して先輩に向けた。
「っ」
まるで汚らわしい虫を見るような――そう、ごみに群がるコバエやギンバエを見るような――冷めた目つきで、雅哉は瞳を覗く。
そして、いうだけ無駄だろうが――というような口調で、肩から力を抜きながら口を開いた。
「あんたら3人に手を出したのは、あんたらが人を脅して金を奪っていたからでしょうが」
感慨なく告げられた正当な理由に、てめえにゃ関係ねえ! という言葉がのど奥まで逆流し――そしてしぼんだ。
雅哉はすべてわかったうえで、言っている。激昂するわけでもなく、かすかな怒り――ちっぽけな義侠心――を抑えていないだけで手を出した。そう、まるで虫を払うかのように手を出してきたのだ。
「……っ」
――滑稽だ。
自分が正しくないことは自覚している。その自分がこれだけ怒っているのに――
正しいことを、正しい倫理観で、少し乱暴ながらも正しく行っている雅哉は――努めることなく冷静に、飾ることなく淡泊に、
「ま、どうでもいいですけどね」
ただ路上に石が落ちていた程度の煩わしさで動いて――まったくと言っていいほど怒りもしていない。
「くそっ」
舌打ちをする先輩に、これ以上言うことはないとばかりに雅哉はその場を後にする。
「そろそろ授業なんで行きますね。先輩も、悪いことしないでまっとうに生きてくださいよ」
「……ああ、気が向いたらな」
投げやりに言い放つ先輩に、雅哉は小さく笑った。それは嘲りとかではなく、ごくごく些細な満足感からくるものだ。義理や嘘でも、模範的な答えが返ってきたことが喜ばしかったのだ。
「では」
雅哉の言葉に、皮肉はない。
嫌いなものは嫌い。好きなものは好き。そのどちらかが、必ず少なからず込められる。
先ほどの言葉は、きちんと向かい合ってではなかったかもしれないけれど、確かに気遣いから出た優しさだった。
去っていく後ろ姿は、特に腕を痛がるそぶりもなく小さくなって、やがて消えた。
それを確かめると、痛む体を起こして壁に背をつく。
「……っ。さて、回復したら、こいつら起こして、どっかいくかな」
また、いつか。気が向いた時に、雅哉の言葉を覚えていたなら授業に出てみようか。
――まぁたぶん、あいつはその言葉を、その時にはほとんど忘れているだろうけど。
「……ふぅ」
息を吐いて彼が休んでいる体育館裏には、去って行った一人の学生が残した物言わぬ生き物が散乱していた。




