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第7話 新鎌ヶ谷で起こしてください

 世の中には、他人に「起こしてください」と頼んでくる人間がいる。


 みゆきはそれを、新京成線で知った。


 その夜もみゆきがいつもの二両編成に揺られていると、隣に二十代後半くらいの女が、どすんと座った。ほんのりお酒のにおいがした。


 みゆきはこの女を知っている。前にも何度か、同じことがあった。


 女は座るなり、みゆきのほうへ顔を寄せて、いつものセリフを言った。


「すみません。わたしのこと、新鎌ヶ谷で起こしてもらえませんか」


  ◇


 初めて頼まれたとき、みゆきは意味がわからなかった。


 聞けば彼女は、酔うとどうしても寝てしまうのだという。降りる駅は新鎌ヶ谷。だが必ず寝過ごす。気づくと知らない終点にいる。だから起こしてほしい。隣の、見ず知らずの人に。


 初対面の女に、自分の眠りの管理を丸ごと外注してくる。その胆力に、みゆきは感心すらした。ふつう、寝過ごしたくなければ寝なければいい。だが彼女は、寝ることを前提にしている。寝るのはもう決定事項なのだ。あとは誰が起こすか、それだけの問題だった。


 そしてなぜか、その係にあたしが任命されている。


  ◇


 しかも回を重ねるごとに、要求は増えていた。


 一回目は「起こしてください」だけだった。二回目は「起こすのと、あと荷物も見ててもらえますか」になった。三回目には「起こして、荷物見て、わたしが降りるまで変な人が来ないか見張ってください」になっていた。目覚まし時計がいつのまにか、荷物番とボディガードを兼任していた。


 そして今夜。女は寝る前に、新しい一項目を追加した。


「あと……わたしが寝てる間に、もしスマホ触ろうとしたら、止めてください。元彼にLINEしちゃうんで」


 みゆきの手が止まった。


 元彼に、酔ってLINE。みゆきはそれを取り締まる立場に任命された。あたしには岡崎がいる。別れたのか別れてないのか、わからない男が。あたしだって、夜中に変なLINEをしないとは言い切れない。なのに、人のは止める。世の中はよくできている。


 みゆきは引き受けた。


「……わかりました。寝てください」


 女は安心したように、にこっと笑った。そして言い終わるか言い終わらないかのうちに、すとん、と寝た。


  ◇


 完璧な入眠だった。


 見知らぬ他人に、起床と荷物と身の安全と、元彼との縁切りまで、ぜんぶ預けて一秒で深い眠りに落ちる。この絶対的な信頼。この迷いのなさ。


 みゆきの中の教祖が、静かに唸った。


 あの女は睡眠教の、最高位の信者だ。「眠るモノは救われる」をこれほど忠実に実践している人間を、みゆきはほかに知らない。眠ることに一切のためらいがない。明日のことも、隣の他人の都合も、何も心配していない。ただ信じて、眠る。


 みゆきは毎晩それを説いている。なのに自分はできない。眠れない。降りる駅を気にして起きている。教義をいちばん実践できていないのが、教祖のあたしだ。


 そして今、その眠れない教祖が、いちばんよく眠る信者の枕元で、目覚まし係を務めている。


 考えてみれば、適材適所だった。


  ◇


 みゆきは女の寝顔を横目に見ながら、窓の外を確認した。


 あと二駅。みゆきは責任の重さを噛みしめていた。


 もしここであたしがうっかり寝たら。あるいはスマホに夢中になって駅を見逃したら。この女は終点まで運ばれていく。荷物は誰も見ていない。元彼にはLINEが飛んでいく。すべてはあたしの肩にかかっている。


 あたしはいつのまにか、知らない女の専属の、目覚まし時計になっていた。それも、頼まれごとが会うたびに増えている。このぶんだと、そのうち人生相談まで任されかねない勢いだった。


 女が小さく寝言を言った。「……返さない……既読、つけない……」


 偉い、とみゆきは思った。寝ながら自分と闘っている。


  ◇


 新鎌ヶ谷が近づいてきた。


 みゆきは女の肩を、とんとん、と叩いた。


「新鎌ヶ谷ですよ。起きてください」


 女はぱちっと目を開けた。そして寝起きとは思えない素早さで荷物を確認し、スマホを握りしめ、よろよろと立ち上がった。


「ありがとうございました……! 今日も、しませんでした……!」


 扉が開く。女はふらふらと、夜の新鎌ヶ谷へ降りていった。最後まで名前は聞かなかった。次にいつ会うかもわからない。だがたぶん、また会う。そしてまた、何か頼まれる。


 みゆきはその背中を見送った。


  ◇


 みゆきはスマホを取り出し、「車内遭遇録」を開いた。


 **「新鎌ヶ谷の眠り姫、本日も登板。要求は『起こして・荷物番・護衛・元彼への連絡阻止』の四点に増殖。一秒で入眠、寝言で元彼と交戦。睡眠教・最高位の信者。評価:★★★★★。なお当方は、その目覚まし係(無報酬)」**


 保存。


 電車はまた、初富へ向かって揺れはじめた。


 みゆきはつり革につかまった。たぶんあの女のほうが、あたしよりずっと幸せに眠っている。あたしは人の眠りを守って、自分は眠れない。


 それでも、悪い気はしなかった。教祖というのはたぶん、そういう仕事なのだ。


 四十歳。独身。歯科医師。回遊魚。睡眠教、教祖、兼、目覚まし係。


 今日も終電の一本手前。


 みゆきである。


(第7話 了)


---


*次回 第8話「丸ノ内線は、なぜ地上に出るのか」*



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