瓦解
水膨れが痛む。
明日には筋肉痛まで加わるのかと思うと、少し憂鬱になる。
しかし、それを差し引いても、今日の海水浴は割と楽しかったと言って差し支えないだろう。
今日の事を、そんな風に結論付けながら三人で帰り道を歩く。
少し気だるいが、今はそれも心地良い。
「そういえば、上梨。ガキからどんな貝もらったんだ?」
上梨は無言で白い貝を見せてくる。
俺に渡してきた貝より、明らかに上位な奴じゃん。
くそっ得意げな顔しやがって!
「おい、ガキ。明らかに俺より上梨の方が特別扱いされてないか?」
「二人に、あいそうなやつ、とってきただけだよ」
そう言ってガキは悪戯っぽく笑うのであった。
……舐め腐りやがって。
「俺に似合うのは黄金の貝だ。覚えとけ」
「じゃあ、家にあるピカピカのビー玉、二つあるから、一つあげる。おそろい」
「いや、いらねえよ」
「なんでよ!」
こいつすぐに大きい声出すよな。
威嚇かよ、怖いから止めろ。
「大人はビー玉じゃ喜ばないの。分かれ」
「じゃあ、かっこいいネックレス見せて、おそろいのやつ作る」
「そもそも、俺は格好良いネックレスなんて持ってねえよ」
存在しない物を要求するな。
「持ってたの! 見たもん!」
「そもそも、何でそんなに同じ物を欲しがるんだよ」
「友達っぽいの、欲しいから」
なるほど。
面倒だし、適当に言いくるめるか。
「なあ、お前は要するに友達の証拠が欲しいんだな?」
「……うん」
「じゃあ、俺とお前がお揃いのネックレスを友達の証拠に持ったとする」
ガキは、俺の目を不安そうに見つめながら話しを黙って聞いている。
安心しろよ、それっぽいこと言って安心させてやるから。
「もし、お前がそのネックレスをなくしたら俺達は友達じゃなくなるのか?」
「……ならない」
「だろ? つまり友人関係の物的証拠に、意味なんかないんだよ。存在ばっかり無駄に意識させられる関係なんて、呪縛にしかならんぞ」
最後の言葉に、親子という関係性への文句をこっそり混ぜて、俺はニッコリと微笑んだ。
「そんなもの無くても、俺達は友達であり続けられるだろ?」
「うん!」
ぱあっと、ガキも笑顔を浮かべる。
ちょろいな。
所詮は子供! 俺の話術にかかればこんなもんよ!
気分が良い。
実に良い。
実に良いのだが、何故だか寒気が収まらない。
酷い違和感を覚え、上梨の方を振り返る。
何だ、この違和感?
上梨に、特に変わった様子は無い。
じゃあ、この違和感の正体は何だ?
もっとよく見る。
何故か、全身から冷汗が際限なくにじみ出る。
もっとよく見る。
何故か、喉が渇いて仕方がない。
もっとよく見る。
何故か、手と足の震えが止まらない。
もっとよく見る。
…………あ。
上梨の瞳孔が、あり得ないくらい開いているのか。
そう気づいた瞬間、
上梨の上半身は、
ばっくりと割れ、
無数の肉紐に姿を変えた。
肉紐はてらてらと生々しく夕日を反射する。
ずらり、と嫌に整然として並ぶ白い棘が、肉紐を実にグロテスクに演出していた。
唐突にグロい物を見せられて、吐きそうになる。
俺、本当にそういうの無理なんだって。
「……なるほど、な」
これが『せんゆう様の落とし子』か。
グロいの無理~! とか言ってられないな。
果たして、こいつの狙いは俺とガキのどちらだろうか?
さっきの会話に、俺かガキを好きになる要素あったか?
上梨はこの化け物みたいな姿から元に戻るのか?
会話、通じるのかな?
俺の脳を現実逃避的疑問が支配し、体が硬直する。
次の瞬間、上梨の下半身から生える無数の肉紐が、俺を目掛けて殺到する。
ああ、肉紐の速度がゆっくりとして見える。
死の直前だからだろうか?
あれが俺に到達したら死ぬのか?
それとも、あれに絡め獲られて、かみ砕かれて死ぬのか?
体が、全く動かねえ。
いよいよ眼前まで、肉紐が迫る。
衝撃は…………無かった。
俺の周囲に謎の光の膜が纏わりついている。
この膜が守ってくれたのか?
なにはともあれ、初撃を防いだ瞬間に、俺は弾かれた様に走り出していた。
一心不乱に走る。
後ろからは、上梨が靴で地を駆ける音が聞こえてくる。
少しだけ後ろを確認する。
ヤバい。
そこには、上半身の代わりに大量の肉紐を生やした女が、全力でダッシュしているという、おぞましくシュールな光景が広がっていた。
変に人間の要素を残しているせいで、怖さが倍増している。
少し思考がぶれて隙を見出されたのか、俺の顔へと肉紐がすごい勢いで迫る。
転ぶようにして避る。
少し掠ったが、ギリギリで致命傷は免れた。
肉紐が掠った時に出た血が、右目に侵入する。
その時初めて、本気で死の気配を自覚した。
死ぬかと思った死ぬかと思った死ぬかと思った。
俺は、先ほどよりも更に速度を上げて走る。
上梨が陸上部だったら、インドア派の俺は今頃死んでいただろう。
本当に、あいつがオカルトオタク女で助かった。
その後は徐々に上梨を引き離し、比較的安全な命懸けの追いかけっこが続いた。
そして、終わりは唐突に訪れる。
上梨が、ぶっ倒れたのだ。
いい加減俺も限界だった為、上梨が起き上がらなさそうな事を確認してから、立ち止まって休憩する。
十分に距離をとって。
マジで、疲労で、死ぬ。
俺が肩で息をしていると、ガキが俺たちの元へたどり着いた。
「たかし、その光ってるの何?」
「あ?」
何やら、紫の光がバッグ漏れ出している。
まだ何か有るのか?
恐る恐るバッグのファスナーを下げると、紫に輝く叔父さんから貰ったダサいネックレスが出てきた。
落としたスマホの画面みたいな割れ方してるし。
絶対、これが俺の身代わりになって助かったパターンじゃん。
チラリと上梨を見る。
もう、元の人間の姿に戻っていた。
「おい、大丈夫か?」
俺が声をかけると、上梨はむくりと立ち上がり、呆けたように口を開けてこちらを見つめた。
「おーい、しっかりしろ」
徐々に、上梨の目の焦点が定まってくる。
上梨が、光るネックレスを注視した。
次に、俺の額から流れる血に目を向ける。
「もしかして……私……今……食べようと……」
上梨は、信じたくないといった様子で、震えながら自分の手を見つめている。
「な、何で? 違う……だって…………私、嫌いなのに……嫌いだって! ちゃんと! 思って……思ってたのに……」
上梨は、糸が切れた人形の様にへたり込んだ。
「何でよ……何でよ……何で、私、ちゃんと…………」
恐る恐るといった様子で、上梨が再びこちらを向く。
上梨の瞳が、俺を捉えた。
上梨の瞳が、涙で濡れる。
「うう、あ、あああ、あ、ああああああああああ」
上梨は、言葉の体を成さない音を口から溢しながら、逃げるように駆け出した。
ふらふらと転びそうになりながら走る上梨の背を前に、俺はどうすることも出来ず、
只々茫然と立ち尽くしていた。




