憂悶
上梨が走り去ってから、どれくらいの時間が経ったのだろうか?
気づけば日は落ち、辺りは薄暗くなっていた。
「たかしぃ……どうしよう」
ガキが泣きそうな声で、俺を縋るように見つめてくる。
「とりあえず、帰るか」
「……うん」
不安を紛らわすように、俺達は手を繋ぎ、無言で帰路を進んだ。
空気が鉛のように重く感じる。
夜道に俺たちの足音だけが響いているせいで、余計に静寂を意識させられた。
この沈黙は、耐えがたい。
沈黙を破る為の話題を考えようとする。
しかし、すぐに思考は反れ、気が付けば記憶にこびりついた上梨の瞳を反芻していた。
ガキが、握る手に力を込める。
そして、泣きそうな声で沈黙を破る。
「私の……せいだぁ……」
「別に、お前のせいじゃないだろ」
「私が……たかしに……怪物さがし、手伝ってって言わなかったらぁ……」
こんなことには、ならなかった。
そう言いたいのだろう。
「その理論だと、依頼を受けた俺のせいでもあるだろ」
「ちがう!」
「そうだ、違う。そもそも原因なんか、何処にだって置けるんだ。だから自分に責任を置く必要なんて、無い」
「……でもぉ」
「自分という分かりやすい攻撃対象に逃げるな」
今はどうするべきかを考えるんだ。
「…………分かった」
ガキは俯き、言葉を無理やり飲み込むかのように、返事をした。
ガキと話した事で、少し落ち着いた。
俺は、俺が殺されそうになった時よりも、上梨の取り乱した様子を見た時の方が、大きなショックを受けていた。
もう、認めるしかない。
俺は、上梨の事を他人だなんて思っていない……。
上梨と俺の関係性は、他人のままじゃないといけない。
だというのに、俺は無意識のうちに上梨と友達のつもりでいた。
最悪の気分だ。
俺は、上梨を他人だと散々自分に言い聞かせていた癖に、友達みたいな距離感で上梨に接して喰われかけた。
その結果、上梨を傷つけてショックを受けている。
本当に、気持ち悪い奴だ。
……俺は、何をしたいんだ?
上梨と友達になりたいのか?
上梨にとって嫌な奴でいたいのか?
結局、そのどちらにも決めていなかった。
俺は、上梨と深く関わろうとするには、余りにも考えなしだった。
最悪だ。
俺は重い自己嫌悪の念をぶら下げたまま、答えを探すかのように前方を見据える。
どこまでも広がる夜闇が、やけに黒々しく感じた。
ようやくガキの家に着く。
随分とでかい家だ。
しかし、明かりが全く点灯していていない為、その大きさは寒々しさの演出にしか役立っていない。
この家に一人か……。
思わずガキの方を横目で見る。
至って普通にしている。
これが、こいつにとっての日常なのだろう……嫌な現実だ。
こいつ、一人で寝るのが怖いとか言ってたな。
ちょっと大丈夫になったとは言ってたが、まだ怖くはあるんだよな。
さっきの上梨の様子を見て、結構堪えてたみたいだったし……。
そんな事を考えていたら、自然と口が開いた。
「なあ、着信拒否、解除しとくから」
もっと、優しい事を言うつもりだったが、最終的に口から出たのは、そんな言葉だった。
つくづく、嫌になる。
言いたい事すらトラウマに邪魔されて、馬鹿じゃないのか?
ずぶずぶと自己嫌悪に沈む俺を、ガキは呆けた様に、見つめている。
なんだ、こいつ。
俺にだって自己肯定感を持てない時くらいある。
なんなら、俺はいつだって心の底では自己否定の念に苛まれていると言っても良い。
善い事をしたって、悪い事を言ったって、母の声が脳を反響する事は変わらない。
どっちも不快だから、ましな方の不快を選んで、性格の悪い思考に身をやつしているだけだ。
なおもこちらを見つめ続けるガキのドングリの様な目が気まずくなって、思わず目を逸らしてしまった。
……更に気まずくなった気がする。
「えへぇ、うれしい」
俺が何とも言えない表情で虚空を見つめていると、そんな気の抜けた声が聞こえる。
俺が着信拒否を解除しただけで、そんな声を出すのか。
きっと今、ガキはニヤニヤとしまりの悪い笑みを浮かべているのだろう。
気恥ずかしくなって目を逸らしたことを、俺は少し後悔した。
これで少しは、寂しさが紛れるのだろうか……。
なんて、上梨からの逃避の為に、俺は善行に走るのかよ。
もう、帰ろう。
「じゃあな」
「うん! またね!」
ぶんぶんと手を振るガキに手を挙げて返事をし、俺は叔父さんの家へと歩きだした。
もう、随分暗い。
今夜の月は、少しだけ欠けていた。
上梨の事を考えないよう、コンビニで買ってきた晩飯のおにぎりの事だけに意識を集中させながら、俺は玄関のカギを開ける。
あれ、電気ついてないな。
叔父さん、もう寝たのか?
照明のスイッチを入れる。
テーブルの真ん中には、ぽつんと見慣れない紙が鎮座していた。
謎の紙を手に取る……置手紙だ。
手紙は、せんゆう様の落とし子を捕まえる術が完成したから、今日は家を空ける、という内容の物だった。
急だな。
結局、せんゆう様の落とし子、つまり上梨は捕まったらどうなるか分からないままだ。
まあ、どうなるにしても、俺がこれからどうするのかを決めないことには、何も始まらない。
ああ、考えたくねえ……。
だらだらと、晩飯を食べ始める。
辛子明太子おにぎりを噛み潰し、緑茶で押し流す。
二口めを食べようとして、ふと明太子が、上梨の肉紐と重なる。
そこから連鎖的に、額から血が垂れた事を思い出し、母から受けた暴力を思い出し、そして…………
吐いた。
おにぎりも、
緑茶も、
海で飲んでしまった海水も、
焼きそばも、
胃液も、
全て吐瀉物となって、口から出た。
なんだか、今日の思い出が全部体外に出てきたみたいに感じて、涙が滲んだ。
吐瀉物を、独り惨めに雑巾で拭いながら、考える。
明日、上梨は学校に来るのだろうか?
もし来ていたとして、俺はどうする?
もし上梨が話しかけてきたら?
なんだ、その仮定は。
友達にでもなるつもりか?
変な期待をするな。
お前なんかと友達になる奴が、いる訳ないだろ。
お前は『悪い子』なんだ、ガキが友達になってくれたのだって、親のいない寂しさにお前が付け込んだからだ……。
……そんな事は、無い。
不安を誤魔化す様に、床を拳で殴りつける。
まだ片付け終わっていなかった吐瀉物が飛散し、手が痛んだだけだった。
くそっ……。
吐瀉物の片づけが終わった後、風呂に入った。
しかし、気持ちの整理がつく事は無く、延々と自己嫌悪に苛まれただけだった。
だいたい、人を殺さないように生きてきた上梨の今までの努力を知ってもなお、ぬるい覚悟で関わりに行った俺が、やっぱり友達に……なんて、冗談じゃない。
そんな自分は、許容できない。
結局、捕食行動をどうにもできない俺は、上梨と距離を置く事しか……。
スマホが鳴る。
「……もしもし」
「あっ! たかし!」
電話越しに聞こえてきたガキの声は、心底嬉しそうだった。




