妥協
鬼が出るが蛇が出るか。
俺は覚悟を決めて人影に目を凝らす……おい。
よく見たら受付のお姉さんじゃん。
驚かせるな。
「すみません、このまま真っすぐ行って大丈夫なんですかね? へへっ」
愛想笑いで、不満と不安を柔らかにぶちまける。
怖いんだよ。
お姉さんは、只々微笑を浮かべている。
……いや、返事してよ。
怖いよ。
意味深な事するなよ、怖いんだよ。
ねえ、マジで怖い。
お姉さんは、微笑を浮かべたまま、俺の左手をとる。
【るぇゑ、ぇるぇ、ゑぇる】
急にウニョウニョ出てきちゃったよ!
どうするんだよ!
もう収集つかないよ?
なんなんだよ……知らないお姉さんに、ウニョウニョが出てる手をとられてる状況って。
訳が分からなさ過ぎて怖い。
「マジで、何か言って下さいよ……お願いだからさ」
お姉さんが、すこし困ったように笑みを深め、遂に口を開いた。
「明人さんは、悪くないの……」
明人さんって、叔父さんのことか?
なんでここで叔父さんの名前が出てくるんだ?
混乱する俺を無視して、お姉さんは俺のウニョウニョに吸い込まれていった。
…………えぇ?
どういうこと?
ぱっと目の前が明るくなる。
何? 次は何?
ちょっと休ませて、ねえ?
本当に怖いんだけど……止めようよ、頭がいっぱいだよ。
次第に明るさに目が慣れてくる。
「……いや、外じゃん」
お化け屋敷の出口に、俺は立っていた。
訳が分らない。
俺は、足早に上梨とガキの待つベンチを目指した。
+++++
ガキと上梨が何か話している。
近づく俺に気づく様子は無い。
「……かみなしさんが、怪物だったんだね」
「……ええ」
あいつ、俺と上梨の会話、聞いてたのか。
ガキは少し俯き、呟く。
「怪物って、人、食べたくないんだね……」
「ええ」
「……ごめんね、かみなしさん」
「…………」
ずっと能面のようだった上梨の表情が、初めて歪む。
「彼じゃ、死にたい気持ちは、消えないの? 親じゃなきゃ……駄目なの?」
「…………ありがとね、かみなしさん」
そう答えるガキは、どこまでもやるせない笑顔を浮かべていた。
静かな沈黙の中、大衆の雑然としたざわめきと、嫌に陽気な音楽が耳につく。
無音と雑音が混ざり合うこの空気が、いいかげん嫌になり、そろそろ声をかけようかとした時、上梨が沈黙を破る。
「私が……貴方を……殺さない程度に……好きでいるから!」
上梨は、手を震わせながらも、涙を浮かべながらも、小さな声で続ける。
「だから、貴方も、死なない程度に……生きていて」
上梨の言葉に、ガキは少しおどろき、小さく笑った。
「わかった、がんばる」
それだけ言うと、ガキは上梨の肩に寄り掛かった。
上梨は、ガキの背中をぎこちなく撫でながら、ヘタクソな笑顔を作っている。
案外、ガキはずっと生きていることを肯定されたかったのかもしれない……なんて、俺の勝手な予想でしかないけれど。
ガキに『好きでいる』と言った時、上梨はどれ程葛藤したのだろう?
上梨と違い、その重さの覚悟を持てなかった俺は、どうにもここに居てはいけない気がした。
……そして例の如く、俺は尻尾を巻いて逃げ帰った。
やはり、家が至高。
そう考えられる程度に、叔父さんの家は快適だ。
本当に、ベッドの上でダラダラと一生を消費したい事この上ない。
最近は色々あり過ぎた。
だが、上梨がガキのお守りをするという形のハッピーエンドが見えた今、もはや俺がする事は無い。
スマホさいこー!
ぽこん、と通知がくる……マジかよ、ガキからじゃん。
内容を確認すると、来週は海に行くから来い、という趣旨のメッセージが送られて来ていた。
あ、写真も来た。
遊園地の入り口で、上梨とガキが珍妙なポーズをとっている。
手に持った安っぽい謎のステッキが、なんとも小憎たらしい。
距離縮み過ぎだろ、あいつら。
メッセージには返信せずに、再びネットサーフィンに戻る。
もうガキとの怪物探しの約束が果たされた以上、あいつらに付き合う義理は無い。
電話がかかってくる。
応答拒否。
電話がかかってくる。
応答拒否。
電話がかかってくる。
応答拒否。
電話がかかってくる。
着信拒否。これでもう電話はかかってこない。
俺の勝ちだ! ざまあ見やがれ!
俺の安寧のネットタイムを邪魔しやがって!
ぽこん、ぽこん、ぽこん、と通知が鳴り始める。
通知を切る。
「貴志君、ご飯ができましたよ~」
一階から、叔父さんの呼ぶ声がする。
飯の時間だ。
俺がリビングに入ると、すぐに叔父さんは二枚の皿を手に、微笑を浮かべながら現れた。
「今夜はペペロンチーノですよ」
「おお、ペペロンっすか。タバスコ取ってきますね」
俺はキッチンからタバスコと、叔父さんの好物の粉チーズを取って戻った。
向かい合って席に着き、俺たちは挨拶も無しに調味料を振るう。
「あんまりかけ過ぎてはいけませんよ?」
「ういー」
俺は生返事をしつつ、タバスコをペペロンチーノにぶちまける。
叔父さんのペペロンチーノは、いつも通り粉チーズに九割隠されていた。
お互いの調味が終わり、お互いが無言でフォークをくるくるし始める。
うまい!
ペペロンチーノの半分くらいが胃の中に消えたタイミングで、叔父さんが口を開く。
「貴志君は、私が娘を生き返らせようとしている事を、どう思っていますか?」
唐突だな。
わざわざ俺に聞くという事は、叔父さんの覚悟は決まっていないのか?
「正直、少し意外でした。叔父さんは、死者蘇生とか嫌いだと思ってたんで」
勝手に生き返らせるのは、死者に失礼とか言いそう。
「そうですね……基本的にはそういうスタンスなのですが……」
叔父さんが、少し悩むような素振りを見せる。
だが、結局口を開くことに決めたようだ。
「妻が、娘を産んですぐ後に、亡くなったんです。その時に、娘を幸せにしてくれと頼まれまして……だから、娘が十一歳で死んだなんて……認める訳にはいかないんですよ」
言葉を絞り出すように話す叔父さんは、とても苦しそうだった。
「……すみません。定期的に辛くなって、つい吐き出したくなってしまうんです」
「ああ、まあ、なんというか……頑張ってください」
「ありがとうございます……」
そう言って笑う叔父さんが、どこか疲れて見えるのは気のせいではないのだろう。
人生とか家族とかって、みんな大変なんだな……なんて、月並みな感想で叔父さんに同情してしまった……。
もう、せんゆう様の落とし子が何処にいるか教えてしまおうか?
だが、死者蘇生の儀式に、上梨がどういった形で関わるか分からないという不安が引っかる。
結局、俺が上梨の事を夕食時の話題に上げる事は無かった。
罪悪感を忘れる為に、タバスコをペペロンチーノに追加する事だけに集中する。
……辛い。
その日は結局、眠りにつく直前まで辛さが残り続けた。




