71.兄とあたしと刀と
※第二章後編第一話は、『ヨルと少女と暗殺者』を読了後にお読みいただくことをおすすめします。
がたがらがたがら…
「…はぁ…やれやれだな。街を出るのも一苦労とは…」
「…申し訳ありません……」
「…謝る必要はないと言った筈だ。全ては俺の為に、俺がした事。気にするな」
フェルメースの街を背に揺れる馬車の中。次第に遠ざかる城壁を見つめ、男が辟易とした様子を見せると、レイシアが罪悪感に口を衝く。
あれから、飽くるほどに感謝と謝罪を繰り返し、それでも拭えぬ居た堪れなさ。
旅立つ勇者を一目見ようと集まる群衆。栄光も、栄誉も要らぬ男に対し、群がる有象無象を退け、今に至る。
それら全てが己の責と俯く女に、夜神もまた幾度目かの言葉を繰り返し。
これまでとは違う距離。これまでとは違う関係を得て変わる。薄紅髪の女が怒りも露わに口を開いた。
「そうよ。全ては魔族のせい。あんたが気に病む事じゃない。兄さんだってこう言ってるんだし…あたしも気にしてないから…」
「…夜神様…それにシャラも…ありがとうございます」
「…それよりも、この先の事を話さないと。ねぇ、兄さん」
「…そうだな。差し当たっては金銭の問題を…っと、その前に…シャラ、お前に借りていた物を色々と返さないとな。お陰で助かった」
すっ…
「……………」
互いが互いを思い遣り。気まずさを拭い去る。此度フェルメースで得たものは誰にとっても小さくはない。中でも特に。男を兄と呼ぶシャラの変化はありありと。
また、腕に掛かる装備を外し、腰に差す刀を置いて感謝を述べる。そのやり取りから窺える夜神の変化を間近に見つめ、嬉しいやら、寂しいやら…。
有り余る時間の中で、経緯と共に聞かされた女の過去と、巡る数奇な運命。
そっと置かれた刀に宿る誓いと想いを知ればこそ。レイシアは口を閉ざし、次の言葉を静かに待った。
そして。これは男がサリュアの元から宿へと戻った日の事。
『……………』
(柊様…夜には一度戻るって言ってたけど…)
もう既に陽は暮れ、喧騒も鳴りを潜める通りを眺め。門扉に背を付け足を揺らす。
部屋には辛気臭い顔をした男と、生死の境を彷徨う女が横たわり。何方を見ても居た堪れず。また、何方を見ても募る不安を拭えずに。かれこれ数時間。シャラは一人、男の帰りを待ち続けた。
『……………』
(…帰って…来るわよね…このままこれっきりなんて事……)
ぶんぶんっ!
『…どうにかするって…言ってたじゃない…!』
(柊様を信じなきゃ…)
深まる闇と、孤独が齎す恐怖に侵され沈む心。
残された時間は幾許も無く、打つ手無し。
僅かにでも気を抜けば、最悪の結末が脳裏を過ぎる。
首を振り、通りを眺め。足元を見て、また首を振る。
しかして、これを繰り返して幾度目か。顔を上げ、また通りを眺めて耳にする。
ざっ…ざっ…ざっ…
『…っ!?…この足音…間違いない…!』
だっ…!
暗がりに響く、まだ大きくもないそれを聞き、俄然高まる期待と高揚感。
暗殺者に身を窶し、生きる術と言われ全てを叩き込まれた。シャラにとって、気配を嗅ぎ分ける事など造作なく。それが慕い、共に在ると決めた者であれば、一も二も無くその場を飛び出し走り出す。
ざっ…ざっ…ざっ…
『……………』
だっだっだっだっ…!
『…柊様!』
『……ん?…おいおい…まさかあいつまで飛び付いてきたりしないだろうな…』
果たして。その目に映す男の姿に胸を撫で、声を張り上げる。
また、こちらはこちらで覇天の魔力にものを言わせ。
遠目に見える薄紅の髪を目に捉えると、既視感の湧く光景に知らず身構え歩みを止める。
『柊様…!』
『…どうした。随分と慌てて…おい、まさか…』
『あっ…いえ!シーアは大丈夫です。容態は落ち着いています』
『…余り驚かせるな。…それで、一体どうした。何かあったのか』
『えっと…いえ…その……心配で……』
『…ふっ…そうか…悪かったな。…取り敢えず宿へ戻ろう。話はそれからだ』
『はい!』
慌てふためく姿に脳裏を過ぎる凄惨な結末。
女が咄嗟に手を振り誤解を解くと、男は安堵の息を漏らした。
か細くとも見え始めた光明を前に、手遅れとは言わせない。
一昼夜を駆けずり回り、疲労はあるが、心は昨日よりも落ち着いていた。
よくよく見れば、いつかのように隈をこしらえ。頬は僅かに細っている。
きっと、自身の頼みに応え、余り寝ていないのだろう。
間も無く、夜神はシャラと共に宿へと舞い戻った。
『…それじゃあシーアは…!』
『あぁ、上手く行けば、助ける事が出来る。とは言え、薄氷の上を歩くような綱渡り…どう転ぶかは俺にも分からない…この話はまだ、お前の胸に留めておいてくれ。今のレインに話したら余計な面倒を起こしそうだからな』
事の次第を掻い摘み、展望を語る。
男の話に俄然明るさを取り戻し、身を乗り出して先を促す。そこには、男の知らない積み重ねがあったのだと、そう思わせる喜びが滲んでいた。
後は…。別室でレイシアの看病に付き、離れようとしない。レインの精神は不安定と言わざるを得ず。仲間を見捨てた罪悪感に駆られ、何をしでかすかも分からない。
そんな懸念を口にする夜神に対し、シャラが胸の内をぽつりと零した。
『それは勿論…構いませんが…あいつは…仲間として…』
『…お前の言いたい事は分からないでもない。けど、人間てのはそういう生き物だ。信用も、信頼も出来ないが…今、奇跡に続く道があるのはあいつのお陰でもある。…あんなのが一人くらい居た方が、きっと旅は面白い。だから、余り胸を抉るような事は言うな。仲間としてを問うのは、様子を見てからでも遅くはないだろう』
『…分かり…ました…』
『…それじゃあ、俺は用を済ませに行ってくる』
最早どうにもならない深い溝。今だからこそ言える不信感を声に出し、是非を問う。
この先は共に歩めない。背を預けるには不安が拭えず、もうこれ以上、何かが起こる前に。
全ては仲間を思うが故の言動に、しかし。夜神はシャラを宥め、言い聞かせた。
人らしく偽善を振り翳し、救った冒険者。知己となった貴族の令嬢と、その執事。
誰が欠けても成し得ない奇跡の始まりは、彼等との出会いがあればこそ。
人も善し悪し。そう語る言葉を不承不承と聞き入れ。シャラは忙しなくこの場を後にしようと立ち上がる男に、再び問い掛けた。
『待って下さい!次はいつ戻るんですか!?』
すっ…
『…さぁな。さっきも言ったが、迷宮に篭って魔物を狩ってくる必要がある。…悪いが…この刀は暫く借りるぞ。それと、お前の腕輪を貸してもらいたい。流石にこの前のあれと同等の魔物を引き摺ってくる訳にもいかないからな』
ぎゅっ…
『…っ…!おい…』
『……なら、一つだけ我儘を聞いて下さい…』
しかして。続く言葉と、その手に収めた刀を見つめ、男の袖を強く引き掴む。
いつか聞いた姉の想い。孤月を押し付けた理由を恥ずかしそうに語る姉の姿を、今も鮮明に覚えている。
『…あれを振る度…あたしを思い出してほしい…』
まだ男には、刀の由来も、自身の過去も、復讐の理由さえ話していない。
姉の誓いを持つのなら。姉の想いを振るのなら、全て話して然るべき。
そんな風に扱ってほしい物じゃない。
もう記憶の中にいなくとも。その手に持つ刀が違っても…。
命を賭して男を追った誰かがいたのだと、伝えるくらいはいいだろう。
とは言え、余りにも時機悪く。昨日に比べ、幾分か機嫌の良さも窺えるが、到底首を縦に振るとは思えない。それでも、この機を逃せばいつになるか…。
真剣な表情で言い縋るシャラを見下ろし、男は険を含む声で問い返した。
『…お前…状況を分かって言ってるのか…』
『…分かっています。けど…ストレージはともかく…その刀には、姉さんの誓いと想いが込められています。…振るうなら、柊様にも知っておいてもらいたい。姉さんと、その刀の事を…そして、あたしの決意と覚悟も…!』
『……そう言えば…そう…だったな。すまない…焦る余り…お前の気持ちを蔑ろにし過ぎたようだ。…話を聞こう』
シャラの言葉にふと、脳裏を過ぎる迷宮での一幕。喉元を過ぎ、焦燥に駆られ忘れていた。
決して折れないと言って渡された、女にとって何より大切な姉の形見。
それを無造作に掴み上げ、さも当然のように持ち去ろうとする。
…自身の傲慢さに、反吐が出る。
この刀を振るなら全てを聞いて然るべき。
夜神は険を解き、また椅子に腰を下ろすと、暫し女の話に耳を傾けた。
そして。
『…本当なら…その刀は…姉が惚れた男の手に渡る筈でした…けど…』
『……………』
『…あたしは…柊様と一緒に居たい。見た事もない男じゃなくて…柊様がいい…!あの時、その刀を渡した時に…何があっても離れないと…姉に誓いました。…だから…その…兄さんと…そう呼ばせてもらいたい…です…』
『…壮絶な生き様だな。三人で…陽の下を歩く事を夢見た姉の想い…兄となる筈だった男の為に誂えた刀…それを振るなら兄と呼ばせろ、か…。そうでなくとも、お前にそんな決意をさせてしまった俺の失態だな。…好きに呼べばいい』
語られた話に息を呑み。ロミア・テーゼという女の軌跡に息を吐き。
目の前に佇む夜月を見つめ、最早遅きに失した言動を思い返す。
きっとあの日、あの広場で。月の首飾りを掛けた時、女は決意し。
迷宮で姉の想いを違えた時に、覚悟を決めたのだろう。
これが、積み重ねと言うのなら…。
計り知れない重さと、責任が関わりの代償だと言うのなら…。
捨てずに背負っていこう。
そうさせたのは、他でもない自分なのだから。
『ありがとう…ございます…兄…さん』
『…敬語も必要無い。…何処の世界に兄貴に向かって敬語を使う妹がいるんだ』
『ふふっ…この世界には沢山居ます。…今はまだ、急には慣れないから…少しずつ…変わるまで待ってて…兄さん…』
頬を赤らめ、ぎこちなくも兄と呼び。そんな、妹の前で再び夜月を握り締め、間も無く部屋を後にする。
あれからずっと機を逸し、返しそびれた腕輪と刀。シャラはそっと置かれた腕輪を手に取ると、残った刀を見つめ、静かに口を開いた。
「…兄さんの為ならこれくらい…。それと…夜月は兄さんが持ってて。それはもう、姉さんの形見ってだけじゃなくて…あたしの誓いと、覚悟の証でもあるから。…兄さんに使ってもらいたい」
「…そうか…なら、大切に使わせてもらおう」
元より、貸したつもりなど毛頭ない。あげたつもりなど微塵もない。
それはシャラにとって、共に在るべきもので。自身と兄を繋ぐもの。
誓いと想い。決意と覚悟を聞けばこそ。男はその意味を察し、無粋も無く腰に納めた。
いつぶりかのまともな会話。兄妹水入らずとはいかずとも、これで想いは果たせただろう。
ただ静かに二人のやり取りを眺めていたレイシアは、ここでようやく本題を問い掛けた。




