69.エピローグ①
ルーウィン王国王城内。
「………………」
その自室にて。届いた文を食い入るように見つめ、目を走らせる。シャーリー・フォルア・ラン・ルーウィン。
彼女は旅の行末を知りたいと。そして男に願える権利を持って差し向けた女からの、待ちに待った経過報告を真剣な表情で読み進めていた。
「それで…何て書いてあるんだ?」
そんなシャーリーのすぐ近く。燃える尾を揺らし尋ねるのは、狐の姿を模した火の精霊ファル。
都合三度目となる手紙。記憶にも新しい前回の便りを思い返せば、彼の声音に不安が滲むのも無理からぬ事だろう。
火急の事態と殴り書きされた手紙にはただ、レイシアが魔族にやられ重傷を負ったとだけ記されており。これを目にしたシャーリーの動揺は計り知れないものだった。
ゆっくりと顔を上げ、硬く神妙なシャーリーの表情に固唾を飲んでその口が開かれるのを待つ。
或いは…と、心の準備をするファルに、シャーリーは悪戯な笑みを湛えて答えを告げた。
「……夜神様が魔族を討ち、彼のお陰でお姉様は助かったそうです」
「……ふぇ…?おいおい…脅かすなよ!そりゃあ…良かったじゃねーか!流石は俺様の見込んだ男だぜ!これでもう心配は要らないな!」
「ふふっ、そうですね。…カミールの急襲に加え、お姉様が重症を負ったと報せを受けた時は、生きた心地がしませんでした…けど、それも杞憂。夜神様が側にいるのです。あの人は…尽くした想いに必ず応えてくれる…」
「…やっぱりちゃんと、姉貴に別れを言っておけばよかったんじゃないか?」
「あら、王立学院首席卒業のお膳立てをしてくれたという貴方が、もう忘れてしまったの?」
「……お前…根に持ちすぎだろ。あれは俺様じゃなくて夜神が言った事だぜ…」
「ふふっ、冗談です。…あの日、夜神様と友誼を結んでいなければ、この胸にも未練があったかもしれません。けど、今は…今ならどんな我儘も一度だけ叶えられる。だから、胸の内を明かすのは夜神様と共に世界を巡り、この地へ戻って来た時で構いません」
そうして。笑みさえ見せる結果に胸を撫で下ろし、我が事のように安堵を漏らす。ファルはシャーリーの心を正しく理解すると共に、その歪な形に憂いを抱き、苦言を呈した。
「…構わないんじゃなくて、時間が無いと困るんだろ。もう話を切り出す口実が無くなっちまったんだからよ…」
まだ明かされぬ想い。己が手で掬い上げたかった心残りと、そう出来なかった悔しさに苛立ちを募らせ見失う。
幼き日。シャーリーは姉の暖かさと優しさに救われた事を忘れてはいない。
…すれ違ってしまったのはあの日から。
変わってしまったのはあの時からだった。
「…ファル…今何か言いましたか?」
「い…いやっ…!俺様は何も言ってないぞ…気のせいじゃないか。けど、この先はどうするんだ?」
「…それについて…夜神様ではありませんが、私も溜め息を吐きたい気分です。…貴方の言う通り。この想いを打ち明ける機会を失った。おまけに、次から次へと舞い込む厄介事…」
張り詰めた緊張の糸が切れ、げんなりと項垂れる。もはや政治に対する意欲は消え失せ。かと言って知らぬ存ぜぬとはいかぬまま。築いてしまった信頼にあくせくと働かされる。
カミール急襲に際しては救援を送り。難民の受け入れを指示するなど忙しなく駆けずり回った彼女に追い討ちを掛けたのは、唐突に舞い込む一通の書状だった。
「夜神と同じ異世界人のお披露目だろ?…別にいいじゃねーかそれくらい。気晴らしだと思えばよ。それに、あの何とかって貴族も言ってただろ。この際そいつと結婚しちまうとか…」
「そんな事をしたらお姉様はどうなるのですかっ!それに、夜神様を知った後で他の異世界人など…ファル、貴方も二年程前、夜神様と共に召喚された二人の勇者を覚えているでしょう」
「………まぁ…夜神と同じ世界から来たとは思えない俗物的な奴らだったな。お前の姉貴や、お前を見る男の目は端的に言って気持ち悪かったぜ。それでも、女の方は幾らかまともそうだったけどな」
「私だって全てがそうとは思いません。本来であれば、この目に異世界の勇者を映す栄誉に胸が踊ったことでしょう…ですが、成瀬様も自身の望むものが目の前に…いえ、手に入るとしたらどうなるか。或いは失うような危機に瀕し、失ってしまったらどうなるのか。到底同じとは思えない。やはり夜神様が異端なのです。あの人が求めているのはたった一人、愛する者から向けられる想いだけ。女なら誰だって…英雄譚に謳われる最後を想起してしまいます」
此度シャーリーの元へ届いた書状はとある式典への招待状。
その内容は、中央大陸に在る彼の国で、異世界の勇者を広く知らしめるお披露目が行われる為、これに参列し華を添えてほしいという。
後日、城で晩餐会まで開かれる祭典は一週間にも及び、贅の限りが尽くされる。また、後に世界を巡る勇者の覚えを良くしようと躍起になる者も多く、ある意味では戦場を凌ぐ苛烈な舌戦が繰り広げられる事も少なくない。
二年前には招待する側としてこれに参列したシャーリーは、頑として夜神の元を離れようとしないレイシアに代わり、あの手この手を駆使して二人の勇者が他国に靡かないよう努めた。…その結果は言わずもがな。であれば、気持ち悪いと評される男にも反論の余地くらいはあるだろう。
そんな、気疲れしか思い浮かばぬ祭典に、今更どうして興味が湧くだろうか。
ましてや柊夜神という男を知った後では尚更に面倒が立つと。言いながら、叶わぬ理想に想いを馳せるシャーリーに対し、ファルは生暖かい目を向けぽつりと言った。
「お前…ちょっと欲張り過ぎじゃないか…」
「夜神様にもそのような事を言われましたね。ですが一番は勿論…欲する事を躊躇う必要は何処にもない。手は伸ばさなければ届かない…そして言葉は、口にしなければ伝わらないのですから…」
(そこまで分かっててこの遠回りか。…もう随分と長い間、まともに会話すらしてないんだ。怖いに決まってる。向こうだって…きっと誤解してる。こいつは王位になんかに興味はない。ただ、奪ってしまった全てを返そうとしていただけなんだ。全く…ひでーすれ違いがあったもんだぜ…)
「…俺様はお前の後悔をさんざ見てきたんだ。これ以上は勘弁してくれよ、シャーリー」
「…幸いにも心の整理を付ける時間はあります。ですが…それでももし、私が怖気付いてしまった時は…私の背中を押して下さいね、ファル」
(はぁ…そんな時が来たら…悪いが俺様は全力で夜神、お前を頼らせてもらうぜ。…俺様じゃ駄目だったんだ。容赦なく心を切り付けるような、どぎつい言葉じゃなきゃ…きっとこいつはいつまでも動けない。あの時の言葉…信じていいんだよな)
「…ふんっ!このファル様に任せておけ!」
「ありがとうございます。…では、気乗りもしませんが…迫る式典に赴く準備を始めましょう。差し当たってはまず、護衛ですね。これは既にお姉様の信頼も厚いジュレット騎士団長にと決めています。近々、彼に話を付けに行かねばなりません」
嘘も方便と割り切って胸を張る。ファルは幼く、愛らしい契約者に覚えのない誹りを受けた日々を思い返し。また、一人部屋で涙を流す少女を見て、胸を締め付けられた日を振り返る。
姉であるレイシアへの想い。全てを奪ってしまった罪悪感。機を逸し、拒絶を恐れ踏み出す事が出来ない小さな一歩。
地位も、権威も、男さえ言い訳にする女が何を求めているかは薄々と。しかし核心はまだ胸の中。
果たして。彼女の心を走らせるのは男の言葉か。思わぬ窮地に湧き上がる後悔か。或いは…重なる命の儚さだろうか。
そしてもう一人。世界を裏切り、覇天を秘匿した男も、大切な娘から届いた文を熱心に読み耽っていた。
「……………」
「レイシア様からの手紙ですか?」
「あぁ…次は予定通り精霊の泉を目指すらしい。カミールを襲撃したと思われる魔族とも…交戦したと書いてある…」
執務を終え、二人きりとなった室内。徐に引き出しから取り出した手紙を読み進めるラグダッザは、ディルハーツの問いに対し、些か以上に重苦しい雰囲気を醸しその内容を口にした。
「そうですか…隠し通せるものでないとは言え、随分と早かったですね。…魔王に何を言われるか…」
「あれは調停者などではない。あれが調停者など…あってたまるか」
「気持ちは分かりますが…せめてレイシア様にくらい、世界の真実を語っておくべきだったのではありませんか?そうすれば柊夜神を導いてくれた可能性も…」
目に浮かぶ男の嫌味な顔に口を衝く。――魔王。これと相対する時を思い、気を揉むディルハーツを横目に忌々しいと顔を顰めて否定を返すラグダッザ。
二人は一体何を、何処まで知っているのか。そして世界の真実とは何か。
薄らと繋がる点と点。或いは、と。言葉を濁すディルハーツに、ラグダッザは険を弱めて胸の内を語り始めた。
「…今更だが…あれには幸せになってもらいたい。初代勇者の残した啓示は二人。なら、片方があれと共に何処か小さな町で穏やかに暮らす事くらい許されるだろう。そもそも…ハーツ、お前はあの男を御し、世界の命運を懸ける事が出来ると思うか?」
「………二つ返事で知った事かと言われるのが関の山でしょう。召喚の儀を行った日と同じように…また殴り飛ばされるかもしれません」
「そういう事だ。やつらも柊夜神を目にすれば私を責める事など出来ないと思い知る。詳細までは記されていないが…交戦となればもう既に拗れている可能性だってある。私達に出来るのはもう一人の覇天がこの地に訪れるのを待つ事だけ。…それよりも、以前レイシアが転移装置を無断使用した事を皇帝にどう話すか…全く…世話の掛かる娘だ」
「今までは父としての苦労さえ放り投げてきたのですから、嬉しい苦悩ではありませんか。…帰ってくるといいですね。その為に未だ、頼まれた最後の仕掛け…葬儀の準備にもまるで手を付けていないのですから」
「ふんっ…」
大国の王に課された使命。一度目は男を知ると共に器ではないと。何かの間違いであると否定し、最低限シャーリーに務めを伝え、魔王の討伐を促すに留まった。
二度目を迎える頃には神に試されていたのだと。
蓋を開けてみれば国内貴族を二分するまでに至るレイシアの器量は力さえ身に付け真価を見せ付ける。それも全ては柊夜神あっての事。
全てが間違いだったと。選ぶ事さえ傲慢だったと。努力すべきだった。目を向けるべきだった。そうすれば…そうしていれば。
どれだけ後悔しても遅く、取り返しが付かない過去ではなく。今を、今の娘の幸せを願い沈黙を貫いた。故に混迷を見る覇天の行方。果たしてこれは必然か、偶然か。




