65.決着
そして。
爆ぜる地面と己が苦鳴に夢の終わりを告げられる。
「………いつまで寝てやがる…」
「……………」
ぎゅっ…
「さっさと…起きやがれっ!」
…ぶぅぉんっ!
ど…っごーーーんっ!
「…がはっ…!?」
びきびきびきびきっ…!!
傲慢なヴァルミラをして、走馬灯と言わざるを得ない天地の開きに死を悟り。殴り飛ばされ蹴り飛ばされ、斬り刻まれて脳裏を過ぎる。
戦場に馴染む身体さえ反応を許さない猛攻。耐えられぬ現実に世界は闇に閉ざされた。
にも関わらず。結末など、死を以て他にありはしないと。夜神はこれを晒し上げ。勢いよく振り下ろすと、また無造作に掴み上げた。
すっ…
「…ぐっ…て…めー…」
「上出来だ。…が、その目はいただけないな。いい夢でも見ていたか。或いはまだ夢の中だとでも思っているのか……」
「ぶ…っこ…ろ…」
しゅっ!
「…がはっ!?」
夢幻に映る己の姿に見る光。それは今更過ぎる皮肉であろうと虚勢を零し。躊躇いもなく。覚悟を宿した眼が男の逆鱗に触れると、また腹を穿たれ吹き飛ばされる。
抗う術もなく壁面に激突し、振り返る激闘に近く訪れる終幕。怨嗟を制し、再起と奮起に燃え上がる。焦燥と、憂慮に垣間見て至る想い。
果たせずと顧みる灼熱の後悔に背を凭れ。ヴァルミラはゆっくりと立ち上がり、這い寄る死を見据えた。
がら……
「…ぐっ…!」
ざっ…ざっ…ざっ…
「言葉には気を付けろ。現実逃避すら許されると思うな。お前にはただ蹂躙され、絶望に沈み、死ぬ事しか許されない」
「……ちっ…悪ぃけど…あと、頼むわ。いつもいつも…手間ぁ掛けさせて悪かったな…」
過ぎる仕打ちに重なる嗜虐。無数の斬り傷に加え、あらぬ方へ捻じ曲がった左腕。同様に、見るも無残な左足は原型を留めているに過ぎず。
焼かれているか、砕かれているかなど些細な事。
もう十分に愚かさを顧みるも、眼前に迫る男にとっては不十分。そしてきっと、これが最後の懺悔と想いを呟き、ヴァルミラは辛うじて動く右手を突き出した。
すっ…
ざっ…ざっ…ざっ…
ぴた…
「…その魔力…命と引き換えか。物語の主人公じゃあるまいし。勝手に死なれちゃ困るんだが…まぁ、とは言え俺もそう暇じゃない。…いいだろう。文字通り、それがお前にとって最後の一撃だ。狙いを定め、全霊を込めて放て。全てを蹂躙し、後悔と絶望をくれてやる」
「……………」
(…覇天核…今が…変革の時ってやつなのか…だとしても…あれからどれだけ経ったと思ってるんだ…。あんたを失って…待てるわけねーだろ。俺はあんたがいたから…!これも…結局は俺の独りよがり…あの背には…真紅の炎には…)
ぼっ…
「祈りは済んだか」
(…アルティヴァ様……)
「…てめーに魔族を…同胞を殺させる訳にはいかねーんだ…!くらいやがれっ!これが…俺の全てを懸けた紅炎だぁぁぁぁぁっ!!」
ごごごごごーーーっ!
しかして終焉を告げる雄叫びを上げ。ヴァルミラの手から放たれた炎が眩い煌めきと共に迸る。
それは紅よりも熱く。寧ろ緋炎と言う方が適当だろう。見惚れる程に美しい。あの日の憧憬に勝るとも劣らない。全てを懸けた一撃はしかし…男に届く事はなかった。
ひゅっ…!
ぶぅおんっ!
「な…にっ…!?」
「彼岸の淵で同胞の死を悼め。これが報いというやつだ」
ざしゅっ!
「ぐぅっ…!」
「死ね」
ずぶっ…!
「…がはっ…!……ア…ルティ…ヴァ……さ…」
一足に駆けると共に煌緋の炎熱を斬り払い。上段から袈裟掛けに夜月を振り下ろす。致命の一撃に血飛沫を撒き、尚も倒れ伏す事はない。
鮮血を溢し、虚空に手を伸ばすヴァルミラの目に薄らと浮かぶ涙。それは絶望か、後悔か。或いは誓いを果たせぬ未練だろうか…。
慈悲もなく、心臓を貫く大太刀を引けば鮮血が散り、一人獄炎に立ち尽くす。
夜神は激震に揺れる大空洞を見上げると、眼下に横たわる男に目を向けた。
「…ちっ…面倒に巻き込みやがって…そう言えばレインは無事なのか。あいつもきっと…いや、悠長な事を言ってる場合じゃないな…」
ぐらぐらぐらぐら…!
「…さて…」
「……………」
「…気持ちが分からない訳じゃない。けど、託されたなら信じてやれよ…。きっとそいつも、こんな結末なんて望んじゃいなかった筈だ…」
ざっ…ざっ…ざっ…
かくして激闘は幕を閉じ。沈む違和と疑念も今はまだ、胸の内に押し込め願う。
あの美しい銀色の髪が靡く様を。弾ける笑みを。全てを見透かすその瞳を。またもう一度。
それから暫し時は流れ。鬱屈とした日々の終わりを告げる目覚めは唐突に。一行が滞在する宿の一室にて、遂に彼女が意識を取り戻す。
「…………ん……ぅ………」
「…っ!シーア!」
「シア様っ…!」
がたっ…!
「シーア!」
「…う…ん…こ…こは…私……」
窓際に腰を掛け、街並みを眺め途方に暮れる。
また小さな精霊は彼女の横に。一人窮地を脱した男は椅子に座り手を重ね、女の目覚めを待ち続けた。
あれから一週間余り。光源に目を細め、混濁する意識と、聞き慣れた声に記憶を置き去り。
ゆっくりと身体を起こして目にする顔触れに、理解を得ぬまま受け止める。
精霊は枯れる程に流した涙を再び湛え。誰よりも早くその胸に飛び込んでいった。
「うぁぁぁぁぁーん!シアさまー!」
「シル…フェル…私は一体………はっ!あの魔族達は!?いえ、そんな事よりも私…生きて……それに手が…」
「手だけじゃないわよ。ほら、見てみなさい」
小さき友の姿を見て蘇る、凄惨な戦いと、惨めな末路。
次第に整合していく現実との乖離に声を上げ。レイシアはシャラに言われるがまま、ゆっくりと室内に誂えられた鏡に目を向けた。
「………これは…一体…」
さわ…さわ…
「………私の…顔…髪も…あの時炎に焼かれて…なのに…」
掠めた絶望よりも目を疑う事実に頬を触れ、髪を撫でる。
何がどうなっているのか。常であれば即座に気付く男の存在さえ遠く。鏡に映る自身の姿を見て惑うレイシア。
そんな彼女の様子を見て、薄らぐ罪悪感。
そこに在り、息をしている事に胸を撫で。レインもまた、心の底から彼女の生還を喜び、安堵の声を漏らした。
「シーア…本当に良かった…!」
「…レイン、貴方も無事だったのですね」
「……全ては兄さんのお陰よ。…あれからどうなったのか、気になる?」
「勿論です!一体…何があって…それよりも兄さんて…もしかして夜神様の…そう言えば、夜神様の姿が見えませんが…」
次第に取り戻していく平静と、追い討ちを掛ける嫌味な言葉。次々と湧き上がる疑問に揺れるレイシアを見てほくそ笑む。子供じみた悪辣も、独占を奪われると思えばこそ。
辺りを見回し、愛しい男の姿を探す。右往左往と視線を彷徨わせる姿に再び笑みを浮かべ、シャラは刹那に思慮を巡らせた。
…信用に、足るのだろうか。忙しなく駆けずり回る兄を引き留め、胸の内を聞きはしたが…それでも、拭いきれない不信感が残る。果たして、この先の旅を共に歩んで行けるのだろうか…。
「ふふっ…焦らないで。ちゃんと全部話すから。…けどその前に…レイン、あんたちょっと稼いできてくれる?シーアの快気祝いが質素なものになるのは嫌でしょ?…あたし達には今、そんな余裕もない事は知ってるわよね」
「え…あ…あぁ…そうだな…分かった」
「…シャラ…」
「シーア、また後で…」
「え…えぇ…」
すた…すた…すた…
ぎぃ…が…ちゃ…
そうして、ちらと目を向け暗に席を外すよう促す。目に見えぬ壁と、先程までとまるで違う、悪意の籠った辛辣。
これから語られる内容には少なくとも、レインに聞かせる事が出来ない話がある。同時に、意気消沈とした男の様子に違和感を覚えつつ、レイシアは静かにシャラの言葉を待った。
「…さてと。まずは目覚めてくれて良かったわ。これで兄さんの帰りを安心して待つ事が出来る。…そうでなくともあたしだって…随分と心配したんだから。この借りはいつか返してもらうわよ」
「えぇ。本当に…心配を掛けました。それで…」
「分かってる。そうね…何から話すべきかしら…」
二人きりとなった室内で交わす言葉は短くも重く。あれから幾日が過ぎ、どれ程の心労を掛けたのか。
想像に難く、後ろめたさの滲む声音で尻窄む。神妙な面持ちでこちらを見つめるレイシアと視線を交わし、シャラは忙しなく過ぎていった日々を振り返る。
『…お願いだから死なないでよね…でなきゃあたし…柊様に合わせる顔がない…!』
『……………』
今と同じ、室内のベッドに横たわる女の側で祈り願う自身の姿。
全身の殆どを薬液の染みる包帯に包まれ、美しかった顔も、綺麗な髪も…同様に。見る影さえ無くし浅い呼吸を繰り返す。
まだ拭えない決別の予感。張り裂けんばかりの胸の内。
巡る奇跡と不安を抱え、街道を駆けるシャラは夜の帷が降りる頃。ようやくフェルメースへと帰還を果たし…目にする異様に立ち尽くした。
『…何これ…まさか魔…』
だっだっだっだっだっ!
『どけっ!』
どん…!
『ぐっ…!いや…そんな事よりシーアは…良かった…あんなのに気を取られている場合じゃない。急がないと…!それにしても…一体何が…』
『急げっ!魔族が攻めてくるぞ!』
『あぁ…何でこの街に奴らが…』
『くそっ…お前達は住民の避難を最優先に行動しろ。全く…ギルドは何をやっている!』
(…やっぱり魔族絡みか。それにあの兵士が言ってるのって…まさか昼間の…そっか。情報が錯綜して皆んなこの街に魔族が攻めてくると思ってるんだ。緑髪の女…けど、きっともう死んでる。柊様の逆鱗に触れて生きている訳がない。あたしも、あたしの役目を果たさないと…!)
行く者と去る者で溢れ犇く大通り。右往左往と駆け急ぐ者達は我先に。また項垂れる男は絶望に打ち拉がれ。これを忌々しくも一瞥すると、指示を出す兵士が困難に顔を歪める。
厳戒態勢と言って差し支えない。聞きしに勝る魔族の脅威も捨て置き走る。
雑踏を掻き分け、逸る足取りのまま進み、シャラが辿り着いたのは、聖ヴィランツ教会フェルメース支部。
ばんっ!!
『…はぁ…はぁ…お願い…!誰か…助けて!』
かつ…かつ…かつ…
『これはこれは…聖ヴィランツ教会へようこそ。…祈りを捧げに来たようには見えませんが、一体どのようなご用件でしょうか』
扉を蹴り飛ばし、開け放つ教会に足を踏み入れ叫びを上げる。それ程に切迫した来訪者など、今でなくとも常日頃。
遅々として現れた初老の男はゆっくりと歩み寄り、外套から覗く焼けた肌に目を配せると、一層笑みを深めてそう尋ねた。
『ぐっ…』
(こいつ…やっぱり教会なんかに来るべきじゃなかった。そもそも……違うっ!柊様にも…兄さんにも言われたでしょ!今は…こいつの靴だって舐めなきゃいけない時。堪えろ…あたしは…あたしの何に代えても今を失いたくない…!)
すぅ…はぁ…
『ごめんなさい…ちょっと…いえ少し急いでいて…仲間が魔……魔物にやられてしまい重傷なんです!彼女と精霊を、神の奇跡で助けてもらえませんか!』
西方大陸に於いて、絶大な影響力を持つヴィランツ教国エイセム。その権威は大精霊の恩寵によって齎され、希少な回復魔法の行使によって人々を救う神の使徒と崇められる。
その力は仰々しくも神の奇跡と謳われ、死すら超越すると言うが…与する者の多くは己が優位に悪辣なやり口で下を見る、下衆な輩と耳に聞く。
噂に違わぬ卑しい目つき。獲物を見定める狡猾な視線。同族嫌悪とは言い難く、拒絶を示すには慣れ過ぎた。
神の使徒を前に唇を噛み、思い起こす男の言葉に自制心を取り戻す。シャラは一つ息を吐くと、己が自尊心を投げ打ち助けを乞うた。
にたぁ…
『それはそれは…なるほど。しかしふむ…外の様子はご覧になりましたか?残念ですが…来る戦火に備え、我々も魔力を…神の奇跡を温存しておかねばなりません。きっと、神も許してくださいます。貴方に咎はないのですから。…それでは、失礼いたします』
かつ…かつ…かつ
果たして。神の信徒を名乗る者。その言葉は希望を与えて奪い去り。愉悦を湛えにこやかに、身を翻して背を向ける。
男の言葉に嘘はなく。悪意の上に善性を貼り付け、無為な結果に見切りを付ける。…だとしても、引き下がれる筈がない。
言葉の端々に浮かぶ下卑た欲求。求めるものは圧倒的弱者の縋る様。媚び諂い、献上する様を見下ろし嘲笑う。そんな、侮蔑極まる悪辣を嫌と言うほど目にしてきた。
これはその報いだろうか。見え透いた演技に歪な音が小さく響いたその直後。シャラは耳に慣れたその言葉を口にした。
ぎりっ…!
『…言い値を支払います。だからどうか…彼女達を助けて下さい…』




