64.回帰
それから暫し時は進み。
魔都より離れた北東の地。切り立った山々に囲まれた山岳地帯にて。
『…ぅおらぁっ!』
戦士となったあの日から、飽くる事なく続く鍛錬の日々。
昨日よりも今日。今日よりも明日と見せつけられ。今も、女の焦燥を煽る剛拳が大地に轟く。
どーーんっ!
…ぴし…っ…
(……障壁に亀裂が…こいつ…また強くなっている。…このままではいずれ…)
『…その程度か。大口を叩いていた割に大した事はないな』
一足に駆け。気炎を上げて腕を振る。ヴァルミラの放つ拳が爆ぜると共に、魔力の障壁は軋みを上げ。チェルシスタが狼狽を悟られないよう嘲ると、再び距離を空けて睨み合う。
ざっ…!
『ちっ…!ならこれでどう…だ!?』
ずぅーんっ!!
『あ…あの…すいません…これも戦術だと…』
めりめり…
『ぐっ…!チェルシー!?くそっ、どうなってやがる!…がはっ!』
『…何度やっても結果は同じだ。…お前の攻撃は直線的過ぎる。魔法の一つも使えないのか』
地面に沈む顔を上げ。身に起こる異変に苦鳴を漏らし、悪態を突く。
言葉ほど変化もない打拳を繰り出す間際。ヴァルミラの視界は確かにチェルシスタを捉え、気付けば地に伏していた。
その性質は言わずもがな。中空を舞い。或いは落とし、潰して縫い付ける。チェルシーの魔法が重力に関係する事は既に、この身を以て知っている。
だが…短くはない鍛錬の日々を過ごす中で、ヴァルミラは一度としてチェルシスタの魔法を目にした事がなかった。
『…てめー…いつもいつも卑怯だぞっ!』
『…戯言を。戦場に卑怯も何もあるか。そんな様で魔都の戦士が務まると思っているのか』
今はまだ駆け引きも無く。見え透いた暴力に現実を突き付け。呆れた顔で溜め息を零すチェルシスタ。
しかし、一途に力を求めるヴァルミラの渇望、その先に垣間見る帝の片鱗は紛れもなく。言葉とは裏腹に、焦燥を駆り立てられる。
そして。これを遥か頭上より見据え。後に好敵手と成る二人の諍いに相好を崩す。
『…ふっ…』
紅炎の王は靡く髪と綻んだ表情に威厳を撫で付け舞い降りた。
ふわ…
『…随分な言われようではないか、ヴァルミラよ』
すたっ…
『へ…陛下っ!?』
ざっ…!
『アルティヴァ様!?』
『相変わらずだな。…チェルシスタも、そう硬くならずともよい。別段用があって来た訳ではない』
突如空から降り立つ王の姿に膝を着き、頭を垂れる。
チェルシスタに対し、間抜け面に狼狽を重ね。未だその身を伏して驚愕を叫ぶヴァルミラ。
久方振りの対面にも関わらず。まるで成長の無い姿に笑みを浮かべ。アルティヴァは鷹揚に応えると、続けてチェルシスタに問い掛けた。
『…して、鍛錬の調子はどうだ』
『はっ!城内の戦士達ではもう…奴の馬鹿力に及ぶ者はなく。単純な戦闘能力は頭一つ抜けています。が…陛下も知っての通り、ヴァルミラはその…頭が少々…いえかなり…それに…』
ざっ…ざっ…ざっ…!
『…てめー!チェルシスタ!お前今、俺を馬鹿にしただろ!?』
『…私が陛下に何を進言しようと私の勝手。それよりも…貴様はさっさと陛下の前に跪け!』
王の言葉を受け、背を振りちらと窺えば…今ようやくの足取りに、ヴァルミラが誹りを察して腕を振る。これに罵声を飛ばし…。続く諍いと、翳る事ない素直さを見て、脳裏を過ぎる破滅の悪夢とハッピーエンド。
「……………」
或いは…。共に立つ知己の一人でも側に居れば…この胸に這う騒めきも、拭えるだろうか。
此処から先、戦場に足を踏み入れば、嫌でも目にする凄惨な争い。
純粋さ故にどう振れるかも知れない危うさを憂い。また、辛辣なチェルシスタの言を受け。アルティヴァは静かに口を開いた。
『…あれは短絡的に過ぎる。…知を持って支え、抑止する者がなければ…力があるだけの木偶と同じ。だが…ふっ…貴様の言う魔法の一つも…これについては安心しろ。奴には相応の才が眠っている。だからこそ…。チェルシスタよ…その時が来るまで…貴様にあれを任せてもよいか…』
『……陛下がそう、望むのであれば』
『…そうか』
『おいおい、俺を退け者にしてアルティヴァ様と何を話してんだチェルシスタ』
『…お前の知った事ではない』
不意の勅命に対し…否。王の頼みに対し。僅かな逡巡を経て是と受けるチェルシスタ。
もう既に、幾年月を積み重ね。啀み合い。されど。忠義、その一点に於いてのみヴァルミラを戦士と認め共に在る。
先の懸念も同じく。胸の内は言葉にせずとも手に取るように。
秘めたる想いと言うには拙くも惹かれ合う。二人を前に、アルティヴァは再び王の威厳を纏い、激る炎と枯れた草木に火を落とした。
『ふっ…今はまだ時も満ちぬ。次はお前達が紡ぐ者になるだろう。その時こそ、我は三度見る夢の続きを語ろう。…ヴァルミラ』
『ん?』
『次は前線だ。あの日の言葉、我の欲する力がどれほどか…よもや忘れてはおらぬだろうな』
『あぁ……覚えてる。忘れる筈がねー。俺は必ず…あんたの求める力になってみせる』
『ならば良い。…チェルシスタよ、貴様の事は我とて認めている。が、まだ浅い。今よりも縋り、追いかけ、高みに手を伸ばせ。惹かれるなら共に駆け抜けろ。でなければ一人、劣等に沈みその背を見続ける事になろう』
『…お心遣い、痛み入ります…ですが、言われるまでもありません。必ずや、魔宮七帝の座をこの手にしてみせます』
かくして。王の激励に応える二人に曇りなく。いっそ屈辱さえ滲む決意に不意を受け。
その意気や良し。だがそれだけでは足りぬのが帝であればこそ。
我欲も薄く、向上心が無ければ手をすり抜ける。それが帝であればこそ。
ヴァルミラは嫌味な顔に一矢報いんと。チェルシスタは背を離さんと琢磨する。
それぞれが頂きを見据え、身に余る期待を真っ向から受け止めてみせた。
それから更に時は過ぎ。
『…ヴァルミラ!余り前に出るなっ!』
大陸西方に位置する始まりと終わりの国、ラルーア王国。彼の国の進軍を機に前線へと加わったヴァルミラは、後を追うアルティヴァの言葉を他所に、一人鬱蒼と茂る森の中を突き進んでいた。
だっだっだっだっ!
『はっ!…人間如きに…今日まで鍛えたこの身体を傷付ける事なんかできやしねー!』
『あのうつけが…!近年では精霊との契約によって魔法が扱える人間も増えていると話したばかりだろうが!…おいっ!聞いているのかヴァルミラ!…ちっ…!』
研鑽を重ね、今ようやくの前線に逸る想い。
そして。迎え撃つは人知の集積と、新たな出会い。
『…………魔族共…』
…あれから、どれ程の時が流れただろうか。
雷鳴が轟くと共に、闇から出でし魔の居城。
当時、送り出された兵はその悉くが見た事もない力によって殲滅されたと聞く。
火が、水が、土が地を薙ぎ払い。雷が、氷が、風が戦場を舞う。僅かに生き残った者達はこれらが一体何なのか、知者を集め解明に勤しみ。人ではない者達の力に抗うべく鋭い剣を。強固な盾を。頑丈な鎧を作った。
戦略と戦術を磨き、次世代の者達へと紡ぐ。そしていつの頃からか、戦は戦ではなくなり。そして今また戦へと変わる。
『っ…!?隊長!魔族が一人突っ込んできます!』
『…そうか…。長きに渡る因縁に終止符を打つべく、我ら人は遂にお前達に追いついた。慈悲のつもりか…背を向ける我らを嘲笑う為か。辛酸を舐めさせられ、屈辱に膝を折る日々も今日で最後…。精霊の加護を授かった者は私に続けっ!』
偶然の出会いと、彼等の言葉によって解した人の素養。
後に魔力の核と呼ばれるそれは、精霊にとって望むべくもない棲家となり。その代価として元素に連なる力を与えた。
『…何だありゃあ…ちっ…舐めやがって!蹴散らしてやるっ!』
だっだっだっだっ!
その出立ちはこれまでの兵士とは異なり。皆一様にローブを纏い、杖を掲げて微動だにせず。小さき友を連れ立ちはだかる。
『隊長…!』
『……放てーーーっ!』
渓谷を超え平原を歩き。幾つかの廃村を遠目に見ながら辿り着く異邦の森。
時に北へ回り砦を攻めようと。時に南へ下り街道を行く。或いは東へ大きく迂回し、奇襲を仕掛けようとした事もあった。
眠れぬ夜を過ごし、弄した策も敗走に終わる。
それもこれも、全ては魔法と言う圧倒的な力に抗う術を持たぬが故。
古くから魔力の存在は知れど。人による精霊魔法の行使は今この時より世界へと波及し、その歴史は現在を以って浅いと言えるだろう。
『さて…申し開きがあるなら言ってみろ、ヴァルミラ』
『…すいません…』
『…お前は頭が悪い』
『うっ…』
『…だがそれは純粋さの表れだと、我は思っている。とは言え、長く語ればきっとお前の頭は拒絶を示すだろう。…端的に言う。仲間を危険に晒すような真似はするな。お前を助ける為に傷を負った者達がいる事を知れ』
『……はい』
王の御前に呼び出され、叱責を受ける。その顛末は案の定、或いは自業自得と言うべきか。
待ち受ける兵士に囲まれ。四方から放たれる魔法に為す術もなく。ヴァルミラは駆け付けた戦士達によって窮地を救われた。
異邦の森での戦いは辛くも魔族が勝利を収め、人間達を退けたものの…。理想を掲げた王の意向に従い、守勢に徹した戦の被害は想像の遥か上。その一因とも言える行いを指し。今一度理想を説く王の言葉に、僅かな翳りが滲み始める。
『…よいかヴァルミラよ。我にとってはお前を含め、民の全てが護るべき大切な者達だ。攻めるのではなく護れ。人間達を滅ぼすのではなく、弱き者の盾となれ。…我がお前に望むのはただそれだけだ。一人でも多くを救え。…その先にきっと、我らの繁栄は在る』
粛々と。それでいて淡々と。アルティヴァは飽くるほど口にした理想を繰り返す。
聞くに及ぶ人の魔法。それも今はまだ脅威と言える代物ではないだろう。同様に。魔族も全ての戦士が魔法を扱える訳ではない。
激化する戦は眼前に迫り。此度の戦いにおいては目に余る犠牲を出した。
誰に限った事ではない。積み重ね、研鑽の果てに並ぶ者が現れた時、それでも理想を掲げ続ける事が出来るだろうか。
信じればこそ。湧き上がる不安を抑えるように…。そんな、王の機微を察した訳ではなく。ただ…その表情が酷く辛そうに見えたから…。
『…アルティヴァ様……俺達はいつまで耐えればいい…昔言ってた変革の時ってのはいつ来るんだ…』
『……我とて知らぬ事はある。それについてはお前達が戦士となった日に告げた筈だ。しかし…あれからもう随分と……柄にもなく、貴様がそのような事を宣うくらいには時も過ぎたか。…ヴァルミラよ、我が信じられぬか。我と共にただ朽ちるを寄り添えぬか…なぁ、ヴァルミラよ…』
『…いや…そうじゃねーけどよ…あんたが言うならいつまでだって耐えてやるし、たとえ死ぬまでに何も無かったとしても…恨みはしない。あんたに付いていくと決めたのは俺だ。あんたが言うなら…それがあんたのしたい事なら!俺が魔族を守ってやるっ!』
純心が憂う表情に口を衝けば、不意に零れる胸の内。それも幾千年。続けば漏れる葛藤に、誰知らず目を細め。
果たして軌跡に積んだ屍に誇れる未来など、あるのだろうか。
言外に是非を問い。縋るように戦士の答えを待つ王に向け、ヴァルミラは決意を叫んだ。
(そうだ…俺は貴方の為に。貴方の理想を支えると。そう誓い、共に魔族の繁栄を夢に見た。なのに…俺はあの日から何も変わっちゃいねぇ…!同胞の命さえ危険に晒して…はっ…絶望か…あの日よりもずっと、最悪だ…)
今は遠い、いつかの記憶に己が起源を顧みる。
ヴァルミラは刹那に笑みを浮かべ。命運を託すと共に憂い無く。であれば。頬を伝う血涙に懺悔を刻み。贖罪に散る身はもう、惜しくもない。




