61.紅の憧憬
そして。
『…何だよこれ………』
『死ねーっ!』
『魔族を滅ぼせっ!』
『これ以上、奪われてたまるかっ!』
『家族の為にっ!』
『傷を負った者はこちらに!早くっ!』
敵味方入り乱れての混戦に浮き彫りとなる異様な光景。戦いとは程遠い、一方的な攻勢をただ防ぎ、凌ぐ。
廃墟となった街を舞台に繰り広げられる争いを目の当たりに、ヴァルミラは人間達の醜悪さを知り、剣を手に身を潜めた。
『…何でみんな…戦わないんだ…』
難しい事を考えるのが苦手だった。短絡的で熱くなりやすく、抑えの効かない理性。そんな少年でも聞き及ぶ触れに準じ、大陸にある国の兵士を相手に大義を掲げる。
それも夢見がちな目には情けなく。幻滅するには十分。されどこれが大義なれば。
及ばぬ理解。惑う心に芽吹く怒りが向かう先。これを導く出会いは唐突に訪れた。
ばさっ…!
『人間達は出来る限り殺すなっ!光差す未来はいつか必ず訪れる!…幾星霜を耐え忍び、貴様らの次が!安寧を送る為の今を踏み止まれ!紡いではならぬその想い、統べた暁にはこの我が!必ず果たすと約束する!』
『…あれってまさか…!』
天高く。二枚一対の羽根を広げ、槍を手に叫びを上げる。
魔都より遠く離れた辺境の地へ赴き、御自ら指揮を取る姿に俄然漲る力と魔力。
風に揺れ、紅の髪が靡けば無理難題に抗う者達の心に希望の火が灯る。
失望の果て。これを見上げた少年は堪らず身を乗り出し、声を張り上げた。
ばっ…!
『魔王様…!あんたは何で戦わないんだっ!』
『……あれは…』
『俺達はもう、皆んな失いたくないんだ!あんたがその気になれば人間なんか敵じゃないだろっ!?』
『…近くの町の者か。このような戦場にたった一人で…それ程までに追い詰めてしまっているか…痛烈と言う他にないな。無垢とはかくも恐ろしく…その想いと命、蛮勇と切るには些か惜しい』
ちら…
戦渦に響く雄叫びを裂いて、空へと昇る切望。
僅かに瞼を伏せたとて、苦衷に喘ぐ民の言葉が耳に痛い訳ではない。
立場が変われば正義も変わり。想いは時と共に風化する。
だからこそ。足りぬ言葉に身を賭さんと戦場に立ち。見つけた明日の光はまだ小さく。眩いからこそ目に止まる。
それが戦場とあっては尚の事。誰に限った話しでもないだろう。
武器を手に少年へ駆ける兵士を捉え、魔王と呼ばれた女は何を思い、憂いを零すのか。
だっだっだっだっ!
『魔族共!この地から出て行けっ!』
『えっ…』
そして間も無く。背後に迫る足音を聞いて振り返る。
凶刃を防ぐ術など知らず、想い一つで駆けてきた。
訪れる窮地に身は硬く。巡り、馳せる夢すら持たずに振り下ろされては、過ぎるものもありはしない…。
言葉もなく。ただ剣尖を見つめる少年の視界は突如、鮮血のように紅く美しい髪に染められた。
ぎーーーんっ…!
『…我らの行く末を託すに足る、純一無雑な煌めき。悪いが…今ここで殺させる訳にはいかぬな』
『なっ!?何処から…』
しゅっ!
めりっ…!
『がはっ!』
どーんっ!
『嘘だろ…魔王……様が俺を…』
『陛下!』
光輝を放つ槍を振り、石突きで敵を穿つ。まだ振り返らぬ背を見つめ、少年は幾多の戦士を差し置く救いを噛み締めた。
使えもしない武器を手に、戦地へ飛び込む馬鹿ではあるが、愚かではなく。友が、同胞達が彼の方であればいつかきっと。そう口を揃えて耐え忍ぶ。崇拝とはいかずとも、信頼と、尊敬の念があればこそ叫びを上げた。
何がしたかった訳じゃない。何が出来ると思っていた訳でもない。ただ、居ても立ってもいられなかった。果てに想いが引き合わせ、いつかの未来を担う歯車が動き始める。
『問題ない。それよりも…戦士ではない者が何故戦場にいる。嘆願か、友や家族の仇でも討ちにきたか…まさか剣を抱え死ぬ気であったなどとは言うまいな』
『……何で…?何でじゃねーよ!魔王様!何であんたは戦わないんだ!皆んな…あんなに怪我して、傷付いて…死んでいくのを見ているだけなんて出来る訳ないだろっ!』
『小僧、貴様っ!』
『…よせ。これらの世代は知らぬのだ。無理もない…』
値踏み。問いかけ。兆しを見る目に適う答えは全てに掠め、全てと違う。
胸を打つ純心と、手を振り叫ぶ衝動が、言わずと知れた惨状を知らしめる。
至らなさに歪む表情を取り繕い、痛撃に耐え。見えぬ辛辣ではないと目を伏せる。
また同様に。発すべき一声は感謝だと理解していた。なのに。悔しさに憤り口を衝く。
問われたなら、そう答える以外に言葉などなかった。
そんな少年に対し。彼女は小さく呟くと、頭に手を乗せゆっくりと口を開いた。
ぽふ…
『民を不安にさせる…不甲斐ない王ですまない。だが、信じてほしい。いつかきっと調停を成す者が現れる。その時こそ、私は魔族の誇りを取り戻し、更なる繁栄の礎を築くと誓おう。だからそれまで、今暫く耐えてほしい』
『……本当に…我慢してれば争いはなくなるのか…』
『あぁ、約束しよう。今は家族を。友を。同胞の想いを胸に刻む時。…心優しい戦士よ。名を、聞いておこう』
『…ヴァルミラ…ヴァルミラ・スパーク』
『強さと気高さが響くいい名だ。ヴァルミラよ。その心根を大切にしろ。何があっても汚さぬよう積み重ねるんだ。来る改革に準じ、変革の時を待て』
『……あのさ魔王様、心根?って何だ。改革とか変革ってのも良く分からねーけど』
忘れた訳ではない。悲しみに暮れ、怒りに身を焦がす日々。恨みつらみはあれど前を向き、紡ぐと決めた。
貫いた思想。残された遺志。目指した夢も確かに覚えている。だがしかし。語られる言葉はあの男を彷彿とさせ。先を知るが故に満ちるまでを強いる。その全てが読み解けぬ思い込みであったなら。
或いは、今こそが必然であったなら。
信じ待ち続ける者。痺れを切らし、待てぬ者。きっと違うと求める者。こうであると盲目に追い縋る者。知らず核心に至る者。興味もなく、諦めた者。そして全てを知り、時を待つ者。
今から数百年後。魔宮七帝が揃うのも遠からず。誰にもある。出会いと積み重ねの日々が、関わりの意味を変えていく。
『ふっ…今は分からなくても構わない。戦場に踏み入る気概があるならいつか、我の助けとなれる男になってみせろ。そして…アルティヴァ・ルミナーレの欲する力はこれ以上と知れ!』
ぶわっ…ご…ごごごごーーーっ!
『すげぇ…!』
『…魔都で待っている』
少年と戦士を残し背を向ける。アルティヴァが魅せる紅の魔力に憧憬を抱き、意志と夢を手に入れる。
交わした言葉の意味など今でなくとも分かりはしない。
けれど、座して死する為の戦いではないのだと知り。機を窺い続けるなら間に合うのだと己を高めた。それも、愛しの君が在ればこそ。
刹那に魅入る幻想を裂き、炎の切れ間に覗く姿は重ならず。
抑揚のない声が夢の終わりを告げると共に…揺れる煙火を割って進む足音が、あの日の出会いを遠ざける。
ざっ…ざっ…ざっ…
「…………そんなものか」
「…っ!?それはチェルシスタの…くっ…くはははははははっ!そうでなくちゃ面白くねぇ…容易く死んでくれるなよっ!」
しかして。顕となる身は薄闇に覆われ事も無く。
絶対防御と言い張る女の嫌味な顔が目に浮かぶ。それもまだ、焦燥を抱くには些か早く。狼狽えこそすれ至らなかった訳ではない。
憧れで焼けぬなら、捧げた拳で打ち抜くまでと奮起する。ヴァルミラは気炎を上げてその場から飛び出すと、豪快に腕を振り抜いた。
だっ…!
「おらぁっ!」
どーーんっ!
びきっ…!
「……………」
「…偉そうに言った割に大した事ねーな。引き摺り出してぶち殺してやる…!」
空気を震わす激突音。爆ぜる拳は赫く揺らめき。魔力によって作られた障壁が呆気なく軋みを上げると、僅かな距離を隔て睨み合う。
確かな手応えに口角を上げ、言うが早いか次を構えるヴァルミラ。対して。夜神はこれを冷めた目で見つめると、再び抑揚の無い声で吐き捨てた。
「…御託はいい。出来ると思うならやってみろ」
ぴくっ…
「…上等だ…!うぉらぁっ!」
どーーんっ!
びききっ…!
値も付かぬ程安い挑発に青筋を立て。再びの衝突に広がる亀裂。更に。終わらぬ動きは澱みなく。腕を引いて拳を握る。
一度で駄目なら何度でも。ヴァルミラは刹那に疾る紅を散らし、鉄壁を叩く連打を繰り出した。
「おらおらおらおらぁぁっ!」
ばき…びき…ばきばき…びききき…
「砕け散れっ!!」
ばりーーんっ!
「……誰かの大切な者に手を掛ける。それがどれだけ愚かしい行為か…お前には、その覚悟があるのか…」
果たして。二人を別つ障壁は打ち破られ、眼前に踏み込む男を見て口走る。
いつ以来かも分からない。自由を手放す意味を噛み締め。痛みと苛立ちに堪えねばならぬ不自由を憂う。
…仮にもし、立場が違っていたならば…。許容せず、然りとて否定もしないと。憐れみ、問うた言葉もその意味までは届かず。
今までよりも更に。ヴァルミラは膨張する魔力を揺らし、強撃を放った。
「何をごちゃごちゃ言ってやがる!これでお前を守る盾はねー!くらいやがれっ!」
ひゅっ!
「なにっ…!?」
「…別に驚く事じゃないだろ。どうやら覇天核に思うところがあるようだが…」
ぶぉんっ!ぶぉっ…ぶぅぉんっ!
「ちぃっ!」
ぎぎっ…ざくっ!しゅっ!
「その力を知らずに手を出してきた訳じゃ…ないんだろう?」
「…ぶっ殺す!!」
身を翻し、回り込むように交差する。一瞬に差し翳す刀と、置き残す言葉。
胴を、足を浅く斬り裂くと、男は噴き上がる炎を背に佇み。
為す術も無く。弄ばれ、渾身の一撃が空を切る事実さえも怒りに呑まれ。まだ決定的とは言い難い力の差に意気を撒く。
ここから先、悟らざるを得ない天地の開き。覆らぬ絶望を突き付けられ、ヴァルミラは積み重ねた想いを想起し、及ばぬ後悔を知る事になる。




