58.神頼み
ざっ…ざっ…ざっ…
がしっ…
「……………」
「…どんだけ執念深いんだこの女」
しかして今までよりも更に。地獄と化した大空洞に横たわるそれを徐に掴み晒し上げる。
身体は焼け焦げ、左腕は文字通り、灰となって失われた。足は黒く炭化し、それでも尚。女の姿に畏怖を抱いて呟きを落とす。
ヴァルミラから距離を取り、岩陰に身を隠すチェルシスタは間一髪難を逃れ。泣き喚く精霊を横目に、様子を窺っていた。
どんどんっ!
「シア様っ!シア様っ!!」
「やめろ…お前まで殺させる訳にはいかないんだ。大人しくしていろ」
変わり果てた女の姿を見つめる精霊は大粒の涙を零し。魔力の檻に囚われた声は虚しくも木霊する。焼けた腕を振り、これを叩き割ろうと足掻いてもびくともしない。
結果としてレイシアの言葉通り。けれど共に在りたかった。それでも構わない覚悟があった。それ程までに、慕っていた。
チェルシスタは宥めるように声を掛け。間も無く。静けさを取り戻す迷宮に不気味な足音が響いた。
ざっ…
「っ…!」
(……気のせいか…)
或いはもう少し。注意深く探っていたなら気付けたかもしれない。一直線にこの場へ向かう大きくはない女の気配。それは有象無象に紛れながらも消える事なく在り続け。
求められたのならいざ知らず。彼女はいつだって男だけの味方。であれば、違和を感じる事くらいは出来ただろう。
激震に揺れる迷宮。魔物は氾濫したと思い込み、熱波が階層を駆け巡る。登ってきたとて避けて通り。ましてや下って来るなどあり得ない。先入観が曇らせる。チェルシスタをしてこの有り様。なら…。
めきめき…
「待っていろ覇天核…!お前を殺し、力によって奪い取るっ!アルティヴァ様の無念は俺が必ず晴らしてみせる!」
連なる者の死を手に顔を歪め。果たすべき復讐の第一歩に想いを馳せる。
後に混迷を極める覇天の行方。一人ではない二人の啓示。まだ始まりに過ぎない物語の先を見る。ヴァルミラの目に映る魔族の勇姿は突如、視界を占める悍ましい男の顔に霧散した。
ひゅっ…!
ぶぅぉんっ!
「……………死ねよ」
「ん…?…なぁっ!?…ぎ……ぐっ…!」
ぎーーーーーんっ!
どっごーーーーーんっ!!
一瞬の邂逅に悟る強者の殺気。その顔は悪魔か死神か。
色の無い瞳は久しく感じる死を突きつけ、咄嗟に女を放し腕を交差する。それでも、抑えきれない膂力に振るわれた何かに押され。ヴァルミラは火噴く獄炎の先へと吹き飛ばされた。
「なっ…!?ヴァルミラを一撃で…何者だあの男…」
「シア様…!シア様ーーーっ!」
「…っ!?待てっ!…ちっ…魔牢閣が何故…!いや、今はそれどころじゃない…」
驚愕に知らず身を乗り出し。次いで羽ばたく精霊に声を荒げる。
何人も触れる事叶わぬ堅牢な檻。それが意図せず消失する不可解に目を剥き取り乱す。一瞬の狼狽を捨て置き、気配や魔力は無くも、本能が悟る存在感に離せぬ視線。その先に立ち尽くす男は、何故か糸が切れたように膝をついた。
ざっ…
「…っ……………」
言葉にならない声を飲み込み、現実を遠ざける。
黒く染まったそれに身動きは無く。一見して人とは言い難い。なのに何故か。そうだという確信がまとわりついて離れない。
焦げた髪に混ざる銀色の髪。毎日のように見ていた安らかな寝顔。身の丈も、焼けた装備も。積み重ねに押し付けられた存在は、どれだけ首を振ろうと男の否定を許しはしない。
悲しみは虚無を生み。絶望に沈む心。これをして、憤る精霊をまだ知らず。ただそれだけが目の前に在れば男の名を呼ぶ声すら遠い。
ひゅんっ…!
「…ヨルカ…!ヨルカー!!」
「………………」
がしっ!
ぽかぽかぽか…!
「遅いよっ!遅いよ…何でもっと早く来てくれなかったの…!シア様はずっとヨルカが来てくれるって…信じてたのにっ…!」
いつかのように明滅を繰り返し、勢いよく掴み掛かって胸を叩く。人の気も知らず心を抉る様は確かに。彼女の精霊と言えるだけの強さと純粋さを持ち合わせ。
たった一言。たった一つの言葉に我を取り戻す。男はゆっくりと視線を下げ、傷付いた少女の姿が物語る結末に現実を受け入れ始めた。
「……こいつの…精霊か。……遅くなって…すまなかった。………お前…その身体…そうか。必死に守ってくれてたんだな…ありがとう」
なで…
「うっ…うわぁぁぁぁぁんっ…!」
淡い緑色をした小さな羽と人の身体。見上げる顔立ちは子供のように幼く。よくよく見れば羽も、身体も所々が焼け焦げている。
悔しさの滲む涙。悲しみに暮れる言葉。怒りに燃え、細い腕を振る姿を見れば一目瞭然。
不甲斐ない自分に代わり、身を呈して守ってくれたのだと。夜神はその想いを汲み取るように優しく精霊の頭を撫でると、やるせなさに瞼を伏せ。そして間も無く…横たわる女に手を伸ばした。
すっ…
「シア様……」
「…レイシア……俺は……」
ぎゅっ…
そっと腕に抱く。今にも崩れ、消えそうな身体は焼けるように熱く。気付く筈もない。最悪を見て思い至った己を憐れみ、自虐的な思考が頭を巡ると、愚かさに怒りが込み上げる。
後悔をしないよう、踏み込まぬ先の後悔とは皮肉が利いているにも程がある。
どうすればよかったのか。何をすればよかったのか。ともすれば出会いまで遡りそうになる後悔を抱く程の想いはいつ、芽生えたのだろうか。
「…ずけずけと…これだけ人の心を掻き乱しておいて…勝手にいくとか…そんなのないだろ…」
『…あ…貴方を愛しているからです』
それは唐突に始まり。
『…良かったぁ!』
確かな爪痕を残し。
『私にとって夜神様、貴方は…貴方と共に征けるなら、何を失っても構いません』
想いを知った。
「…お前を…助けに来たんだ…。助けたいと思って来たんだ…!間に合わなかったなんて…そんな事があってたまるか…!まだ、始まったばかりだろ…何で…いつもいつも俺は…!」
幾度となく積み重ね。見て見ぬ振りに突き放し、それでも女は押し付けてきた。
臆病な自分を蔑むと共に押し寄せる。悲観に暮れる気持ちはやがて狂気に満ちた現実逃避を生み出し。破綻していく想いは光を失い歪に流れ込む。
気配は無くとも湧き立つ覇天の魔力は、まるで男の混沌とした感情を映すように。薄闇ではない漆黒に極彩色を重ね、辺りを包み始める。
ご…ごご…ごごごごご…!
びき…ばきばき…びききき…!!
「…っ!?……ヨルカ…なにこれ…ねぇ、ヨルカってば…!」
「…見透かした気になって…自分の事さえ見えないくせに!…失ってからでは遅いだと…一番分かっていないのは俺だろうがっ!…救い難い…俺は、なんて馬鹿なんだ…!」
「これはっ!?一体何が起こっている!?…原因はあの男か…!」
「………………」
(…始まった。あの時と同じ…いや、まだオレの存在を知らないんだ。無意識にこれだけの魔力を放ったらどうなるか分からない。…だとしても…!ヨルだけは必ず守ってみせる!)
喪失を抱き、男の叫びと共に訪れる破滅の刻。事ここに至っては腕を引き、声を上げようとも届かない。困惑に、辺りを見渡し狼狽えようと及びはしない。
いつかの日。怒りと共に爆ぜる魔力は全てを飲み込み。最上位とは言え消し去る事が出来なかった覇天の魔力。或いは。更なる覚醒の果てになら、望む術もあるのだろうか。
人になりたいと切に願う精霊の想い。今はまだ、怒りよりも終わりの始まりを憂う表情は影に見えずともありありと。そして。絶望に飲まれる男はゆっくりと顔を上げ、深淵に呟きを落とした。
「…どうやら俺にとって、お前がいない世界はこんなにも暗いらしい。…そう見えるようになって初めて気付くなんて…俺も大概。人の事は言えないな…」
色も、時も無く隔絶された闇の中で。女を抱きながら空虚な空を見つめ、後悔を口にする。
落ち着きを取り戻した訳ではない。現実に耐えられず逃げ込んだ。脆くて弱い男の心。
「お前達となら…そう、思い始めていたんだ。…戸惑うくらい。抑揚のなかった心が揺れるのを感じてた。…なのに……!合わせる顔もないが…全てを終えたらあの男には謝りにいかないといけないな…償えと言うならそれでも構わない…」
見る影もなくなった女の顔に視線を戻し、悲しみを零すと、知らず歯を食いしばる。
脳裏を過ぎる約束は意味を無くし。覚悟と宣う心は言葉程ではない。きっともう、男にとって未練を残す世界ではなくなったというだけの事。
別に、いつ死んでも構わなかった。やりたい事がない訳ではないが、縋る程でもない。ありきたりな生に、価値を見出し始めた矢先の喪失。
これを経て。誰も知らない男の想いは、積み重ねに得た彼女の対価と巡り。いよいよもって感情は憤怒へと至る。
「それ程にお前を…大切だったと、あいつの気持ちが分かるくらい大事だったと!今なら思えるんだ…それを…こんなにしやがって…!魔族…あいつらは俺が必ず滅ぼしてやる。二度とその姿を見る事がないように一匹残らずだ…!」
湧き上がる殺意と共に虚しく響く男の叫び。その哀哭を覗く彼女もまた、喪失を恐れ。全てを消し去る闇の力。広がる極彩に諸共飲み込まれてしまったら。繰り返す時を経て、いつかと同じように色を失ってしまうだろう。
精霊は男の為に。男は女の為に。連なる想いは連鎖し。喜びも、悲しみも、破滅さえ紡がれていく。最悪を考えれば大袈裟ではない世界の命運は、男が繰り出す言葉の先に委ねられた。
「…でもその前に…どうすればいいかなんて分からないが、まだ諦めきれないんだ。…あの日、出会った時に…お前は何でも出来るって言っただろ…だったら…奇跡の一つくらい叶えさせてくれ…」
果たして。男の口から飛び出す神頼み。らしくない。柄じゃない。藁にも縋るとは正にこの事。
けれどその表情は馬鹿にしようもないくらい切実で。誰も信じる事が無かった男が女の戯言を信じて語る。
気付く筈もない。一見して生きているとは言い難い姿。脈は。息は。心臓は。確かめるまでもなく、死んでいると決めつけた。
愛すら凌ぐ。妄執と言っても過言ではない生への執着に。気付く筈もない。怒りと悲しみに震える男の思考に、そこまでの余裕などある筈がない。
今までよりも近く。今までよりも強く抱き締めては顔を寄せ、目を閉じて切望を口にする。
「初めて目にしたお前は…何かを祈っていただろう。そうする事で叶うなら…幾らだって祈ってやるし願ってやる。…奇跡の値段が安くない事くらい理解しているつもりだ。俺で払える代償なら何だってくれてやる…だからもう一度…!こいつは…レイシアはもう俺にとって…」
きっと二度は見ないと誓う。零れる涙が女の頬を伝うと共に。叫び項垂れ、縋り想いを曝け出す。臆病な男に応えを返そうと必死に這い寄る死を遠ざけ。女は触れ合う顔にそっと、生命の息吹を伝えてみせた。
「………………」
ばっ…!
「……っ!…今……息を…しなかったか……」
ぴしっ…ぴしぴし……びき…ぱきっ…!
驚きに顔を上げ、目を剥き見つめ声を漏らす。その余りにも埒外な出来事に思考は囚われ。光差す希望に知らず心の闇が軋みを上げる。
願い、求めたそれが降って湧く。男にとっては目を疑う奇跡。しかし、女にとっては常と変わらず。意識があろうとなかろうと。死ぬ寸前であろうとなかろうと関係ない。
共に在りたいと望む心は揺らぎもせずに。愛すら凌ぐ想いはいつだって、男の声に応えてみせる。
「………………っ……」
「…嘘……だろ………まだ……生きてるのかっ…!?こんな…状態で……いや馬鹿が!言ってる場合じゃないだろっ!」
ぱりーーーんっ!!
しかして遂に。聞き間違えとは言い難い呻き声に闇は裂かれ。心と世界が動き出す。




