57.業火に焼かれ
「ねぇシア様…これって…」
「…そう…思っても良いと思う?」
「うん!きっと助けに来てくれた!」
「ふふっ。そうね…なら、余計死ぬ訳にはいかない。力を貸して…!」
悲鳴を上げる迷宮を見上げ、一人と一匹の脳裏に過ぎる。溜息を零し、面倒臭さを隠しもしない男の姿。
そうであってほしい。いや、そうに決まっている。であれば俄然やる気に溢れ頷き合う。
そしてもう一人。叛逆に袂を分かつ女は業火を浴びて事も無げ。けれど状況は、致命傷では済まない程の大惨事。
得意とするのは魔力の感知に止まらず。なのに何故か。在る筈の気配にすら気付けない。
どろ…ぐちゃ…
「…ヴァルミラの奴…遂に本性を現したか。それにしても…この揺れは地震か…。大きな魔力の感知はない。気配も変わらず……いや…魔物の数が減っている…?」
(あいつの魔力に当てられて迷宮を出たか…氾濫は予定にない。近くの街に雪崩れ込んだら私まで叱責を…なんとかして奴を止めないと。それに…もし本当に今代の、それも覇天の仲間だとしたら…あの女にも死なれてもらっては困る…!)
煌々と沸る紅蓮の中から姿を現し。不可視の障壁に覗く迷宮を見上げ。これに至る因果を見誤り、思慮を巡らすチェルシスタ。そんな彼女の憂いも遠からず。
焦燥に駆られ切り刻む。までなら異変もないだろう。先の一撃においては一線を越え。有象無象が這い出せば、一刻を争う事態に辿り着けるかも分からない。…全ては男の為。
覇天に棲まう彼女には痛い程分かっていた。失ってしまったらきっと、あの日を繰り返す。
指向もなく、存在を知らぬ今。きっと、全てを飲み込んでしまうだろう。だから彼女は消し去った。波及する魔力の気配そのものを。
「…シルフェル、私の考えてる事分かる?」
「うん!…でも…出来るか分からない…」
「貴方なら大丈夫。…それと約束して。もし上手くいかなかったら貴方だけでも逃げて。そして夜神様に全部話すのよ」
「………分かった」
「良い子ね。…行くわよ!」
「うんっ!」
伝わる意志に不安を呟き。果たして成せるかどうかは五分と五分。敗走すれば背を撃たれ、真っ向から立ち向かえば死を免れない。
けどあの男が来るのなら。決死の時間稼ぎを敢行し、一秒でも長く生きて待つ。
全霊を込めた魔法。その閃きは風の精霊にとって埒外のもの。それでも。彼女はレイシアを信じ、覚悟を決めた。
ざっ…
「…ぐ…っ…」
「ちっ…てめーはさっさと死んでろ!」
とは言え、満身創痍は変わらない。微かな希望に手を伸ばし、一歩を踏み出せば知らぬ安堵に激痛が蘇る。
計略に思考を巡らせ、剣を構える。ふと我に返ったヴァルミラが煩わしさに苛立ちを覚え手を翳すと、レイシアは果敢にも捨て身の突撃を決行した。
「…はぁぁぁ……ふっ…!」
だっ……だっ……だっ……だっ……
「…くっ…くはははははは!気でも触れたか!いいだろう、望み通り焼き尽くしてやるっ!」
「シア様っ…!」
息を整え、剣を握り地面を蹴る。その力強く、鈍重な特攻は蛮勇と言うにも程がある。的どころではない。殺してくれと言わんばかり。
身体は鉛のように重く、足は枷があるかのように進みはしない。女の意図不明な行動に、刹那。魔力の流れが途絶える。
願ってもいない油断。一瞬の隙。千載一遇の好機にシルフェルが叫びを上げた直後、一陣の風がレイシアの背を強く叩きつけた。
ぶぅぉんっ!
「ぐぅっ………はあああぁぁぁぁぁぁっ!」
「なにっ…!?」
それはもう駆ける。ではない。無理矢理な加速に顔は歪み、けれどその目は敵を見据え、手に持つ剣を放しはしない。
態とらしい声を上げる男へ放つ渾身の一撃。後はもう小さき友に全てを託し。これを受け止められる事など、百も承知。
がぎーーんっ…!!
「…とでも言うと思ったのかっ!?」
「…シルフェル!今よっ!」
「っ…!!」
(シア様…!あと少し…後少し!)
きーーーーんっ…!
その手に剣を掴み。嘲り、見下ろす。拮抗とは程遠い力の差。けれど一瞬を拾う突貫は功を成し。何処へ消えたのかと思いきや。僅かに距離のある場所で、懸命に魔力を高める。
風と言って思い浮かぶことなど精々が斬り裂き、斬り刻み、吹き飛ばす。否。レイシアがシルフェルに求めたのは穿ち貫く事。
風の刃を折り重ね。螺旋を引き絞る。甲高い音を響かせるそれは宛ら風の矢とでも言うべきか。
しかしそれは、中位精霊にとって容易いものではなく。この間に、意図を察したヴァルミラが半身を翻す。
「精霊…馬鹿が…!黙って寝てればいいものを…死にやがれっ!」
祈り、焦り、歯噛みする。切望まで僅かに届かなくとも嘆くにはまだ早い。
ヴァルミラが手に力を込め剣を砕く刹那。右手を突き出し魔法を放つその刹那。異変は突如として彼を襲った。
ずぅぅぅん…!
めきめき…
「っ…!?何…だ…これは…身体が…!?」
「ご…ごめんなさい。でも…謀反を企てるヴァルミラ様はもう…魔宮七帝ではありません…」
「チェルシィィィィっ!!」
「あれは…」
相も変わらずおどおどと。引け腰に言い放ち、両手を向ける。見上げれば、宙を漂う可憐な少女が目に映る。
先程までの妖艶な出立ちとはまるで異なる姿に困惑し、呟きを落とすレイシア。
新手。であれば絶望を通り越す窮地。だが、怒声を上げる男の様子に違和感を覚える。
身じろぎもなく、僅かに下がる顔の位置。地面を割って沈む身体を見て、不可視の何かに押し潰されているのだと理解する。
予想だにしない仲間割れ。誰とも知れない魔族の助けに時が満ちると、翠緑の精霊はその手に一矢を構えた。
「…シア様を傷付けるヤツは許さない!シア様を…あんなにしたオマエを許さないっ!!」
「シルフェル…」
見るに堪えないその姿。彼女は知っている。レイシアがどれ程あの男を愛しているか。
傷物どころではない。女として大切なものを失った。
変わり果てた姿を見て、あの男は何を口にするのだろうか。
怒りとも、悲しみともつかない表情で睨み付ける。それは小さな精霊の胸に込み上げる大きな、大きな憤激の矢。
「貫けぇぇぇっ!!」
しゅっ!!
一直線にヴァルミラへ疾り、刺し貫かんと勢いを増す。文字通り、全霊の一撃。もはや魔力どころか気力も、体力すらも残ってはいない。
穿つまではいかずとも、吹き飛ばせれば上々。後は祈り信じて男が助けに来るのを待ち侘びる。
ただそれだけ…たったそれだけの数秒を、許しはしない。
世界はいつだって、誰かに対して残酷だった。
「……この程度で…俺を止められると思うなよっ…!」
「…っ!?これは…さっきの!?」
「…まずいっ…!」
(近すぎるっ!女は間に合わない…せめて精霊だけでも!この状況を弁解出来る者がいなくては魔族の未来がっ…!)
「え……なに…?」
眼前に迫る風の矢がその身に触れる間際、褐色の肌が赤く燃え沸る。出会い頭の一撃と同じ。
高まる熱に危険を察するレイシア。同時に、チェルシスタが宙空から舞い降りる。そして…。
やりきったと思っていた。やってみせたと誇っていた。なのに…精霊はただならぬ雰囲気に不安を煽られ。契約者が向ける優しい笑みに理解も及ばず。…何かを呟くレイシアの想いだけが、彼女の胸に伝わった。
「………………」
(シルフェル…貴方は生きて…夜神様の元へ…)
「…っ!…シア様…シア様ーーーっ!!」
「諸共灰になれ…!」
気付いた時にはもう遅い。
シルフェルの叫びは噴き出す業火に消えていった。




