55.二度目はもう…
ざっ…ざっ…ざっ…ざっ…
「…妙だな」
「気配はありますが…襲ってきませんね」
「え?戦わない方が楽ちんじゃないの?」
「シル、事はそう単純じゃないのよ…」
(それに…さっきの大きな魔力…何処に行ったのかしら…)
異様な雰囲気に包まれる迷宮内。間に間に感じる気配は次第に遭遇どころか身動きもせず。まるで、何かに怯えたように静けさが漂う。
まだあの時程ではないのだろう。これ以上になれば氾濫は免れない。危うい均衡に不穏な空気。そしていつの間にか消えてしまったあの日の男と遜色の無い魔力。
絶えず警戒を続けながら迷宮を戻り、地下十三階へと続く連絡路を前に足を踏み入れる大空洞にて。その時は遂に訪れる。
ざっ…ざっ…ざっ…ざっ…
「………………」
(やはり冒険者か。それにしては随分と軽装だな…)
「…流石に気のせい…とは言えませんが…私達以外にも冒険者の方がいるのであれば、差し迫った状況ではないのかもしれませんね」
「…あぁ、そうだな。少ないとは言え気配が無いわけじゃない。どちらかと言えば魔物の動きの方が気になるくらいだ。…街に戻ったら一応ギルドにも報告しておこう」
常であれば少なくない魔物が徘徊し、本来は避けるべき魔窟と言って過言ではない大空洞。しかし、魔物の気配も少ない今に限っては近道とも言える。そんな場所に冒険者が二人、こちらに向かって歩いてくる。
外套を目深に被り、手に武器は見当たらず。これを目に捉え。訝しんでも警戒する程ではないと言い聞かせる。
緊張の続くここまでの道程。疑念よりも寧ろ、他者という存在にレイシアが胸を撫で下ろすのも無理はない。
ざっ…ざっ…ざっ…
「…ただの冒険者だ。恐らく異変を感じて中層から戻ってきたんだろう。…殺すなよ」
「……………」
同様に、無為と知りつつ魔力を探り。勝手をされては堪らないと見限れず。まだ僅かに距離のある一行を目に留め釘を刺す。
これを聞いているのかいないのか。先の諍いから不機嫌さを隠しもせず、二人と二匹を視界に収めるヴァルミラ。
一歩。また一歩。険しい表情で辺りを窺う精霊の努力も虚しく、彼我の距離は縮まっていく。
「「………………」」
「「………………」」
ざっ…ざっ…ざっ…ざっ…
そうして遂に。交差し、擦れ違う。刹那の邂逅に言葉は無く。特筆すべき事は何もない。
しかし、どうだろうか。或いは魔族と言う種族が魔力に対して鋭敏な感覚を持っているとしたら。
連なり、核の違いを知る術を持っているとしたら。
いや、そうでなくとも特定の魔力を見知り、嗅ぎ分ける事が出来るとしたら…。
…ふわっ……
ぴくっ…
世界が揺れる。歩みに揺れる小さな風が運ぶ芳醇な香り。それはいつかの日、あの泉で彼女が誘われた香り。
特別で。抗えず。追い求め。そして男が今尚屈し続ける怨嗟の呪縛。
遅れて漂う覇天の芳香に鼻を擽られ。ヴァルミラは凶悪な笑みを湛えて振り返った。
「くっくっくっくっく…なぁ、あんたら…」
「っ…!?」
(これは…覇天核の…まさか…!)
「ん…?」
「えっと…何でしょうか?」
「ヴァルミラ!待てっ!!」
毎日のように出入りする。王城の一角に拵えた部屋で祈りを捧げ。腕に抱こうとした事も。唇を奪おうとした事もあった。
たった一年。されど彼女と彼女にとっては百年とも思えた長い時間の中で染み付き、交わる魔力。一瞬の交錯に先んじられ、刹那に遅れる発声と動作。
チェルシスタにとっては崇拝すべき御方も、ヴァルミラにとっては愛しい君を屠り、魔族の在り方を変えた忌むべき怨敵。その目的は知らずとも、察する事は出来た数百年。
頭では分かっている。目の前の人間を殺してしまえば暗雲に飲まれ手掛かりは失われる。しかし、心は理屈に従う事を許さなかった。
「覇天核は何処にいるぅっ!?あぁ!?」
「え…」
「魔…ぞ……」
ぼわっ…ごごごごっ…どどどどーっ!!
叫びと共に露わになる褐色の肌。憎悪に染まった貌。驚愕も、呟きさえも煤塵と帰す。
男の問いは昇る獄炎に消え。次いで広がる炎熱に全てが呑み込まれようかという間際。
ずっと、誰よりも緊張に身を硬め、警戒を続けていた彼女だけがこれに反応してみせた。
どんっ!
「っ…!?」
「あなた達のやり方はお見通しよ!…レイン!逃げてっ!!」
「……………」
「…くぅ…っ…レインっ!」
脱力した身体は不意の衝撃に抵抗も無く押し退けられ。膝を突き、地に落ちた視線を上げると、そこには声を荒げ、両手を突き出すディーネの姿。そして。小さな身体の先に見る炎と、これを遮る水の壁。
夢か現か。事態が呑み込めず放心状態のレイン。しかし。今も尚、迫る熱波の勢いは凄じく。このままではいずれ二人とも…。
そんな、最悪の結末を振り払う様に。ディーネが再びその名を呼ぶと、レインの目に微かな光が戻る。
「…あ…え…ディー…」
「いいから…早く逃げてっ!」
「…逃げ…いや…でもシーアが…」
「レイン…っ!あの日の事を忘れたの!?…こいつらには勝てない…!だから今の内に早く!」
「っ!………」
じり…
否応無く迫られる決断。精霊の声に後退り背を見れば、其処は絶望の淵。そして…辺りを包む炎の海に在るのは男と精霊ただ二人。
言い訳としては上出来。納得させるには十分。そうして、目の前に広がる光景が仄暗い思考を加速させていく。
誰が悪い訳じゃない。一度目はそれでも良かった。けど二度目はもう…折れてしまえばこれっきり。
『シーアは俺が守ってみせる!』
今しかなかった。ここしかなかった。覆し、乗り越える為に奮起を促す。のではなく。
彼女は守り、認め、そして逃げてもいいのだと囁いた。
何が正解かなんて誰にも分からない。悪者なんて何処にもいない。ただ少し。男の心が弱かっただけ。
『はぁ…はぁ…はぁ…アールテ!ガルードはっ!?』
『…なんとか…リーラのお陰よ』
ざっ……
『すまない…油断した……ぐっ…』
『…いけるか、ガルード』
『大丈夫だ…!』
深追いはせず、背後に庇うアールテとガルードに目を向けさせないよう注意を払い。攻めては守り、守っては攻める。
出会い頭の不意打ちを思えば本気とも言い難い男の攻撃を、たった二人で凌ぎ切り。開戦と同時に傷を負ったガルードが戦線に復帰すると、男は小さく呟いた。
『……ふぅ…やれやれ…』
(放っておいたら消されていた…旦那の手前、何もせず見逃す事は出来ないが。…さっさと逃げてくれたらいいものを…)
『…上手くいかないもんですねぇ…』
誰にもある。出会いと積み重ねの物語。
特に興味も無かった自分達魔族の未来。その頃、男に与えられていた役割は献上品の管理だった。
満足していた訳ではないが不満があった訳でもない。のらりくらり。言われるがまま、これに従事し、そして出会う。
人間を殺さないでほしい。それは心優しい少女がラッキーに告げた言葉だった。
『…レイン』
『あぁ…行くぞ!』
そんな、男の葛藤も知らず。ようやく並び立つAランク冒険者四人。彼等を前にちらと背後を窺い、また睨み合って相対す。
ガルードとレインの攻撃を皮切りに始まる戦いは…そう長く続かなかった…。
『レイン…ごめん…がはっ…!』
『…アールテ!駄目…諦めないでっ!私が治すから!』
『アールテ…!』
腹を裂き。焼かれ、血反吐を撒き散らし瓦礫に身を横たえる。彼女の元へ駆け付ける白い鼬鼠の姿をした精霊リーラ。きっと彼女にも、アールテと積み重ねた日々があり。それが何よりかけがえのないものだった事を、目に湛えた涙が物語る。
誰がどう見ても致命傷。創造と再生を司り、治癒の魔法を扱える光の上位精霊であっても痛みを和らげる事しか出来ず…。何より、その素となる魔力はもう…。
『…リーラ…今まで…ありが…とう…。あなたで良かったわ…。あいつに…殺されないうちに…。わ…わたしの事は…もう…いいから…』
『…くっ…!』
仲間の死を間近に見つめ。けれど軋む心はまだ折れず。ただ、やるせなさに唇を噛む。
湧き上がる怒りと悲しみ。然りとて、継戦能力を失ったレイン達に為す術はなく。一人、また一人、男の前に沈んでいった。
『レイ…ン…』
ばた…
『バズラン…!』
『後は…頼む…レイン…』
どさ…
『ガルード……』
ばち…ばちち…ばちばち
『…恨んでくれて構いやせん。元よりおいらは地獄行き。それでも…』
『……皆ん…な…』
ぎゅっ…!
苦楽を共にした仲間の死が。喪失がレインを苛んでいた訳ではない。
折れない心はまるで何処ぞの主人公のように。奮い立ち、一矢報いんと睨め付け。剣を握る彼の爪牙はまだ鋭く光っていた。しかし…。
『……………』
(どうしよう…皆んなやられた…。レインは…きっとあいつに勝てない…。こんな化け物に勝てるはず無い…!向かって行ったらきっとアールテみたいに…)
そんな男を横目に、変わり果てた仲間達の姿を見て過ぎる別れ。咽び泣く同族の姿に重なる自身の影。
敬愛する男の意志も、気持ちも痛いほど伝わっている。
でも。失う恐怖に抗えなかった。折れてしまったのは、ディーネの心。
ばちちち…ばちばち…ばちち…
『さて…これでお開きです』
じり…
『…くっ……』
『……………』
そして遂に。這い寄る死の気配に後退り。窮地を脱する好機を願う。
ディーネの想いに応え、極光が天へと昇る。
どーーーーーーんっ!!
『っ…!?何だ…この魔力は…』
『…これは……旦那!』
『…あの女には及ばずとも…或いは…』
『……………』
(…黒蓮の言っていたことが事実なら、猶予は長くても後二年…これが代価ってやつですか…。何ともまぁ悪辣な…)
それは奇しくもこの日、異世界へと召喚された男の怒り。その想いが解き放たれた瞬間だった。
『…ディーネ…あいつらは何を…』
『分からない…けど今しかない!レイン…逃げましょ…私達に勝ち目はない…!あの男の他に、もう一人いる…私はレイン、あなたを死なせたくない…!』
『…でも…!アールテが…バズランが…ガルードが!あいつらの命を無駄になんて……!』
突如として空を見上げ、狼狽える魔族達。最早、眼中にも無いと言った様子で背を向ける敵を前に、降って湧いた好機を巡りすれ違う。
もう既に、力の差は歴然。結末は必然とも言える状況。今しかないと言い募るディーネに対し、レインもまた今ならと腕を振る。
男を想い、自身の先を憂う言葉は届かず。それでも尚、彼女は食い下がった。
『諦める訳じゃない…!いつか…今よりもっと強くなって仇を討てばいい…。死んだらもう、二度はないのよ…レインっ!!』
涙を零し訴える精霊の言葉に、いつかきっと。そう信じて引き下がった。男を苛んだ悪夢の名は罪悪感。
それも、復讐の糧としてならまだ救いがあっただろう。伏せる男に対し、仕方が無かった。これしかなかったのだと言い聞かせ。貴方は悪くない。きっと皆んな許してくれる。そんな耳当たりの良い言葉で甘やかに包み込む。
誰も悪くない。ただ少し。女の心が弱かっただけ。
そして後に、これを見た者が魔族を退けたと歪曲した話をする事でSランク冒険者へと至り。少しずつ立ち直るレインから悪夢を遠ざける為、彼女は旅に出る事を提案した。
幸か不幸か。そこで出会った蒼に魅せられ、男は一人生き残った理由を彼女の為と見定め行動を共にする。
「…くっ…!」
だっだっだっだっだっ!
「……………シア……シル……ごめんね……」
そして今また繰り返す。燃え盛る煉獄の中、駆け出す足音と涙を残し、一人と一匹は光炎の中へと消えていく。
一度目はそれでも良かった。けど二度目はもう…折れてしまえばこれっきり。




