54.想いと誓いが届く時
いつかの記憶。これはその前後の物語。
とある依頼を受けて街を発ち、帰還の予定を過ぎて一ヶ月。
闇ギルドの本拠地でもある屋敷の一室で、仲間と共に作戦の詳細を詰める話し合いの最中。女は不意に感じる懐かしい気配に眉をぴくりと跳ねさせた。
『…っ!?姉…さん…姉さんの気配!』
がたっ…!
『…急にどうした。今は大事な…』
『ごめん!後で聞くからっ!』
だっ!
『ちょっ…おい!シャラ!?』
間違いない。そう、確信を得るのに時間は掛からなかった。同時に立ち上がり、言うが早いか部屋を飛び出し走り出す。
この日を、どれ程待ち侘びた事か。不安に駆られ、夜も眠れぬ日々を過ごし。もしかしたらと脳裏を過ぎる結末に首を振って抗い続けた。
その中で、初めて感じる死の恐怖。拭いきれない別離の予感。それらを振り切るように。
女は一目散に玄関口へ向かうと、勢い良く扉を開け放ち。その名を叫んで姉の胸に飛び込んだ。
『ロミア姉さんっ!!』
ばっ…!
『シャラ…心配掛けてごめんね…』
『…良かった…流石に…諦め掛けてた…』
『ふふっ…あたしも諦めそうだったわ。…取り敢えず、頭に報告をしてくるから…詳しい事はまた後でね』
涙を流し、自身の胸に顔を埋める妹を見て思い出す。決意を促した男の言葉。今回はただ、運が良かっただけ。このまま闇に飲まれれば、遅かれ早かれ死に別れ。
希望など、ありはしない。誰も救ってはくれない。そんな絶望の淵に在ってもう、迷う事はない。
生を噛み締め、苦笑いを零しながら。大切な妹をきつく抱きしめた腕を優しく解き、ロミアは屋敷の中へと入っていった。
それから暫くして。
『それで…一体何があったの姉さん』
ギルド内でも頭と呼ばれる男を除いては一、二を争う実力者。その容姿は肩に掛かる程度、薄い茶色の髪にほんのりと赤い瞳。背は女性の平均か、それよりもやや高く。胸に関しては埋められるくらいと言っておこう。
その戦い振りは荒々しくも研ぎ澄まされ。核は無くとも必要十分な魔力を持つのは研鑽の賜物か…或いは。
そんな慕い、憧れる姉が諦めかけたと言う程の事柄。それは再会の喜びに湧くよりもずっと…。
興味、好奇心とも言い難いシャラの言葉に、ロミアはゆっくりと口を開いた。
『…あたしが受けた依頼は覚えてる?』
『うん、侯爵の暗殺でしょ。事前の情報じゃ護衛も大した事ないって…』
『…けど…誤算があった。屋敷に忍び込んだあたし達はいつもの様に邪魔な奴らを始末して…標的の男が居る部屋へと向かった…けど、その途中で娘に見つかって…』
『見つかって…?』
『ふふっ…情報に無い男に捕らえられた』
『えっ!?…姉さんが…?』
『…手も足も出なかったわ…』
『姉さんでも敵わない人がいるんだ…でも!逃げられたんでしょ?怪我とかはない?』
『実は…胸を抉られて…今も痛むのよ…』
『…そんな…』
『あ…あははははは!ごめんなさい、ちょっとからかってみただけ。何もされてないわ』
『…んもうっ!驚かさないでよ!』
こうして、語られる経緯に目を剥き声を上げ。
胸に手を当て冗談めかして聞かせる言葉は事実とも言える。
殺伐とした世界に身を置きながら、それでも笑う事が出来たのは妹のお陰。
頬を膨らませ、憤るシャラを見ながら空想に夢見た未来を重ね。終わりかと思われた話には先があった。
『…けど、命乞いをしたわ…とても惨めだった。腕を落とせ。伽をしろ。それらと引き換えに命を助けるって言われた…』
『…え……でも…』
『そうね…結果としてあたしは何も失ってない。この身体も…きっとあたしの何かを試していたんだと思う。…求められたのは剣を教える事だけだった』
『…剣を…?そう言えば姉さん孤月は…』
一変する空気に知らず喉を鳴らし。真剣な表情で語る姉の言葉にまたしても。そう思い、疑問を口にしようとした矢先。
まだ変わらない表情はあの日を思い出し、昏く沈む心は取り繕うのに必死で。
そんな姉の姿を見ても気付けずに。滅多に手放す事のない大太刀についてを問い掛ける。
それは彼女にとって、目に見えない姉の胸中よりも余程、異様な光景だったのかもしれない。
『…あげてきちゃった』
『えっ!?何で!あれは姉さんが師匠から譲り受けた大切な刀だって!』
『いいのよ。その代わり…ほら見て!戻る途中で打ってもらったの』
『孤月と同じ刀…?』
『そう…全財産注ぎ込んじゃったわ。銘を夜月。…本当はね、押し付けてきたの。再会の約束と、誓いが欲しくて…』
『それってどう言う…約束とか誓いって何……姉さん…!』
『孤月はあたしがあの人ともう一度会えた時に返してもらう。そしてこの刀を渡すの…』
『……………』
あっけらかんと答える姉に身を乗り出して問いただす。これに別離を仄めかし。取り出し見せる刀を見つめ、続く答えに気付き始める姉の想い。
一時の感情に流されはしたが、再会して身に染みる。上もなければ下もない。共に在りたい未来を望むなら、この先は話して然るべき。
悲しみに俯く妹を前に覚悟を決め、ロミアは察するに余る疑問の答えを紡ぎ始めた。
すぅ…はぁ…
『…連れていってと縋ったわ。その時…生まれて初めて自分が女だって事を自覚した』
『……何で…戻ってきたの…そんなにその人と居たいなら…』
ぽふっ
『あんたが居るからよ。…ううん…違うわね…大切な者を簡単に捨てる女を側に置きたいとは思わないって…そんな男だから…惚れたのかも…』
『……大切な…者を…』
『そ。勿論あんたの事よ。…訳ありなのは間違いない。何を聞いても言葉少なにはぐらかされて…結局名前すら教えてもらえなかった。仕方なく、彼の精霊が呼ぶようにあたしもヨルって呼んだ』
『…ヨル…姉さんが惚れた人…』
『悔しいから、別れ際に無理矢理唇を奪ってやったわ。でも…初めての口付けは…とても切ない味がした…』
『……………』
『…ふふっ。そんな顔しないの。…いつか、あんたの兄さんになる人よ。とびきり良い男だけど、惚れちゃ駄目…ヨルはあたしの男なんだから』
『ほ…惚れないわよ!けど…兄さんて…』
ぽふっ
『今はこれで我慢して。…時が来たら全部話すわ。だから今はもっと強くなって。…忘れないでね。あたしはシャラ、あんたを愛してる』
ぎゅっ…
『………うん…姉さん…』
悲しみと喪失と僅かな救い。一喜一憂、右往左往する女の心はたった一つの言葉でそれら全てを上回り。
愛情を注いでくれた姉の抱擁に、真意は理解出来ずとも別離ではないのだと悟る。
そして。死の際に託された想いと誓いは今、在るべき場所へと帰っていく。
「…柊様!これを使って下さいっ!」
ひゅっ!
ぱしっ…
「…これは……お前…」
「その刀には姉さんの想いが込められてます!決して折れたりしませんっ!」
漆黒の鞘に納められた大太刀。それは常に女と共に在り。肩に掛け、背負い、佩き、時に手に持っていた。
腰に差す短刀を見れば何方が本来の獲物かは言うまでもなく。叫びを上げる言葉に至るは必然。
そして何故か。本身を抜いて握れば手に馴染む確かな感触に知らず平静を取り戻す。
ぎゅっ…
(…姉さんの、か。きっと形見だろう…本当なら誰にも触れさせたくない物の筈だ…)
ふぅ…
(荒っぽく扱う訳にはいかないな…)
すっ…
「えっ……その…構え…」
いつかの時と同じように。息を整え堂に入った所作で構えを取る。
ご都合主義。チートスキル。男にとってはその程度。けれど実際は、命を賭して共に在る未来を掴もうとした一人の女に学んだ術。
きっと、姉のそれには遠く及ばない。けど、真似だって出来るくらい。誰よりも近くで見てきた。
忘れる筈がない。見間違える事など有り得ない。
すぅ…
ぶぉんっっ!ぶぅぉん…ぶぉんっ!
すっ…
『……………』
『……どうしたの?言いたい事があるなら遠慮せず言いな』
『それ…』
『あぁ…これは…あたしも昔、師匠に拾われたのよ。そしてこの孤月と一緒に託された。一子相伝、とかなんとか…偉そうに言ってたっけ…風来坊の師匠には子供なんか居なかったからあたしがその代わり。…本当ならあんたにも教えてあげたいけど…ふふっ…成長期が終わってない事を祈りなさい』
拾われて半年が経つかどうかの境に聞いた技の由来。この時はまだその意味も分からず。多くを知り、理解の及ぶ歳になった頃に教えてほしいと頼んだのを覚えている。
答えは勿論、否ではあったが。
それでも、美しい姉が刀を振る姿が好きで、よく鍛錬の合間に見せる武舞を眺めていた。
「…シャラ、俺の近くにいろ。少し派手にいく…」
「は…はいっ!」
「…すぅ…はぁ………ふっ!!」
ぶぉんっ…!!
……きゅいーーっ…ずっごーーーんっ…!!
しかして背負い、真一文字に振られた刀は先の戦いとはまるで違う。けたたましい響を轟かせ、飛ぶ斬撃など比べるまでもなく。
圧倒的な技。その本質とも言うべき魔力の奔流は迫る魔物を置き去りにし、かと思えば蔓延る有象無象の中で光爆を放つ。
一瞬の煌めきに爆ぜる魔力はそこに在る一切を消し飛ばし。女は、立ち尽くす男の背に振り返る姉の姿を垣間見た。
(威力も、規模も全然違う…でも間違いない。魔法が使えなかった姉さんの…唯一の…あたしが最後に見た姉さんの技…)
「……絶響…飛燕」
(姉さん…あたし……)
『…ありがとう、シャラ』
復讐に囚われ、投げ打つ覚悟でいた命。同時に望めぬと手放した想いと誓い。そして生きたい理由は無く。閉ざされた未来。
たった一度、叶えて欲しい復讐の為。ようやく見つけた微かな希望は掴みどころもなく。近寄っては離れていく。なのに。
心を掴まれた日、欲し求めたものが与えられると、知らず望むようになった。それは時を置かず願いに変わり、今確信へと至る。
(これからはずっと…あたしと、兄さんと、ロミア姉さん。三人でずっと一緒だから…)
「…通路は崩れてないな。…行くぞ!」
「…はいっ!!」
(でも…ごめんね。姉さんの言う通り、兄さんはとびきりいい男で…惚れないなんて…そんなの無理。だから、あたしが姉さんの分まで幸せになる…ちゃんと幸せになるから…!)
きっと見守っていてくれた。ずっと導いていてくれた。
男の手の中で嬉しそうに微笑む姉に溢さないよう笑みを向け。数奇な運命に翻弄された女の物語は一旦の幕を閉じる。
ここから先は敗北と涙。そして望まぬ結末へ向かう架け橋とも言える。
その舞台となるのは迷宮上層地下十四階。




