53.焦燥
「おい…今魔族って…」
「どう言う事だ…」
「昨日カミールの村が襲われたばかりだろう…」
「次はどの町だ…」
「…はぁ」
(ったく…どうしてこう嫌な予感てのは当たるのか…しかしまぁ、一応の準備はある。それにあいつらがこの街に居ないなら好都合。…余り目立つ事はしたくないが…さっさと殺して街を出ればどうと言う事もないだろう)
額に汗を滲ませ、息も絶え絶えに叫びを上げる。
冒険者の言葉に一変する空気はえも言われぬ騒めきを齎し。其処彼処で飛び交う憶測が緊張を促すと、この場の全員が続く言葉に耳を傾ける。
その中に在ってただ一人。狼狽える者達を他所に、今はまだいつものように愚痴を零す余裕さえ見せる。続く言葉は、男を地獄の底に突き落とした。
「ちょっ…落ち着いて…!詳しい話をお願いします!」
「だから魔族が!魔族がいたんだ!」
「分かりましたから!それで…魔族はどこに…まさかこの街に…」
「違う…!町や村じゃない…」
がたっ…!
「…っ!?」
(…この街じゃない?…嘘だろ…)
「柊様…?」
覚醒を促し、行く道を見定め、一丸となってこれを退ける。時には愛に目覚める事も…。
そんな、物語の佳境に在って魔族の襲来は巨大な都市である事が常と書かれる創作物を読み漁り。
それでも。微かに残る懸念を杞憂と捨てられず、もしもの時は。そう思ってレインに問うた。
分水嶺。あの夜に男の手を取りたった一言。敗北に、いや経験に知る魔族の不可解な行動と目的。その一端を告げていたなら…或いはいつものように料理を囲み、杯を手に喧しくも賑やかに語らっていただろう。
いつだって最低を上回る。脳裏を過らなかった訳ではない最悪の事態は激しく男の胸を掻き乱し。最早こぼれ落ちる銀貨など目にも映らず。
焦り、狼狽え、喪失を垣間見て悲観に暮れる。
それら全てを綯交ぜに、人はこれを絶望と呼ぶ。
「……………」
ぎゅっ…
(…この世界なら…あいつらとならって…そう思い始めた矢先でこれか…!魔族を見つけてからこいつの足でどれくらいだ…三時間…いやもっとか…くそっ…考えている場合じゃない。今は一刻も早くあいつらの所に行かないと…!)
ざっざっざっざっ…!
「柊様っ!何処へ行くんですか!?」
「街じゃないって…それじゃあ一体、魔族は何処に…」
「「迷宮だ!」」
「え…それって…シーア達が今…」
「そうだ。だからお前はここにいろ。俺が奴らを仕留めればお前に危険はない。…すぐに戻る」
(柊様のこんな顔…初めて見た。それに…なんでか分からないけど…一人で行かせちゃいけない気がする…)
しかして。重なる事実に唇を噛み、険しい表情で歩き出す。女はその背に声を掛け。もう、嫌な予感と言うには余りにも遠い。
先を読めば誰しもが行き着く未来。積み重ねの終わる時。果たしてそこに男の姿は在るのだろうか。そう思ったら…居ても立ってもいられなかった。
「…あっ…あたしも行きます!」
「…頼むから言う事を聞いてくれ…」
「でもっ…!」
「足手纏いだと言ってるんだ!大人しく待ってろっ!」
びりびりっ…!
「っ…!?」
ばた…ばた…どさ…
(……殺気に魔力が…でも…嫌だ!一人で行かせたら…もう二度と帰ってこない気がする…)
抑えの効かない感情は、もう既に崖っぷち。にも関わらず。縋り、共にと言い募る。そんな余裕がない事くらい、何故分からない。暗にそう言って男が声を荒げると、女の背後に居る者達が次々と倒れ。突如響く怒声に、もはや衆目を集めている事さえどうでもよかった。
そして、これ以上を口にすればきっと。そう思っても、手放したくはない。失いたくはない。
終わりを見届け、それでも寄り添い傍にいたいと。女は手を振り言葉を尽くす。
「足手纏いにはなりませんっ!速さだけなら自信もあります!だから…!ううん…駄目だって言われても付いていきます!」
(…どうする…どうする!気絶させるか…いや、それだと万が一……くそがっ!)
「…我儘はこれっきりと約束しろ。いいな」
「はいっ!」
そうして、刹那の逡巡に出した答えは溜息もなく。それはもう、柊夜神ではなく一人の人間として、不安と共に失う恐怖に怯え急く。
二人が街を後に再び街道を駆け抜ける数時間前。迷宮へ足を踏み入れ、戦果を上げる二人もまた、小さな異変を感じていた。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!」
ざしゅ…!
「シルフェル!」
「くらえっ!」
「ディーネ!そっちを頼む!」
「任せてっ!」
どさ…
「ふぅ…一通りは片付いたか」
「流石に群れとの遭遇は想定していませんでしたけど…これで無事目標も達成ですね」
煌めく剣尖。舞い踊る風の刃。これに負けじと放つ水滴が流星の如く奔る。彼等の連携に吠える獣は為す術もなく。一匹、また一匹とその数を減らし。やがて辺りに転がる戦果の山に勝利を噛み締め、男は訝し気に辺りを見回した。
「あぁ、これだけ狩れば間違いないだろう。…にしても…」
「レインも気が付きましたか…」
「どうしたの?」
「…昨日より気配が少ないわね。それに…凄く大きな魔力を持ったのがいる…」
「ディーネ、分かるの?」
「と…当然!私は水の上位精霊よ、魔力を探る事くらい訳ないわ!」
「…まぁ、そう言う事もあるだろう。現に俺達も側から見ればその一人。強い魔力を持った奴が居ても不思議じゃない。…とは言え…戦闘に集中し過ぎて時間を見誤ったか…」
「そうですね。戦果は十分ですし、私達も迷宮を出ましょう」
命の危険が及ぶ迷宮に在って、生死を分つ危機管理。辺りを警戒し、探る気配に違和感を覚え。これを体感に得る時の速さと解す。
魔物か、或いは冒険者か。遭遇は無くとも剣戟が響く事は少なくない。先入観が招く思い違い。
仮にこれが、時間の経過により去ったのではなく、降りて来る者がいないのだとすれば…。
中でも特に。難しい表情で懸念を漏らし、すぐさま腕を組むディーネの姿は、口を滑らせた誤魔化しとも見れる。
元より、魔力の感知を行える者は少なく。階層を隔てる程の広域など不可能に近い。
練度の差はあれど、厳密には周囲の気配を探るのが精々。文字通り、魔力を感知、識別が出来るとすれば覇天核を持つ夜神のみ。次点でそれらしいものを知覚出来るのがシャラ。ディーネのそれも、今に限っては研ぎ澄まされた感覚や、直感に近いだろう。
(そうじゃないよレイン…この魔力…あの時の奴と同じくらい…でも…)
『はぁはぁ…!ぜー…んぐっ…はぁはぁ…』
(今またあんな状態になったら…)
そんな彼女の不安を嘲笑うかの様に。上下擦れ違う時は間も無く。最低を上回る最悪の訪れは近い。
支払われる代償に得る対価をパンドラの箱と指し。想いを巡る物語は一歩先へ。
望んではいない。興味も無い。なのに…巻き込まれる。世界の核心へと至る道。
その水先案内人はおどおどと。彼岸を見る男は相も変わらず偉そうに。
ざっ…ざっ…ざっ…
「ヴァルミラ様…何処まで降りるんですか?…もうそろそろ…」
「まだ来たばかりだろ。ぐだぐだ言わずに付き合え。最低でも下層までは見て回る。…最後に感知した魔力ならそれくらいは簡単に行ける筈だ」
すっ…
さささ…
「……………」
迷宮内上層、地下十一階にて。帰還を促す少女に対し、振り返りもせず歩を進め。そんな、男の行く道を避けるように。
鳥獣人外の魔物達が息を殺し身を潜めると、少女はこれを横目に尚も食い下がり、男の背に声を掛けた。
「そうじゃなくて…その…」
「ちっ…何だ!はっきり言え!」
「私達が魔族だって…早速ばれてるようで…人間達の気配が少なくなってます…」
「……………」
「せめてもう少し…その…魔力と、顔を隠して下さい…中には気配だけじゃなく、私みたいに魔力の大きさを感知出来る人間や精霊もいます…これじゃあ外套を羽織っている意味が…」
「…いちいち煩い奴だ…そんな事よりも、さっさとでかい魔力がある所へ案内しろ」
異変ではない原因。それが自身の存在であると聞かねば分からない程の単細胞。しかし、その好戦的な性格に見合うだけの力を兼ね備え。単純な力比べで男に勝る者はない。
苦言を呈され、返す言葉もままならず。声を荒げる事が精一杯と。そんな、情けなくも哀れで疎ましい戯言に耐えかね、チェルシスタが顔を出す。
「……馬鹿が…首から上に乗っているのは飾りか。そんな目立つ魔力で…既に幾人か、入り口付近で冒険者ともすれ違ってもいる。お前が下層に着く頃には人間が大挙してやってくるだろう。そもそも…こんな所に御方はいない。が、例え居たとしてもお前の魔力を警戒して、向こうが上手いことやり過ごすかもしれないな」
「…ちっ…分かったからさっさと教えろ」
「…多少魔力を持った人間は警戒したか…早々に迷宮を脱している。階層を行き来する通路は一つじゃない。感知が得意な者がいれば同じ階でも私達を避けるのはそう難しくないだろう。ここより上は無い。他は…私が捉えられる範囲で中層に幾つかあるが…何にしろ、魔力の感知が下手くそなお前でも察知出来るような、あの極光の如く魔力には程遠い」
幼さの残る可憐な少女から妖艶な美女へと姿を変え、繰り出す物言いは理路整然。口を挟む暇も与えず長々と。そんなチェルシスタの言葉は詰まるところ、骨折り損の草臥儲け。
そして、これを知ったヴァルミラの激昂など手に取るように。始まる諍いなど知れたもの。
「…何でそれを早く言わねーんだ」
「何故言う必要がある。制止を聞かず迷宮に来たのはお前の勝手だろう。私はお前が人間を殺さないように見張っているだけだ。それらしい魔力が無ければ協力もない。分かったらさっさと迷宮から出るぞ」
「…本当に…癪に触る女だ…」
ぼっ…
「なら…躊躇わずにその焔を放ったらどうだ?…私達に与えられた規律はそう多くない。私はただ、襲い掛かるお前の攻撃を防ぎ…魔王様にこれを報告する。お前も命が惜しいからこそ一線を越えずにいるんだろう?」
…どぅーーんっ!!
がらがらがら…
「…まだだ。お前の言うように凡夫になりすましてる可能性もある。人間達が来ようと中層は見て回る。一番近い奴の所へ案内しろ」
「居ないと言っているのが何故分からないか…言っておくが…それら道中を含めて人間達は殺すな。それと、二度目だ。掛かってくる気がないならその馬鹿でかい魔力を抑えろ。お前のせいで迷宮がざわつき始めた…」
見ての通り相性は最悪。どちらかと言わず、あの男との方が気が合いそうではある。女の言葉に沸点を超え、その手に焔を顕現させる。
場は一触即発の空気。尚も挑発をかますチェルシスタの横を通り過ぎる獄炎と”魔王”──その一言で押し黙るヴァルミラにも今代、或いは御方と呼ばれる者を探す理由があった。
そして現在。
「…はぁ…はぁ…柊様っ…!」
「…分かっている。俺が先導すれば雑魚は寄ってこない…蜥蜴のように留まるやつは皆殺しだ!…最短であいつらの所まで行くぞ!」
「…はいっ!」
ようやくと言うには早過ぎる到着。それも、女の荒い息遣いを見れば一目瞭然。
夜神は肩越しにシャラを一瞥すると、聳える迷宮を見据え、洞穴へと足を踏み入れた。しかし。
ざわざわ…
「なんだ…これは…」
「魔物がこんなに…それに…」
(柊様を恐れていない…)
「くそがっ…!」
ぴし……
しゅっ!
「ッ…!?」
どさ…
「…シャラ!目の前の敵以外に構うな!俺の後ろに付け!」
「はいっ!」
そうして、目にする迷宮の内部は数日前とまるで異なり。数多の魔物が跋扈する光景は筆舌に尽くし難く。とは言え、足を止めている暇などありはしない。
道を塞ぐ魔物をぶった斬り。悲鳴を上げる己が武器に目を止めず。男は焦燥に顔を歪め、脇目も振らず駆け抜けた。
だっだっだっだっだっ!
(くそっ…くそっ…くそがっ!俺は何で…!予兆はあった…見落としたりはしなかった筈だ!フラグを立てたのは間違いなくレイン…けど魔族が迷宮って一体何なんだっ!?普通は街を襲うだろう!もしあの女に何かあったら…!いや…僅かにでも期待したんだろ。だったらあいつの言葉を信じてみろよ!)
地下五階。地下七階。地下十階を過ぎて尚、勢いは依然止まる事を知らず。道を遮る魔物を斬り伏せては突き進む。
脳裏に浮かぶ迷宮の構図。その中でも近く、見覚えのある魔力は地下十四階に二つ。そして人間とも、魔物ともまた違う。然程大きくはないが、これに寄る気配が地下十三階に二つ。
更に。間も無く姿を見せる地下十一階への連絡路。その手前に夥しい数の魔物を捉えると、これを一掃すべく跳躍し。夜神は無意識にこれまで以上の魔力を注ぎ剣を振り抜いた。その直後。
ぶぉ…っ…!
ぴし…ぱりんっ…!
「っ!?嘘だろ…!」
「柊様っ!?」
「こんな時にっ…!」
ぎゅっ…
(ロミア姉さん…)
膨大な魔力に耐えきれず、砕けて散った刀身を見つめ。堪らず声を漏らす男の背後で大太刀を握り締める。
…これはあの人の武器で、あの人の想いが形になった物。
(この人に託してもいいかな…それともやっぱり、ヨルじゃなきゃ駄目かな…姉さんは怒るかもしれないけど…この人の傍にいる。あたしの覚悟と…この人になら姉さんの想いを預けても良いって、そう思える…だから…)




