52.先触れ
ばっ…!
「はぁはぁ…!ぜー…んぐっ…はぁはぁ…」
一夜明け。振り切るように逃れた目覚めは気分も悪く。交錯する記憶と、苛む悪夢に堕ちる男は未だ囚われたまま。
浅く、細い息が呼吸を妨げると、曖昧な現実に意識も遠く。彼の中に棲まう精霊は異変を敏に感じ取ると、美麗な姿を具現させ、声を張り上げた。
「…ン…!…レイン!大丈夫っ!?」
「かはっ…!…ディー…ネ…はぁ…俺は…あぁ…問題…無い。…それにしても、珍しいな。勝手に出てくるなんて…」
「良かった!…もう、あんまり心配させないでよ…!言っておくけど、レインは悪くないわ!あんな化け物…どうしようもなかったもの!…だから余り自分を追い詰めないで」
「そう…だな。ところで…あいつはどうした…」
朧げに掴む現実に夢の終わりを感じ取り、胸を撫で下ろす声は脈絡もなく。それは共に在ればこそ理解の及ぶ男の呵責。
悪気がある訳じゃない。彼女にとっては触れない事が優しさで、見て見ぬ振りが思い遣り。誰に関わらずとも出会いの物語に積み重ねはあるだろう。
強さではない弱さと共に寄り添う精霊に笑みを貼り付け。レインはもうそこに居ない男の行方を問い掛けた。
「夜神なら少し前に出て行ったわよ」
「…昨日は帰らず…今日も早くから…」
「そんな事より!レイン、私達も準備してシアと合流しましょ!」
「…あぁ」
(そうだ。俺は何を不安がっている。あいつが居なくても…)
連日の不可解な行動に心当たりなど見当たらず。
そも、男とまともに言葉を交わした事などあっただろうか。魔力の奔流に見る天地の開きは納得せざるを得なくとも、今に至ってさえ認める事が出来ずにいる。
その目に映すは柊夜神に非ず。知ったのは、男ではなく力だった。これに肖り縋るのは、都合が良いにも程がある。人間としては真っ当で、人としては価値も無い。
急かすディーネに背を押され、準備を始めるレインの運命が覆る道は…もう残されてはいなかった。
ざっ…ざっ…ざっ…
「柊様、今日はどんな依頼を受けたんですか?」
「ん?…あぁ、今日は薬草の採集だ」
一方、慌てる理由もなければ稼ぐ理由すらありもせず。怠惰に過ごして余りある時を手にぶらり街道を行く男は、朝早くから呼び出したシャラの問いに視線を逸らしそう答えた。
「……………」
「…お前段々とあの女に似てきてないか。…まったく…その後は時間の許す限り、魔族の襲撃があったと言う村の方へ行くつもりだ。お前は依頼が終わったら先に街へ戻って構わない」
語弊を覚悟で言うならこの男、嘘を吐くのが下手である。
理由は単純明快。誰に憚る事もなく。誹りを受けようと、変人に見られようと構わず思った事を口にする。無論、それは孤独が故に為せる業ではあるが。しかしだからこそ、善意を隠す事が難しい。
言葉遊びとは違う。騙し謀るともまた違う。誰かの為にというのは柊夜神にとって久しく見ない行動だった。
「いえ、それは別にいいんですけど…一体どういう…討伐に出る気はないって言ってましたよね?」
「まぁ、強いて言うなら…」
そして、これに連なる女の疑問は至極当然。まさか物珍しさに一目見る、などと言う事もないだろう男の目的に理由を問い。揺れる薄紅色の髪は遮る物のない道に在って、遠目からでも目に映える。
「…おい、あれを見ろ…」
「もしかして…」
「間違いないよ!」
「おーい!」
たったったったっ…
「…ん?…あれは確か…」
「以前盗賊から助けた冒険者達ですね」
「シャラさん、お久し振りです!柊さんも…その、ご無沙汰してます」
駆け寄り、声を上げる者達に気付き振り返ると、記憶にも新しい顔ぶれに自然と会話は途切れ。偶然の再会に笑みを零す彼等を見て、そっと距離を取る。
別れの言葉を交わさなかった気まずさにではない。関わりを拒絶した無関心。それは僅か数秒の後、シャラの言葉によって覆される。
「セシル、久し振りね。こんな所で何してるの?」
「俺達は薬草の採集に向かっていたところだ。シャラさんこそ、こんな所で何を…と言うか少し雰囲気が…」
「確かに…どことなく柔らかくなったような気がします」
「ふふっ…それはきっと柊様のお陰よ。それより、薬草を採りに行くなら一緒にどう?」
「おい、シャラ…!」
「いいじゃないですか。…あたしは柊様にもっと…色んなあたしを見てほしい…」
そうして、再び同道を誘う言葉に声を上げようと折れはしない。分かち合う輪の中にいる普通のシャラを演じる事なく曝け出す。
振り返り、答えを返しまた翻る。恥ずかしさに頬を染め、世界に浸る女の目には夜神以外、何人も映ってはいなかった。
「…あのぉ……」
「っ…!ごめん!つい…」
「それで…俺達は勿論、誘いは嬉しいが…」
「柊さんは迷惑…ですよね?」
「…はぁ…勝手にしろ」
気まずさに耐えかね、セシルが恐る恐ると言った様子で声を掛けると、次いでルドイン、ガジェルがこれまた言い辛そうに問い掛ける。
これに素気無くも是と返し。男がこの数日に険を弱めたと知るのも遠からず。一行は何の変哲もない薬草を求め、歩き出した。
それから暫し時は進み。
「おっ、見えてきたな」
「はい。この景色もだいぶ見慣れてきましたね。…それでレイン、今日はどの辺りまで行く予定ですか?」
途切れる街道の先。眼前に広がる荒野に聳える洞穴を前に、意気揚々と声を上げる。男の顔に憂い憔悴の跡は無く。その理由を聞けば、彼の内なる精霊は腕を組んで嫌味を言うだろう。
男の顔を覗き込み、憂慮を見せず気丈に振る舞う。
昏く沈んだ気持ちさえ一変させる価値ある女。
これに対し、レインは悼む心を慮る言葉の一つも掛けたのだろうか。
或いは、そんな当たり前の気遣いすら及ばない程に、心は蝕まれていたのかもしれない。
「…目標の戦果までは二人合わせて残り10万ディアか。無理なく稼ぐなら上層でも十分だが…金にならない魔物が多いのも分かっている。無駄に長引かせるよりは…なら、中層に入ってすぐ。地下16階辺りで手早く終わらせるっていうのはどうだ?」
「そうですね。昨日は地下21階まで行って合流に遅れてしまいましたから…となると獲物は…」
「フェルムルプスがいいんじゃないか?聞けばこいつの毛皮は防具の素材や鉱夫の防寒着として需要があるとか。帝国にも似たような魔物はいるが、警戒する程じゃない。むしろその辺りの事はシーアの方が詳しいかもしれないな」
地上一階、地下四十七階以下不明。いつかも分からない昔から世界各地に存在する迷宮は、出現する魔物の分布に加え難度に至るまで、先達によって明かされている事も多くあり。冒険者達はこれを頼りに狩りへと赴き戦果を上げ、時に命を落とす。
例に漏れないやり取りは違和を感じる事も無く。現状を鑑み、情報を加えて目的を定めると、レインは意見を求め問いかけた。
「言われてみれば確かに…高値での買取を望むなら多少数は必要ですが中層であれば見つけるのも容易。となると…ふふっ…街の散策は予定通り明日になりそうですね」
「…っ!あぁ!」
しかして対価が欲しいと心を殺し。宿へ戻れば女の話に羨望を煽られ。追い討ちを掛けるように舞い込む悲報、それも以前の彼女ならいざ知らず。今は胸を痛めるだけの愛着がある。
追いかけた一年、焦がれた一年、目醒めに押し付け半月と。今も尚、夜神への想いを残し、自尊心すら捨てるのは欲しい未来があればこそ。
男に囁く言葉など。気の無い笑みなど造作なく。
後に迎える苦難は誰にとっても小さくはない。
確信を得て、敗北を刻み、涙を流す。その始まりを聞くのは遠出虚しく雑草を手に、一足早く街へと帰還を果たしたこの男。
「すまないが依頼の達成報告をしたい。内容は薬草の採集…と、これが現物だ」
すっ…
「ありがとうございます。…この手の依頼はなかなか受注してくれる冒険者がいなくて…それでは報酬を用意しますので少しお待ち下さい」
日没を間近に控えた夕暮れ時。冒険者ギルドへ足を踏み入れ精算の受付に声を掛けると、ストレージから袋を取り出し薬草を手渡す。
予期せぬ道連れに初めは溜息を零しもしたが…群生地までの案内と、見事な目利きに知らず感嘆の息を漏らし。言葉少なに重ねる会話を経て、徐々に誤解も消えていった。
お陰で随分と目的の村近くまで行く事も出来たが、結果として得る物は何も無く。大仰な受け皿に乗る銀貨を見ながら複雑な感情が口を衝く。
「…往復数時間でたったの5000ディアか。何とも言えないな。これが常とは…あいつらの苦労も少しは理解出来る」
「仕方ないですよ。受注に制限は無いですけど、大抵の依頼は条件に冒険者のランクまで織り込み済みですから」
「まぁ…いきなりSランクに昇格とか、ギルド長が登場するとか。ぶっ飛んだ旅はごめんだ。これくらいは我慢するさ」
支払われる対価を前に、愚痴ともつかない呟きを落とし。今はもう顔と名前も一致する三人組の冒険者を思い浮かべる。
暗に目立ちたくないと告げる男の冗談も、この世界の人間には理解し難いようで。視線を逸らし、不意に目を止める重厚な鉄扉を見て、シャラは思い出したように口を開いた。
「…そう言えば、この前の魔物はどうなったんですかね」
「…あぁ…残りは後日とかなんとか…今日はもうそろそろあいつらも戻ってくる頃だ。街を出る前にでも顔を出せばいいだろう」
「っ…」
急ぎ慌てて搬入した魔物の事など、気に留める間もない程充実した日々に忘れ去られた偉丈夫の言葉。
胸を飾る月を触って疑問を口にすると、男は興味も無さげに答えを返し。これに対してそうですねと、シャラが相槌を打とうと再び口を開いた瞬間。周囲の喧騒を押し退け、勢い良く扉の開く音が響き渡った。
ばんっ…!!
だっだっだっだっだっ!
どんっ!!
「た…大変だっ!魔族が…魔族が現れた!」




