50.夢の終わりと悪夢の始まり
「…はぁ…夜の女と思って軽々しく抱いてみれば…」
目覚めと共に溜息を零し、ベッドを降りて袖を通す。着替えの合間に視線を動かし目を止めるのは、寝返りに空いたシーツに覗く赤い染み。
「ん…うぅ…おはようございます…」
「…はぁ…」
「あの…私の身体は良くありませんでしたか…?」
「…まったく…そういう意味じゃない。…それよりも、一晩の代金は幾らだ」
男の気配に身体を起こし。布団を手に、物憂げな視線を向けて言い淀む。
昨晩とは打って変わる男の態度。しかしよくよく見れば。不機嫌そうではありつつも、艶やかな表情が見て取れる。
呆れたように。けれど柔らかく。問われる代価にかこつけて。ハルメアは、意味ありげな笑みを浮かべこう答えた。
「ふふっ、1億です」
「……は?…おいおい…それは幾ら何でも…」
「一度に支払う金額は幾らでも構いません。…なので、通い詰めて支払って下さい」
「お前…」
「…夜に羽ばたく高嶺の蝶。その初めては安くありません。私は貴方だけの女…ですが、私の居場所はここ。…また、会いに来て下さい。次はもっと悦ばせてみせます」
驚きに固まり、数秒を要する事で思考に馴染む。
目を剥くような女の値に険しい表情を向け、続く言葉に意図を理解する。
元より、金銭の払いを求めている訳ではないのだろう。男との関係を繋ぎ止め、羽ばたく日を待ち侘びる。しかし。であれば…。昨夜の縋るような叫びは一体なんだったのか。
此度この身に受けて知る。聞かずにはいられない真意を手繰り寄せるべく。夜神はハルメアの想い、その核心を問いただした。
「…あの女とはまた違った意味で度胸がある。疾く貴方の元へ。あれは方便か」
「いえ…ですが…私はいつまでも貴方の興味を引けるだけの艶やかな蝶でいたい。そして…そんな私を隅々まで貴方の色に染め上げて、夜に放って下さい」
「…なるほど…蝶とはよく言ったもんだ。昨日も言ったが…この街へは道行に寄ったまで。次があるかは分からないが…或いはお前を欲して寄る事がないとも言わないでおこう。…初めてと気付きながら、愛らしいお前の表情に流され、健気な奉仕に滾り貪った。俺にとっても、一夜の夢と忘れるのは難しい」
果たして。飛び出す答えはあの日の決意と共に男の想像を上回る。
追い求めたく、追い求めてほしい。一度目は偶然の産物だとしても、二度目があれば誇っていける。
あくまでも蝶として。色の無い瞳の中を羽ばたき魅せる。尽くした先の賛辞は思うより遥かに胸躍るものだった。
「では…逃してしまわぬよう、貴方と言う網でまた捕まえて下さい」
「上手い事を言うもんだ。…それじゃあ俺はそろそろ…」
すっ…
ばっ…!
「ん…ぅ…ちゅぱ…」
「……………」
「ふふっ。しっかりと刻み込んでおきたくて。許してください」
「はぁ…それじゃあ、またな」
きっと、抱き付いてしまえば泡のように消えていく決意と覚悟。これが追い求めたくあった女に出来る精一杯。
立ち上がり、背を向ける男の手を引き振り返らせる。
最後の口付けは激しく。再び背を向け歩き出すと、男は不器用に再会を口にし、この場を後にしたのだった。
それから数時間後。
しゅっ…!
ばた…
「飽きたな。…後何匹だ」
さくっ…
「…5体です」
無造作に剣を振り、斬り捨ててはげんなりと。鬱蒼と茂る草原にて。当初の予定通り、冒険者ランクの昇格を目指しゴブリが巣食う洞窟近くで討伐任務に当たる夜神とシャラ。
ちまちまと。這い出る奴らを狩り殺し、倒れた魔物の耳を切り落とす。
その背は付かず離れず距離を取り。珍しさ故に違和を覚えて訝しむ。
第六感…いや、女の勘と言うべき予感に促され。シャラは微かに不機嫌さの滲む声音で男の問いに答えた。
「…迷宮が近くにある弊害か。人の気配も微々たるもの…そうやって、駆け出しの冒険者は命を落としていくんだろうな…」
「あの、柊様…」
「……何だ」
「今日は何処からギルドへ来たんですか?宿のある方とは別の道から来たみたいですけど」
「…ちょっと買い物をしていただけだ」
「そうですか…なら良いんですけど」
地に伏せる魔物から視線を離し、辺りを眺め。脈絡もない感傷に駆られ呟きを零す。
まるでらしくない言動に、意味などあろう筈もなく。背に感じる視線が少し、痛いだけ。
益々もって疑念を深める女の問いに、これまた曖昧な返答で応える。
大きな枠で言うなら嘘ではない誤魔化しも、面倒と言う理由だけでなく。気まずさに加え、後ろめたさを抱いて変わる価値基準。未だ僅かと言える変化の発露は遠からず。
男は尚も訝しい目を向けるシャラの視線から逃げるように、湧いて出る魔物へと向かっていった。
一方その頃。
迷宮中層を進む二人は、広く入り組んだ洞窟内を行ったり来たりと彷徨い歩き。今ようやくの会敵を経て臨む獲物と、激しい戦いを繰り広げていた。
「グォォォォォォォッ!」
「はぁぁぁぁぁぁぁ!」
がぎーーーんっ!
ぐら…
気炎を上げ、硬い鉱物に覆われた頑強な魔物に斬りかかる。敵はB級指定、スフェラゴレム。そして二人が狙うはその心臓。
鉱石を取り込み己が糧とする。胸部に覗く核を手中に収めんと、一気呵成に攻め立てる。
物理攻撃に対する耐性など構いもせず、魔力を込めたレインの一撃が敵の態勢を崩すと、レイシアが間髪入れずに指示を出す。
「シルフェル!」
「うんっ!任せて!…砕けちゃえーー!」
「…ッ!?」
愛くるしい小人が両手を突き出し、契約者との繋がりを介して魔力を受ける。
衰えた訳ではない。久方ぶりの戦闘に勘を取り戻し。けれどいつからか、剣を振るう事も少なくなった。時に援護に回って時間を稼ぐのは、頼もしい友の力を知ればこそ。
大気を震わせ、風を起こし。掛け声と共に放たれた暴風が敵を喰む。
「よし…!今だ、行くぞディーネ!」
「えぇ!」
だっだっだっだっだ!
そしてこちらは本邦初公開。とどめの一撃を叩き込まんと駆け出すレインに応え、共に流れるのは水の精霊ディーネ。
その姿形はシルフェルと同じく人を模した小人のようで。髪は淡い水色、顔付きは凛々しくも気高い上位精霊然とした気品に溢れている。
戦闘では専ら近接を得意とするレインの援護に徹し、その役割は先の二人とはまるで異なる。
敬愛するレインの力を存分に引き出す為編み出した魔法は二つ名の由来ともなっている人精一体の絶技。その名も水凛剣。
「うぉぉぉぉぉぉぉっ!」
煌めく剣に重なる青い輝きは水の祈りと共に淡い光を放ち。敵は未だ暴風の檻に囚われたまま、その身を削り鉱石の雨を地に落とす。
雄叫びを上げ、精剣を袈裟懸けに一刀両断。昇華を経て、魔力ではない魔法を纏う残光は青い稲妻の如く。崩れ落ちるスフェラゴレムは物言わぬ巨岩となって倒れ伏した。
ずぅんっ……!
「いよぉっし!」
ざっ…ざっ…ざっ…
「巡り合わせもよく、更には倒せて良かったですね」
「ふふんっ!ワタシがいればこんなテキ余裕!」
「はいはい。あの日覚醒してからと言うもの、あなたは本当に騒がしいわねシル」
「久し振りね、ディーネ。会いたかったわ」
「シア…ふぅ…あなたも見る目がないわ。レインの中から覗いていたけど、あれが噂の夜神?レインの方が数倍魅力的よ」
「ディーネ、あまりシーアに突っかかるな」
「はーい」
勝鬨を上げ。勝利に浸る男の元へ集い、喜びを分かち合う。
激闘の末、今は余力を残せる程に成長を遂げた二人の前で…。笑みを零すレイシアに辛辣な言葉を向けるディーネもまた、想いが巡る輪の中に入って漏れる事はない。
奪われる不安と、見縊られる不満に腕を組んで胸を張る。これを嗜め、囁きに苛む男の思考は己が弱さに少しずつ、沈み始めていた。
「……………」
(…何はともあれ…これで残りも後僅か。狩りを終えれば別行動もない。少し癪だが夜神がいれば魔族だろうと返り討ちにしてくれる筈だ。そもそもあいつらの目的は…いや、俺には関係ない。けど、もしそうなったら俺はシーアと二人で…)
「さて、それでは本日の戦果も十分。今日はこれぐらいで…」
「っ…いや!もう少しだけ稼いでおかないか。ここ数日で俺達の連携も昔のように馴染んできている。ルミナが居なくても…!」
「レイン…気持ちは分かりますが、そろそろ切り上げなければ帰りが遅くなります。何より、戦力にものを言わせての行軍故に準備不足。夜神様とシャラがいるならまだしも…今は無理をすべきではありません。余裕のある内に帰還しましょう」
「…そうだな…分かった」
耐え難い焦燥に駆られ、今少しと声を荒げるレインに対し。これ以上はと歯止めを掛けるレイシア。
優しく、諭すように笑みを貼り付け、死に場所は此処じゃない。と、暗にそう告げる彼女を前に、惨めな心を見透かされないよう口を閉じ、二人は陽が落ち始める空を見て帰路を急いだ。
「お待たせしました!」
「遅くなった」
「…戻ったか。俺達が待たせる事の方が多いんだ。気にする事はない」
「…お帰り」
「…どうしたのですかシャラ、そんな顔をして」
「…様子がおかしいな」
かくして。冒険者ギルドに併設された酒場へと足を踏み入れ。変わらぬ男の様子と、神妙な面持ちの女を交互に見つめレイシアが問いかける。
慌て急いでは目耳に捉えぬ異様な静けさ。常とは違う澱んだ空気。ここへ来て、ようやく異変に気が付いたレインもまた、怪訝な目で辺りを見渡すと、小さく疑問を呟いた。
「ん、あぁ……何て言ったか」
「…カミールの村です」
「そう、その村が魔族に襲われたんだと」
「っ…!?」
「状況は…」
「壊滅よ」
「……………」
まるで興味も無く。関心がなければ偽善すら見せず。事も無げに言い放つ言葉を悔いたのは何故だろうか。
悲しいとも、悔しいともつかぬ表情で唇を噛むレイシアを見て夜神が口を開く。
「…お前の妹は優秀だ。騒ぎが収まるのも時間の問題だろう。…もし心配なら…」
「…戻りません。世界を見れば少なくない被害が魔族によって齎されています。この国だけを切り取って嘆いても仕方がない。…運が悪かったと、そう思う他にありません。それに、私が戻ったところで出来る事など高が知れています」
未だ女の真意を知らず。時が来れば去るか去られるか。帰りを待つ者がいるなら尚更に。
いつかと同じ言葉を紡ぐ男を遮る意志は固く。まるで別人のような気遣いさえ聞こえはしない憂慮に侵されすれ違う。
女の表情を見て、胸が痛むのは何故だろうか。
いつものように料理を囲み杯を手に…男は女の言葉を奪い、柄にもなく取り繕うように声を上げた。
「…さて、お前たち二人の戦果はどんなもんか、見せてもらおう。売却は済ませてきたんだろ」
どんっ…!
「50万ディアだ。…そんな事よりも夜神っ!後何日この街に滞在するつもりだ」
「おいおい、何をそんなに荒ぶってる。この分なら明日にはお前達も目標に到達するだろう、そうなれば…。俺もまだ見たい所はあるし、この女とも約束がある。そうだな…滞在は後三日、ちょうど一週間てところか」
「後…三日…まさかとは思うが…魔族を討伐しようなんて思っていないよな…」
「…ばったり鉢合わせない限りそんな面倒なのと戦うのはごめんだ。俺は別に富や名声を求めてる訳じゃない」
「そうか…」
「……………」
(こいつの反応…やっぱり過去に魔族と何かあったのか。普段の振る舞いを見ても挫折を知るようには見えなかったが…明日は予定を変えて少し遠出をしてみるか)
虚勢さえ鳴りを潜め。徐々に近づく足音に、逃げ惑う男は捨て去る事も出来ぬまま祈り、声を荒げる。
或いは今この時に恥も外聞もなく喚き散らしたなら、結末は変えられただろう。
気丈に振る舞う女と、落ち着きのない男を見て決意に至る。今から数時間前。夜神が予感と中てる魔族は、業火に落ちる村を不機嫌そうに眺めていた。




