49.一夜の夢
足早に去っていくラジエルに続き。喧騒に湧く視線の中、別れも告げずに去る背を引き留め、想いの丈を叫ぶハルメア。
その、余りにも痛切な求めに対し、夜神は一つ小さく息を吐くと、次いで脳裏を過ぎる女の笑みに瞼を伏せ、夢の螺旋を静かに登る。
かつ…かつ…かつ…
「……………」
事態の収拾に追われ、店内を駆け回る者達を置き去り。娼館としての体を為す上階へと促され待つ事暫し。
この間、用意があると言って別れた部屋で女二人。エリスは彼女の髪をとかしながらゆっくりと口を開いた。
「…それでハルメア。あのお方…夜神様は何者で…貴方とはどういう関係なの?…あれ程の強さ…下手をすればAランク…いえ、Sランクの冒険者さえ…」
「正直、私にも詳しい事は分かりません。ですが二年前、まだ駆け出しだった私は夜神様に救われた事があります…」
『離して下さいっ!私は娼婦じゃありません…!』
『いいじゃねーか。楽しませてくれたらお前の客になってやるぜ』
ざっ…ざっ…ざっ…
『……………』
『いや!離して!…誰か…あ…あのっ…!』
「大通りに出れば嫌でも自覚させられる。華もなく、容姿に自信の無かった当時の私は路地裏を歩く男に声を掛け、数日前と同じように娼婦と間違えられました。強引に腕を引かれ…身の危険を感じ辺りを見回すと、そこへ偶然通りかかった夜神様に…助けを求めました」
『……………』
ざっ…ざっ…ざっ…
『…へへ…残念だったな。まさかこんな所に人がいるとは思わなかったが…ほら!さっさと来い!』
『いやっ…!お願い、待って…!』
ぴくっ…
『…はぁ……離してやれ。表に出れば女なんか腐る程歩いている。そんな見窄らしい女でなくともな』
「けれど私の声は届かず。まるで何も見えていないかのように…一瞥もなく通り過ぎていく夜神様の背に縋る思いで叫ぶと…色の無い瞳で私を見つめ、そして…」
『ひぃっ!…た…助けてくれ…!』
だっだっだっだ…
『あのっ…!』
『…自分の顔をよく見る事だ。そんな綺麗な顔をしていれば狙われるのは当然だろう』
『え…』
『…全く…たった一月で随分と毒されたもんだ。次からは気を付けろ』
『あの!良ければ…私の働くお店に寄っていきませんか…その…今回のお礼を…』
「一瞬前に見窄らしいと評しておきながら、今度は美しいと言う。支離滅裂な言葉よりも圧倒的な力に魅せられ…或いは名のある方かもしれないと、下心丸出しで誘う私の言葉に、夜神様は逡巡もなくこう答えました」
『悪いが興味はない』
『ですが、このままでは私の気が…』
『お前の気なんか俺には関係ない。夜の蝶ならそれらしく興味を持たせてみろ。表通りに出ればこんな得体の知れない男よりもましな人間はごまんといる』
『私は…貴方にとって興味を向ける対象ではないと…』
『鈍い女だ。そう言っているだろう』
「ふふっ…清々しい程でした。あの時の私でさえこうもはっきりと言われた事はありません」
『なら!私がもっと良い女に…高嶺の蝶になったら興味を持ってくれますか?』
『はぁ…この世界の女は折れるって事を知らないのか…』
「結局、私の問いに答える事なく彼は呟きと共に姿を消しましたが…この胸にはいつまでも残り続けました」
「初恋か…羨ましいわね。それで貴方は店を移り、この娼館に籍を置くにも関わらず…誰にもその身体を許さなかったのね」
「はい…」
語られる過去に見る男の姿に恋焦がれ。想い続けた二年間。形は違えど望む未来は同じもの。
全てを知り、心を欲するレイシアと、何も知らず、ただ抱かれる事を夢見たハルメア。伏せられる素性に心当たりもなくはないが…これを言えば騒ぎになる事は間違いないだろう。
同時に、初めて耳にする淡い恋心。これを聞き、何故と浮かぶ疑問はただ一つ。突拍子もない言葉の答えなど想像に容易く。けれど結果は想像の域を超え。長きに渡り秘めてきた想いを投げ槍に叫んだ理由とは何か。
『夜神様…!お願いします!私を夜神様の女にして下さいっ!』
「…でも…何で急にあんな事を言ったの?…脈絡もなく…以前そう吐き捨てられたなら結果は分かっていたでしょう」
「…きっとあの日のように…刹那に消えてしまう。そう思ったら…何を言っても、どう思われても引き止めなくちゃって…」
「っ…ごめんなさい。決めつけず、話しを聞いてあげればよかったわね…」
「いえ、エリス様は何も悪くありません。むしろ感謝しているくらい…私自身、彼があの人と同一人物か半信半疑でした。詮索はするなと…聞きたい事は山程ありますが…さっきの魔力。あれは紛れもなく…」
「そう…けど、良かったわね。あの方に抱いてもらう為に、磨いてきたのでしょう?」
「……はい…」
今も尚、見違える姿に確信は遠く。それでも、二度は巡らぬ機を前に、秘める想いを受け止めて。
エリスは可愛い蝶の心を慮り、言葉を選んで問いかけた。
「…言わなくてもいいの?」
「二年前の、たった一瞬の出会い。覚えている方が難しいです。けど…ーーーーーーー」
「ふふっ。なら早く行ってらっしゃい。余り待たせてはまた何処かへ行ってしまうかもしれないわよ」
「はいっ!」
そして、返す言葉は彼女の心配を他所に先を見据え。一度の逢瀬で終わる気などありはしないと告げて行く。
一糸薄衣を纏い。逸る気持ちを押し留め踏み締める。
一歩、また一歩。其処彼処に置かれた鏡を覗き、乱れてもいない髪を撫で。最後に一つ、息を吐き。ハルメアは静かに男の部屋へと足を踏み入れた。
ぎぃぃぃ…
「あの…夜…神…お待たせしました…」
「ふっ…長い事待たせるだけはある。もっと近くで見せてくれ」
「はい…」
すた…すた…すた…
つぅー…
「っ…!」
「良い反応だ。悪くない。…言っておくが、俺はこの世界で女を抱くのは初めてだ。それにもう随分と長い間…。あまり優しくはしてやれないかもしれないがそれでもいいのか」
薄闇にぎこちなく、歯切れも悪く名を呼べば。月明かりに照らされ、男は変わらぬ態度で言い付ける。
絹に覗く白い肌に指を這わせ、つんと立つ乳頭を弾けば頬を赤らめ喘ぎを漏らす。久方ぶりの女体を前に、理性は吹き飛ぶ寸前。
それでなくとも先日は不意の夜這いに心を乱されたばかり。であれば何をしでかすか。
紡ぐ言葉と気遣いに、高まっていく衝動。同時に、濡れる身体は欲情に溺れ。ハルメアは男の手を取り乳房に押し当てた。
むぎゅっ…
「おい…」
「構いません。私は貴方の女です。…どのように抱かれようと、この身は悦びしか感じない…だから、夜神の好きなように抱いてほしい…!」
ばっ!
(…オレが人間だったら…ヨルの全てを埋めてあげられるのに…)
欠片も残さず消えゆく理性と共に腕を引き。両手を抑え、唇を奪う。
もはや何故、どうしてと浮かんだ疑問など遥か遠く。男と女は身体を重ね、時を忘れて求め合う。
そんな、一夜の夢を覗く彼女は男の内で唇を強く噛み。湧き溢れる悲しみに暮れ切望を口にする。また、一人残されたエリスも今日と言う日を振り返り、誰知らず物思いに耽っていた。
「ふぅ…あの強さでFランク…どうしたって切り離せない。勇者…王都でお披露目があったのも確か二年前ね…男女二人。その時には間違いなくいなかった。他国で召喚されたか…或いは…まったく、とんでもないのを連れてきてくれたわね…」
『けど…ただの一度で抱き尽くせる女ではないと。必ず次に繋いでみせます』
「ふふっ…まずは今日の事を濁しておかないと…それに明日からはもう憂いなく。仕事に集中出来るといいのだけれど…惚れた腫れたも若い内だけ…どうせなら、身請けまでさせてみなさい」
男を取り巻く強烈な女達の存在など露知らず。脳裏を過ぎる証の格差と、拭い切れない違和感に思慮を巡らせる。
夜に棲まう女帝の見識は、伏せるまでもなく辿り着き。いつか叶えるであろうハルメアの言葉を思い浮かべ、未来に想いを馳せる。
一夜の幕間。その終わりと始まりは夜明けと共に訪れた。




