48.貴方の女
「…ところで…夜神様はこの街へどういった用向きで来られたのですか?冒険者とお見受けしますが…この街の方ではありませんよね。やはり迷宮で一旗上げようと?」
「…旅の道行に寄った観光と、面倒だが路銀の為の金稼ぎ…まぁこれについては明日からも依頼を受ける予定だが、そう長く滞在する気はない。迷宮で一旗上げるなんて、そんな大それた事は考えてもいないさ」
「そうでしたか。この街を訪れる冒険者の方々は、一様に迷宮へ挑まれる様子でしたのでつい…ご興味もないのですか?」
常と変わらぬ男の相手。しかし、常とは違う男の相手に身を硬め。慕い、憧れるハルメアの頼みに応えようとするサレイシャの先手は功を奏し。次いで選ぶ話題はこの街の代名詞とも言える迷宮について。
客が冒険者ならお誂え。大方、聞くに耐えない武勇伝を語らせ、気を良くさせようとでもしているのだろう。見え透いた誘い。とは言え、無碍にしては来た意味もなく、素直に答えては興を削ぐ。と、男は合わせて意図も無く。意味もないが興味の尽きぬ疑問を繰り出した。
「…いや、うちの勘定奉行…もといリーダーから戦果を出せと言い渡されているからな。今日の朝早くに街を出て狩りに行ってきた。…因みにだが、お前達もこの街から迷宮までの距離を表す際は近いと、そう言うのか?」
「…えっと…そうですね。割と近いのではないかと…ねぇ、サレイシャ」
「はい…私もそう思います。けどそれが一体…それよりも、まさかお一人で迷宮へ行かれたのですか?」
「ふっ…いや、正確には二人でだな」
「それはまた…豪胆ですね。聞けば迷宮の上層、地下5階でさえDランクでやっとの難度だとか…夜神様はお強いのですね…」
すっ…
「…そう見えるか?俺はFランクの冒険者だ。弱いに決まっている」
「……………」
そんな男を窺い顔を見合わせ。答えなどある筈もない問いに思考を投げる。果たして、通じているのかいないのか。飽きる程に聞き慣れているらしい男達の話は女にとって他愛なく。合わせて、煙に巻かれるものでもないらしい。
寧ろ、攻め落とすには最高の流れ。ハルメアは欲情を煽らんと距離を詰め。ものは試しと臨むなら、呑まれてみるのも一興か。
誰に憚る事もなく。欲する様な眼差しで迫る女と視線を交わし。間も無く肩が触れ合い重なる寸前。頭上から、突如冷たい声が掛けられた。
かつ…かつ…かつ…
「ご歓談中に失礼します」
「……………」
「初めまして。私、当店のオーナーを務めるエリスと申します。本日はご来店、誠に有難うございます」
夜の蝶を束ねる娼館の支配人エリス。その出立ちは洗練された貴族婦人と言って変わりなく。彼女は優雅な礼をとりつつも、男の身なりや振る舞いに注視した。
「…夜神だ。二人には楽しませてもらっている」
「それはそれは…宜しければ、私もご一緒させて頂いてよろしいでしょうか」
「勿論構わない。…不快な詮索さえしなければな」
「でしたら私はこれで…夜神様、ご馳走様でした」
かつ…かつ…かつ…
「失礼します。…所で…不躾ではありますが、夜神様はうちのハルメアとは以前から懇意にされていらっしゃるのですか?」
「まさか。宿へ向かう途中、声を掛けられただけだ」
「……………」
しかして。サレイシャとエリスの入れ替わりを機に変わる空気を感じ取り、早々に牽制を仕掛ける夜神。対するエリスは空いたグラスに酒を注ぎ、ありきたりな言葉に問う。その関係は、両者で答えが違うもの。
ハルメアが悲しみに視線を落とす一瞬を見逃さず。また、夜神の忠告を踏まえた上で。次に、彼女はこの場に在るべき資格を問うた。
「…そうですか。実はこちらのハルメア、当店では人気の蝶としてその名が広く知れ渡っておりまして…夜神様に至ってはお気付きかとも思いますが…ご覧のようにこちらの様子を窺う者も少なくありません」
「エリス様…これについては後で…」
「…そう言えば…さっきから視線を感じるが…そんなに人気があるのか」
「それはもう。高ランクの冒険者から貴族子弟の方々まで幅広く。…お客様も皆、かような方ばかりとなっております」
「エリス様…!」
「…なるほど…夜の仕事に身を置く者達を扱うあんたの言いたい事も、気持ちも分かる。…この女を思っての言葉なら…無理筋を返すのはやめておこう」
「ご理解頂けたようで。感謝します」
「…生憎と今は金も無く、分不相応な証しか持ち合わせていない。残念だが……これを飲んだら帰るとしよう。束の間、悪くない時間だった」
(…何だ…やけに騒がしい気もするが…。近くの客か…いや、違うな。…入り口の方からか…)
「そんなっ…!」
間に間に挟む声など聞く耳持たず淡々と。それが誰が為の言葉であるか。同時に、その真偽など些末な事。重要なのは、男の上手を取った事実に他ならず。呆気なくも終わりを迎える一夜の夢は、しかし。まだ醒めるには些か早いと気を引き留める。
男は、すぐ側で声を上げる女に一瞥もなく。誰よりも早く不穏な気配を察し、辺りを窺った。そして…。
「ハルメアぁぁぁぁっ!!」
「…っ!?」
「……………」
「…困ります!彼女は今接客中で…!他のお客様のご迷惑になります!」
「接客中だとっ!?今日はまだ休みの筈だろう!何故俺に嘘を吐いて…そうかやっぱり…男と一緒にいるのか!そこを退けっ!」
どんっ!がしゃぁんっ!
「ぐぁっ…!」
「きゃーっ!」
「誰かあいつを取り押さえろ!」
「…良い雇い主じゃないか。一見して煌びやかな世界だが、一歩間違えば嫉妬に狂った男に殺されかねない危険な仕事だ。気苦労も絶えないな。…さて、俺に構っている暇もないだろう。あれを片付けてきたらどうだ。俺は勝手に消えているから安心しろ」
女の名を呼ぶ叫び声。鳴り響く硝子の割れる音に、鈍重な衝撃と、上がる悲鳴。それはエリスの不安を具現したかのように。ただ一つ違うのは、これを犯す男が単なる凡夫などではなく。黄銅のプレートを下げた一流と言われるBランクの冒険者。
店内で働く男達ではこれを止める事は敵わず。客達は陳腐な見栄を張り、けれど加勢に向かい惨めな姿を晒そうとはしない。
義理も無ければ情も無く。意志も、責任も無ければ動かざる事山の如し。徐々に迫る男を眺め、夜神もまたグラスを傾け他人事。放つ言葉はいつものように、関係ないと言いたげだった。
「…そうですね。ハルメア、貴方も早く。見つかる前に隠れなさい」
(嫌…今度こそ興味があるって…お前を抱きたいって…!もう…こうなったら…!また目の前から去ってしまうくらいなら!)
「…夜神様…!お願いします!私を夜神様の女にして下さいっ!」
「っ!?…ハルメア…貴方一体何を言ってるの…」
「……どうしてと言う疑問は残るが…そうやって身の安全を確保し、要らなくなったらあれのように捨てるのか。…否定はしないが…何とも意地汚い生き方だな。悪くない女と思っていたが…どうやら目が曇っていたらしい」
迫る現実を前に解き放つ想い。それは何も知らない…いや、何も覚えてはいない男にとって卑しく下劣。しかし、まるで汚物を見るように蔑む夜神とは打って変わり。エリスは、ハルメアがこのような事を口走る様に驚き目を剥いた。そして。積み重ねの果てに至る信頼が、状況と認識を一変させる。
「………それは違います。夜神様、ハルメアに非はありません。あのような手合いは日常茶飯事…これだけの美貌です。皆優しい言葉を掛けられては勘違いし、他の男の影に嫉妬し逆恨みする。…そんな毎日に嫌気が差して…ハルメアは数日前から休暇を取っていました。…お客様の中にはこの街屈指の冒険者や王宮に登城する貴族の方も居ますが…この子が男に縋る声を上げたのは初めての事。貴方の何を知って助けを求めるのかは私にも分かりませんが…その力があるならどうか…」
「エリス様…」
「………………」
認めたくはない。男の何を見ても持つ者とは程遠く。自身が築いた城に。育てた蝶に相応しくないと突き付け。今、恥辱を飲んで頭を垂れる。
きっと数日前までの男なら、そんなに嫌なら辞めればいいと吐き捨てたことだろう。けれど今は知っている。苦衷に喘ぎ、それでも手離したくない居場所。或いはそれが誰かにとって、何よりも大切なものであることを薄紅髪の女に教えられた。
ざっざっざっ…!
「っ…!?ハルメア!…本当に店に出ていたのか…今日は休みだと言うから…それなのに。通りを歩いていたらお前が客と店に入るところを見たと聞いて…」
「ラジエル様…その…これは…」
がばっ…!
むにゅ!
「えっ…!?ひゃぁっ!」
そして間も無く。嫉妬に駆られ、荒ぶる男が目の前に立つと、夜神は口籠もり、怯えるハルメアを強く抱き寄せた。
「…俺の女が俺と何処で何をしていようと、お前には関係のない事だ」
「っ!?…貴様がハルメアの…!」
「…蝶として愛でる分には構わないが…それ以上をこの女に求める事は俺が許さない」
すっ…
ちゃき…
「Fランク…馬鹿が!雑魚の分際で…よくも俺のハルメアを…!くたばりやがれぇ!!」
がしゃんっ!
だっだっだっだっ!
腰に腕を回し、乳房を鷲掴む。生娘のような声を上げるハルメアを他所に傲慢不遜。耐え難い挑発に武器を抜く男は行手を遮る客席を薙ぎ払い、怒りに任せて駆け出していく。同時に。迸る覇天の魔力。全てを掌握する死の気配が店内に広がり始めると、恐怖は瞬く間に伝播し。
勇者など程遠い、死神の姿に客達は慄き。男は震え、知らず剣を手放した。
からーんっ…
「…なん…だ…これは…」
すっ…
「っ!?…がっ…ぅ…」
「…分かるか?それが死だ。逃れようもない絶対的な生の終わり。俺が少し魔力を込めれば…恐らく、何をせずともお前は死ぬだろう」
むぎゅっ…!
「はぅっ…!はぁ…はぁ…」
「「「「……………」」」」
ばっ…
「…さて…こそこそと、様子を窺っている奴らもよく聞けっ!ハルメアは俺の女だ。何者だろうと関係ない。こいつに指一本触れてみろ…今、その手の中に在る蝶達を二度と抱けないと思え!」
眼前に立ち尽くす男に手を翳し。熱の入る演技に知らず揉みしだく。抱き寄せられた女の喘ぎ声に、より現実味の増す代償。息を呑む客達を前にそれらしく振る舞い、ここでようやく席を立つと、声を張って知らしめる。
これら一連の様子を間近に見つめ。エリスは名も無き強者の風格に、とある者達を思い浮かべた。
「……………」
(…この強さ…あのラジエル様がこうもあっさりと…彼は一体…いえ、この方はまさか…)
ざっ…ざっ…ざっ…
がしっ!
「うぐっ…!」
「ハルメアへの愛を貫き死ぬか…諦めて己が命を愛でるか…選ぶのはお前達だ」
「…だ…だずげて…くで」
どさっ…!
「がはっ…!はぁ…はぁ…はぁ」
「失せろ」
そうして、役目を終えた女を置き去り、仕上げとばかりに首を掴んで晒し上げる。
今日から先、ハルメアの身に危険が及ぶ事はなく。まことしやかに囁かれる噂に惹かれ、去る者より集う者の方が多いのは、裏で話しを改竄する者があってこそ。そして、女は夢にまで見た再会の背に手を伸ばす。
「…夜神様…その…」
「…勝手をしたな。この先何かあれば俺の名を出してやり過ごすといい。これだけの人間が見ていれば無名だろうと効果はある。もっとも、俺は数日後にこの街を去るが…使い方は色々とあるだろう。不要になったら捨てたとでも言えばいい」
すた…すた…すた…
「あの…!」
ぴた…
「…何だ。もう俺に用は無いだろう」
「…自分の女を…抱かずに帰るのですか。…私は夜神様の女。…いつ、いかなる時も疾く貴方の元へ…だから…可愛がっては頂けませんか…!」
「……だったらまず敬称を取れ。その呼び方は…あいつ一人で十分だ」




