41.親愛
…ぎぃぃ…が…ちゃ…
そして間も無く。
宿へ戻ったレイシアは不躾に、険しい表情で目の前に立つ女の背に声を掛けた。
すた…すた…すた…
「…早速ですがシャラ。今日、夜神様と何があったのか、話を聞かせて下さい」
息つく暇もなく。是非を問わない物言いは気遣いを忘れてきたと言わんばかり。
それでも凪を揺らすに値せず。彼女ははっきりと、レイシアの求めに拒絶を示した。
「…それについては悪いけど、話す気はないわ。でもまぁ、心配よね。前に言った通り、あんたの邪魔はしないから安心して」
「そういう事ではありません!…夜神様に対する態度。あのような変容を見せられては心の在り方がどのように変わったのか…これに納得のいく言葉が欲しいのです」
「…別に納得してもらう必要はないわ。これはあたしの問題。あんたに口を挟まれる筋合いはない。それに…暫くは柊様と行動しろ。そう言ったのはあんたでしょ」
「かもしれません。けれど、貴方のそれが何に起因するものか…敵かもしれない女を前に、私の想いは自制出来るほど小さくない」
続く言葉に一変する空気と、交わす視線に弾ける火花。相対する二人。その一方は理不尽を顧みずに覚悟を示し。
そしてもう一方は…振り返る言葉に元より、選択肢などなかったと思い知る。
『今は少し…傷付けられたら困るものがある。大切に扱うと約束したからな』
「……はぁ…分かった。けど、少し長くなるわよ…」
「…構いません。これから聞く話は私の胸の内に留めておくと約束します」
耳にこびり付いて離れない、嫉妬を覚えた言葉に今はまだ、対等ではないと。
或いは敵対したとして、話はそう考える以前だと弁る。
なのに何故か。胸に燻っていた火は穏やかに灯り続け。思い出すのは頭に手を乗せる男の横顔と、囁いてくれた優しい言葉。
与えられた居場所を失う事に比べれば、恥を忍ぶなど造作もない。
シャラはベッドに腰を下ろすと、立て掛けた大太刀を見つめゆっくりと語り始めた。
「…あたしはある国に拠点を置く闇ギルドと呼ばれる組織の一員で…今はもう帰る場所を失い、追手から逃げるただの犯罪者…」
「……………」
「寂れた町で、希望もなく…生きてるだけだったあたしはある人に拾われて、生きる術を教えてもらった。…もういつかも覚えてない…その人を姉と慕うようになって…血の繋がりはなかったけど…本当の姉妹のように。そうなれたらって思ってた…けど、姉さんはあたしを連れて組織から逃走を図り…奴らに殺された」
「……………」
「自業自得なのは分かってる…そんな勝手が許される世界じゃないことも…。追手から逃れる為、強者の庇護下に。そう言ってこの旅に同行させてもらえるよう取り計らってもらった。…でも、本当の目的は柊様に取り入って奴らに復讐する事。…なのに…それももう、今はどうしたいかすらよく分からない…」
「それはどう言う…」
「柊様があたしに…ううん…今日、何があったかについては察してくれると助かる。あたしの口からは…その…なんて言うか…とにかく!あんたみたいに愛されたいとかじゃなくて…傍に居れたらそれでいいっていうか…だから、あんたと柊様が上手くいった後も出来たら一緒に居させてほしい…!それ以上は望まないから…」
語られた過去と、切望の声を聞いて…脳裏を過ぎる。胸に押し込めた寂寥感さえ埋め尽くす、辛辣と優しさ。
あの男に見透かされ、心を掴まれてしまったのだと。思い至るのに時間は掛からなかった。
頬を染め、狼狽える姿は愛である事に違いなく。しかしそれは似て非なるもの。
今なら分かる人の機微を察し。求めるものが愛ではなく、愛情だとするなら重なる事もない。
姉の代わり。そう言っては語弊もあるだろう女の想いを受け止め。あの日、追い縋る事が出来なかったレイシアは、先の憂いを今ここで問い掛けた。
「…なるほど。得心がいきました。けれど貴方は本当にそれでいいのですか」
「あんた…性格悪いわね…それを聞くなら一つだけ…我儘を言わせてほしい…ーーーーーーーーーーーー…」
「…約束はできかねます。それは私が決める事じゃない。…けれど夜神様が望むなら…貴方に対する相応の対価と…私も納得しましょう」
「…そう…ありがと…」
旅の終わり。辿り着いた果てに一度を望む言葉に可を下し。顔を背け、礼を言う女を見て微笑ましさに険を解く。
理由を聞けば、辻褄の合う女の動向に最早疑いの余地はなく。ともすれば、相好も崩れようかと言う間際。殺伐とした生の歩みに気を取られ、流されようとしていた言葉が蘇る。
『この旅に同行させてもらえるよう取り計らってもらった』
「…この際だから聞いておきたいのですが…貴方をこの旅に差し向けたのはシャーリーですか?」
これを聞き、浮かぶ疑問などただ一つ。誰に。この凡そ見当も付く答えに、しかし未だ明言を得ず。再び険しい表情で問うレイシアに、シャラは先程よりも断然気軽に答えてみせた。
「そうよ。目的は単にこの旅の行く末を知りたいって。あたしに下された命令はそれだけ」
「そう…ですか。何にせよ、疑いが晴れて良かったです。最悪は貴方を毒殺でもしようかと思っていました」
「笑顔で恐ろしい事言わないでくれる。…まだ死ぬ訳にはいかないし…今はもう死にたくないのよ…」
「ふふっ…夜神様の事を兄さん、と。そう呼んでみたらどうですか?」
「なっ…!?何言ってるのよっ!そんなんじゃ…」
動揺を悟られまいと笑みを浮かべ、冗談を言って胸を撫で下ろす。
誰が悪い訳でもないその答え。言葉足らずは誰のせいでもないだろう。傍に居たい理由は一つ。傍に居なければならない理由は…二つ。
面倒臭さを感じ取り、意図して伏せられた言葉をレイシアは聞いておらず。時期が来ればと黙された約束が履行されるのはいつの日か…。
再会の時はまだ暫く先の事。
そして瞬く間に霧散していく緊張感と共に。この日以降、レイシアのシャラを見る目は一変する。
歳にして五つか六つ。愛する人の妹と思えば憎たらしい言葉や態度も違って見えようと言うもの。
「けど、それがシャラ、貴方の求めるものならいっそ打ち明けてみたらどうですか。夜神様は…今の貴方ならもう気付いているかもしれませんが、本当はとても優しい人…優し過ぎて歪んでしまった人…」
(兄さん…か。今更なんて…あたしも都合がいいわね…。姉さん、ごめんね。あたし…姉さんの想いを託されたのにいつの間にか…)
「…考えとく。打ち明けて突き放されたら立ち直れない自信があるから…取り敢えずはこの街にいる間にもう少し、近付けるように努力するわ。…けど、あんたも大概ね」
今はここに居ない男の意思などお構いなしに唆し。続く女の言葉に不安を呟き裏腹に。
馳せる想いと、膨らんでいく妄想は期待と親愛の表れとも言える。
誰が、ではなく。誰もが積み重ねていく時の中で。男の知らぬ間に縮まっていく二人の距離と、這い寄る二つの影。
もう何を恥じる事もなく。分かち合い、解ってほしい気持ちは尽きぬ言葉となって行き交い続ける。
この日、二人は夜が更けるまで男の事を。そしてこれまでと、これからを語り合った。




