39.溢れる衝動
「……………」
「…おっちゃん、それ、そこの首飾り」
「ん?おぉ、何だ兄ちゃん、これが気に入ったのか?」
「あぁ、それを明日の夜まで取っといてくれないか」
息を殺すように。両手で口元を覆う女の横から声を上げ、寸前まで見つめていた商品を指して取り置きを頼む。
これをどうするかなど誰の目にも明らかで。
けれど口にする事はしないまま。
「…ひい…らぎさま…」
「おいおい、そりゃあ幾ら何でも…」
「1万ディアか…なら10万ディア出してやるからそれを取っておいてくれ」
「っ!…なんだよ兄ちゃん、それを先に言ってくれ。明日の夜までだな!約束だぜ!」
「俺は自分からした約束は違えない。あんたこそ、それを誰にも売るなよ」
「…ひいらぎ…さま…」
その優しさに震える声で応えようとするも、心は形を成さず。
これまでの過去を振り返り。交わした言葉の意味を知り。けれどそうする理由も知らぬまま、溢れる涙は止めどなく。
「…はぁ…ったく…一旦通りを出るぞ。そんな顔で歩かれちゃいくら周りを気にしない俺でも流石にきつい」
そう言って、振り返りもしない背中は人混みに紛れ遠ざかり。広場に並ぶベンチに腰を下ろすと、男は静かに目を細め。女は俯き嗚咽を漏らす。
その手も、顔も。言葉さえも向けられず。やがて鼻を啜る音も止んだ頃。男は眼前を見据えたまま、ゆっくりと口を開いた。
「…少しは落ち着いたか」
「はい…その…すいません…」
「気にするな」
「…何で…あたしなんかに優しくするんですか…」
近寄るなと。そう、言われたばかりの身は沈み。夜通し考えた応対も素気無くあしらわれ。かと思えば、答えも与えず狂わせる。
矛盾だらけの言動と、余りにも不可解な男の思考にこれ以上、耐えられず。その本意を聞かせてほしいと…女は俯いたまま問い掛けた。
「別に優しくしているつもりはない。思った事を言っただけだ。…いつもと何も変わらない」
「何で復讐が目的だと…」
「あれで隠せているつもりならめでたい頭だ」
「じゃあ…首飾りは…」
「俺が欲しいと思う物を買うのはおかしいか」
「…うっ………ぐすっ…卑怯です…」
「おいおい…分かった、分かったから泣くな。一つだけならちゃんと答えてやる」
しかして曖昧な言葉で煙に巻き。はぐらかされてももう遅い。
これを決壊させた男に。堰を切った想いに我慢などありはせず。そんな心を愛撫されては取り繕う事さえ出来やしない。
子供と大人の境を生きる十九歳。愛情に飢え、満たしてくれた姉の願いをこの人と望みたい。
「…何で…優しくしてくれるんですか?」
「はぁ…優しくしているつもりはない。…お前のあの顔が…見ていて気分の良いものじゃなかっただけだ。必要以上に近寄る事を許した訳じゃない。…今と同じ、気になった店を覗いたに過ぎない。単なる気紛れだ」
「…あの首飾りは柊様が付けるんですか…」
「それは二つ目だ。答えてやる義理はないな」
「………………」
「…お前…急にあの女みたいに太々しくなってきたな。そんな目で見ても答えるつもりはない」
何が解決した訳でもない事は分かっている。けれど今なら、前を向ける気がした。好みだと言われた、あの頃のあたしで。
復讐を忘れた訳じゃない。だけど、これに向き合う気持ちはもう、卑屈なものなんかじゃなくて…。
不思議と今も、愛されたいとは思ってない。でも、目一杯可愛がってほしい。
…使い潰されたって構わない。諸共だって構わない。けど…生きていたい。
「…シーアは…柊様に随分と近寄っているように見えます…」
「…あいつの事は…正直俺にもよく分からない…これでも底が浅い人間ではないと自負しているつもりだが…あいつには何故か全てを見透かされているような…」
「…シーアの事、どう思ってるんですか?」
「…さぁな……」
今、男に向けるこの気持ちが何かを自覚と共に理解し。けれど、喪失を埋める事を望む心は明かすことを許さず。言いながら、笑みを浮かべる男を見て、無意識に悟る。
なら、其処じゃなくても構わない。
彼女は誰とも重ならない、自分だけの居場所に手を伸ばそうとしていた。
ばっ!
「柊様!…まだ夕暮れ前です!もう少し街を見て回りましょうよ!」
「…はぁ…昨日今日の今までと違ってまぁ…随分と良い顔をするじゃないか。その方が今朝までより幾分ましだな。…さて…それじゃあもう少し街を見て回るとするか。…首飾り分くらいは俺に、お前の想いを魅せてくれ」
まるで幼い少女のように愛らしく。笑みを湛えて男を急かす。
身の丈近い大太刀を背に、並ぶ二人はぎこちなく。雑踏に消え入る姿を眺め、一歩先から跡を追う。想いと誓いの行く末を見守り、彼女もきっと、もどかしさに笑みを浮かべているだろう。
ぎぃぃぃ…
「あっ!柊様、あそこに!」
「…分かったから引っ張るな」
こうして、不意に始まった街の散策は夕暮れと共に終わりを迎え。早く早くと袖を引き、冒険者ギルドへ舞い戻る。
知らぬ間に、落ち合う場所と時間を決めてたらしい女は忙しなく。男は、そんな彼女に振り回されて為すがまま。解かぬその手はこの日に詰めた距離の証と言えるだろうか。
まだ、仲間と呼べない者達と合流を果たし、シャラは勢い良くその手を振り上げた。
「夜神様っ!」
「夜神!シャラ!こっちだ!」
「そんなでかい声を出さなくても見えている」
「お疲れ。遅れてごめん」
「…らしくないな。そんな事を気にする柄じゃないだろ。それより、早速飯にしよう。夜神は飲むだろ?シャラはどうする?昨日は余り酒に手を付けてなかったみたいだけど」
「俺は遠慮しておく。酒は暫く無しだ。昨日は調子に乗って酷い目にあったからな」
「…あたしは貰おうかな。柊様も一杯だけ…乾杯くらいしましょうよ!明日も一緒だし、もし体調が悪ければあたしが魔物を狩るから」
「…ったく…お前が狩っても意味がないんだよ…一杯だけだ」
「はいっ!…すいませーん!」
「「……………」」
「…はぁ…」
この日を以て変わる女の雰囲気に、違和を覚えて口を衝く。レインの言葉を皮切りに、シャラは男の隣へ腰を掛け。甘えた声で酒をせがむと、快活に声を張り上げる。
朗らかに、笑みを振り撒くこの女は一体誰か。予期せぬ異様に顔を見合わせ、答えを求めて視線を流す。その居た堪れ無さに辟易と。男の零す溜め息が、夕食を告げる合図となった。




