38.先を生きる理由
「…はぁ……頭が痛い…吐き気も残ってやがる…ほんと…これだから嫌なんだ……」
それは人と関わる誰もが支払う代償で。
時に仲間と共に街へ繰り出し。時に仕事の終わりに同僚と。一時の楽しさを引き替え、金と時間を浪費する。
空気を読み、付き合いと頷き。これを肩代わりするでもなく。責任を負うでもなく。結果、辛い思いをするのは自分ばかり。
男にとって、関わりとは不利益しか齎さないもの。
「柊様……お水です」
「ん…ぅ…あぁ、悪いな……ってお前…」
「おはよう…ございます。…昨晩はその…すいませんでした…」
「…やっぱり夢じゃないのか」
「……………」
その渦中に在って恥ずかしさに顔を背ける女を見つめ。月光に照らされる白い肌と、柔らかい乳房の感触を思い出す。
「…ったく…お前も大概だな…それで、こんな朝早くにどうした」
「…えっと…すいません…もう昼を回ってます。…良ければ一緒に昼食など…」
「…もうそんな時間か…にしても今は飯なんて気分じゃないんだが……はぁ…分かった。準備するから少し待ってくれ。…そう言えば、あの女とレインはどうした」
「それについては後ほど…」
これが、他者との関わりであると知る男は面倒臭さを隠しもせずに。用件を促し、窓に目を向け。次いで辺りを見回すと、女の言葉にやれやれと言った様子で支度に取り掛かる。
それから数十分後。どうやらお目当ての場所があるらしいシャラを前に、何処へ行くのかと付いてきてみれば…。
体調も悪く、既に働く気の無い男にとってそれは忌むべき場所。冒険者ギルドだった。
「…それで?」
「…シャーリー王女に経過報告の文を出し、依頼を受けるか…迷宮に行って、魔物を狩ります…」
「へぇ…そうか。まぁ頑張れよ」
昨晩とは打って変わって騒がしい喧騒の中。これに併設された酒場の一角にて。
不機嫌さを隠しもせず。まるで他人事のように言ってのける男に対し、どこか言いにくそうに口を開く。
「その…柊様も一緒にです…」
「はぁ?…金なんか必要な時に必要な分だけ稼いだらいい世界だ。俺は金を必要としていない。今も仕方なくお前に付き合ってるだけだ」
「…ついては彼女からの伝言です…あたしと柊様、そしてシーアとレイン。フェルメース滞在中は二手に別れ路銀を稼ぐ事。…収入の目安は一人あたり50万ディア…だそうです…」
「………あー…そんな事も言ったような…気はするな…」
「路銀にしては多少過多だと思いますが、柊様の為だとか…」
しかして返る言葉など知れたもの。けれど頷くだけでは到底傾ける事は出来ないと。
眠れぬ夜に隈を作って出した答えは時に諫め、意見する。それが…いや、そう感化されると同時に、彼女にはこれしかなく。…胸に盛る怨讐など、綺麗である筈がないと思い込んでいた。
「と言う事は…」
「はい。二人は既に依頼を受けたか、或いは迷宮へ狩りに行ってます。あたしは…部屋で柊様が起きるのを待ってました」
「…起きるのが遅くて悪かったな」
「い…いえ!そういうつもりじゃ…すいません……」
とは言え、目的を考えれば必然。取り入る為に従順にならざるを得ない彼女がレイシア程物を言える筈もなく。尻すぼみ、小さくなっていく言葉に男は何を思うのか。
「…まぁいい…それなら今日はこれから観光だ。街を見て回るからお前も付き合え。あ…っと、その前に…お前今手持ちの金はあるか?」
「はい…それはありますけど…」
「ならここを含めて払いはお前に任せる。俺は金銭の類は何も持っていない」
「…それは勿論構いませんが…依頼や狩りはどうするんですか?」
「…はぁ…お前な、もう少しのんびりしたらどうだ。別に今日稼がなければいけないと言われた訳じゃないんだろ?…それとも何か、たかだか一日さぼったくらいで変わる事でもあんのか?」
「いえ…そういう訳じゃ…」
「だったら付き合え」
「………はい…」
唐突に繰り出される言葉は意見を許さず。振り返れば当然の流れ。
では何故、捨て置く事を選ばないのか。
その答えに自覚があろうと無かろうと、見てしまったものは拭えない。自身の手を取り胸に当てる女の顔。その頬を…一筋の涙が伝う一瞬を…。
それから間も無く。案内を買って出るシャラを制し。街を見て回る男は所狭しと並ぶ露店を見ては声を上げ。店に入っては声を上げ。彼女は息吐く暇もなくこれに振り回されていた。
「おい、シャラ。これは何だ」
「これは…」
「おい、シャラ。この本は幾らだ」
「それでしたら…」
「おい、シャラ…」
「はい…」
機械仕掛けのように繰り返す。その横顔を盗み見て、はしゃぐ姿にこんな面もあるのかと。
笑みを零す女を見ながら通りを進み。やがて日も西に傾き始めると、男の目論みは装飾品が並ぶ露天商の前で叶う事となる。
「……………」
「…綺麗だな」
「っ…!すいません。立ち止まってしまって…先を…」
「構わない。好きなだけ見ればいい」
「…え…っと………」
「陽の下を歩き、綺麗な物を綺麗だと思う。それは当たり前の事だ。…日々はどう過ごそうと早くも遅くも進まない。昨日、馬車の中で俺の部屋にと迫ったお前が。…くだらないやりとりに笑みを零すお前が…本当のシャラなんだろう。身体で迫るお前も勿論魅力的だったが、俺はこっちの方が幾分か好みだ。…どうやら殺す事しか知らないお前に俺の言葉は難しいようだからはっきり言ってやる。…俺の天秤は尽くしたかどうかじゃない。だからもう少し肩の力を抜いて旅を楽しめ。居場所はここ、意味は俺だ。理由は与えないでおくから…復讐を果たした後に自分で探せ」
ぽふっ
「……………」
「そして欲するなら…俺に心の内を見せてみろ。それが綺麗なものなら力を貸してやる。雇い主に感謝しろ。…あいつらのお陰で、今の俺はこの世界に少しばかり贔屓目だ」
何故、顔を見ないよう背に立つ男に口付けを迫ったのか。騒めく胸の鼓動に戸惑う気持ちと。今、腑に落ちる想い。
間近で見せられては意識せざるを得ない感情に振り回され。失念し、消失した言葉はどうと言う事もない。最初から彼女に答えを示していた。
『あの人は取り繕う事を好まない。懐に入りたいならありのままを』
そして別れ際、王女は彼女にこう告げた。
『或いは…綺麗な想い。これが夜神様を動かす鍵であり、その定義は夜神様だけが知るもの。間違っても貴方如きの物差しで測ってはいけません。…それと最後に。お姉様と同等以上の覚悟が無いのなら、想いを寄せる事だけはしないように。とは言え、きっとこれに抗う事は出来ない。…夜神様の言葉は猛毒です。自衛の手段くらいは考えておきなさい』
それは遅きに失し。姉のように優しく頭に乗せる手はいつかの温もりを。穏やかな声で囁く言葉は身を焦がす炎を消し去り。前提が違う事を思い出せば逸り張り合う意味はなく。
先を生きたい理由は、今出来た。




