26.秘める想い
そして時は進み。前後入れ替わるも空はまだ暗く、空気が澱む丑三つ時。
「……………」
「……………」
「………なぁ」
「…何だ」
醜くも愚かしい言い争いの末。達した結論は誰にとっても利のない選択で。けれど彼女達にとっては都合が良かったもの。
であれば必然。これによって長らく続く沈黙は当然。この間に幾度となく、口を開いては閉じ。開いては閉じ。意を決し、声を掛けるのは何故だろうか。
『…俺じゃあだめか?』
いつかの夜。悲痛な表情を浮かべる女に男はそう言った。
『…いいですよ』
この言葉に、女は僅かに驚いた様子を見せると、答えを返し、続けてこう問いかけた。
『けど…私はとても嫉妬深いから。私だけを見てくれる人じゃないと嫌なんです。…故郷を捨て、家族を捨て、友を捨て。後はそう…他の女が寄ってこないように…その地位と名声さえも捨てて。私と共にたった二人、小さな町で暮らしてくれる?』
『……えっ…と…シーア…?』
『ふふっ…冗談…ではないけれど…あの人はこれに一切の逡巡も無く頷けるような人。…悪いけど、私の事は諦めて』
そんな人間などいる筈がないと。尚も縋ろうとする男に…女はただ笑みを向けるに止まった。
「…いや…何をそんな熱心に読んでいるのかと思って…」
「ん?あぁ、これは城の書庫から持ってきた冒険譚だ。…安心しろ。ちゃんと辺りの警戒もしている」
「…………なぁ」
「………はぁ…言いたい事があるならはっきり言え」
「じゃあ…一つ聞かせてくれ。例えばお前に愛する者がいたとして。これを手にする為には国を捨て、家族を捨て、友を捨て。更には地位や権威まで手放さなければならないとしたら…どうする?」
今も希望はあると。そう思えるのは何故だろうか。
それ程に深い愛情を持つ者がいる事を知り。柊夜神と言う人間を知り。けれど悲しいかな。彼は目の前の男が王国に齎した確かな災いを知らなかった。
「…何かと思えばそんな事か。…知る訳がないだろ」
「はは…そりゃあそうだよな。…変な事聞いて悪かったな」
これをして言葉とはなんと難しく。知る訳がない。それはそう。人は、いや誰しもが未だ起こってもいない事柄をどう感じ、どう動くかなど、未来が見える者でもなければ分かりはしない。
なのにどうしてか。人間は常に自身にとって都合の良いように解釈する生き物であり、そうあってほしいと願うレインにとって、夜神の言葉は『出来る訳がない』と変わりなく。
そしてこれ以降、続く沈黙に静寂さえも心地良く感じる時を経て。夜明けを過ぎ、本を閉じる男を待っていたのは騒がしくも煩わしい朝の訪れだった。
「おはようございます、夜神様」
「おはようございます」
「二人とも、おはよう」
「あぁ、悪くない朝だ。これが異世界の日の出か…ドラゴンでも飛んでくれたらさぞ絵になったろう。…いつか見てみたいもんだな」
遠くに聳える山々と、陽の光を浴びて煌めきだす水面。風に揺られ、騒めきを歌う木々の声を聞き、感嘆の息を漏らす。
昨夜の残りを朝食に、火を消し荷を乗せ準備を整えて。走り出す馬車の中、再び気まずさに衝かれ目を向ける。レインは膝を抱え、男の様子をちらと窺う女に声を掛けた。
「…そう言えば、シャラは何でこの旅に?」
「あたしはある人に柊様を紹介してもらって。この旅に同行してる理由は…あんたに関係ないでしょ」
「釣れないな。…夜神は知ってるのか?」
「ん?…あぁ知っているが…そいつの言う通り。これに同行している理由は他人が口にするものじゃない。知りたきゃそいつを口説くんだな」
「……………」
「そんな目で見なくても…別に詮索する気はないから安心してくれ。それで…肝心の戦闘についてはどうなんだ?見たところ近接か…魔法が得意なようには見えないが…」
「戦闘については心配しなくても大丈夫よ。あんたの見立て通り魔法は使えないけど足を引っ張るような真似はしないわ」
「…核無しか」
「悪い?」
「いや、すまない。そういうつもりで言った訳じゃないんだ。けど…それなら魔力が必要な時は言ってくれ」
どうと言う事もない始まりに、終わりも近いと眺めてみれば。知らず巻き込まれ。話が予期せぬ広がりを見せ始めると、繰り返すやり取りに疑問が湧き上がる。
精霊については言わずもがな、ある程度は知っている。核についても同様に。また、核を持たない者を核無しと、そう呼ぶ事も知識として得てはいる。が、機を逸した夜神にとって、覇天を除く魔力に関する話は口を挟むに十分なものだった。
「…魔力ってのは譲渡出来るものなのか」
「ん?…あぁ。夜神も戦闘の時は武器や防具に魔力を流すだろ?あれと同じ要領だ。核な…っと、魔力核を持たない人間は武器それ自体に魔力が宿っている物や、一時的に魔力量を引き上げる道具を使って補うんだ。例外もあるが…湧いてくる魔力も俺達に比べれば微々たるもの。これを身体の強化だけじゃなく武器や防具にまで回してたらすぐに息切れする事になる」
「柊様…この世界では魔力核を持ってる人間の方が圧倒的に少数派で…核無しとはそれを揶揄した言葉です。レインの言うように、逼迫した状況では他者から魔力を貰うことも少なくありません」
「あー…そういう事か。知らなかったとは言え、この前は悪かったな」
(魔力の授受か…もし俺の魔力をこいつに渡したら…どうなるんだ…)
「いえ、異世界人である柊様にそこまで求める訳には…そう言ってもらえるだけで十分です」
「…この態度の差は一体なんなんだ…」
「柊様には気を遣うだけの理由があるけど、あんたには無いからに決まってるでしょ」
しかして。話に理解を深め、謝意を述べると、次いで好奇心が顔を出す。
自身の魔力が他の七核とは根本的に異なる事実を聞かされて以降、その制御に時間を費やしてきた。けれどもし、この話が本当なら。強敵との戦闘に出張る事もなく、戦果を押し付けのらりくらりとやり過ごせるのではないか。
無論、その相手を慎重に選ぶ必要はあるが、選択肢が増えるというのは悪いことじゃない。
先を見据え、続く二人のやり取りを眺め思案する。男の疑問は続く声に掻き消された。
「夜神様!」
「…どうした?」
「あれを…」
すっ…
「…ん?…おぉ…!盗賊か…初めて見たけどアニメのまんまだな」
「あにめ…ですか?」
「…気にするな。それよりも…渦中にいるのは何処ぞの令嬢か商人か…窮地を救う冒険者と共に、先の物語は急展開を迎える…か。気が利くじゃないか。お陰で良いものが見れた」
「……………」
(初めから分かっていた事。…きっと、夜神様をそうさせたのは誰あろう人間の曲悪…けど…)
「何かあったのか?」
「あぁ、盗賊が馬車を襲っているところをな。…護衛らしき冒険者の姿もあったが…あいつらじゃ守り切るのは無理だろう」
まだ距離のあるそれを発見出来たのは、長きに渡る研鑽の賜物。そして…顔を出し、一目見ると興味も失せたといった様子で引っ込む男の本質も、随分と前から解っていた。
もう、王女である事を捨てた身に、民を守る義務は無い。けれど、見捨てるというには些か惜しく。ここに天秤が無いのであれば、憂うには尚早い。




