20.拾う者あり
ひゅんっ…!
『………………』
『大丈夫か?』
『…………え…夜神さ…ま…』
しかして。迫る死に顔を背けた矢先。その身に感じる温もりと、宙を舞う浮遊感に窮地を脱した事を悟るレイシア。或いは、と。悪夢を振り払い目を開けた瞬間。霞む男の面影は揺れるように流れていった。
『…それはさっきの男か。知り合いのようだけど…随分と傲慢な奴だな』
(違う…冒険者…?…私は…この人に助けられた…)
『……………』
すたっ…
『ほら、立てるか?』
『ありがとう…ございます…』
城壁の天辺に降り、まるで感情の無い機械のように礼を述べる。女の目は濁るように昏く、襲い掛かる喪失感に生気さえ失われ。今、失意の底に揺蕩う生に一体どれだけの価値があるのかと。レイシアは魑魅魍魎が跋扈する眼下を見下ろし、俯いた。
『Dランクか…戦場での油断は命取りになる。ここは俺に任せて大人しくしているといい』
『……どうして私を…』
(死なせてくれなかったの…。もう…何も無い…生きる意味も…生きている理由も…。何で…助けたの…あんな背を見るくらいならいっそ…)
『…殺気を当てられたんだ。それで魔物に襲われそうになっているあんたに気付いた』
『………それって…どういう…』
『いや、どうと言われてもな…僅かに距離はあったが一瞬、奴とも目が合った。あんた達の間に何があったかは知らないが…正気の沙汰じゃない。俺が駆け付けなかったらどうなっていたか…強い男なら他に幾らでもいる。何もあんなのと組まなくたって…』
『………………』
『…あんた、意外と強情なんだな。別に、俺はあんたを口説いてる訳じゃな…これなら信じてもらえるか?』
不意に告げられた事実と、受け入れ難い現実。
有り得ないと。そう思いながらも男の証明を期待し始め。これ以上は耐えられない心が疑念を生む。
もう、言葉だけでは覆らない。それ程に、目の前から去っていく姿が焼き付いて離れなかった。
男は、尚も訝しむレイシアを前にそっと襟に手を入れると、それら全てが事実であるという根拠を示して見せた。
じゃら…
『Sランク…冒険者…』
『そう言う事。俺はレイン。レイン・セロルシス。水凛のレインと言えば多少名も知れて…って、おい、いきなりどうした!?』
ばっ!
『ありがとうございますっ…!本当に…本当に…何とお礼を言ったらいいか…』
煌めくビスマスのプレートを翳し、名乗りを上げる。Sランク冒険者、レイン・セロルシス。その強さはこの世界に於ける人々の最高到達点と言っても過言ではないだろう。元より、男の話しを疑っていた訳ではない。レイシアはただ、信じられなかっただけ。
どれだけ想いを募らせても届かない。助ける価値すらないのだと。見捨てられたと思い込み、持て余す生に怒りさえ芽生えた。けれど、その指先は確かに届いていたのだと。雲間に覗く太陽のように、煌めく証が一筋の光となって彼女を照らす。
彼等の言葉は安くない。Sランク冒険者とは、それ程に価値のある称号だと、レイシアが知ったのはつい最近の事だった。
間に間に見る地獄と天国はまさに急転直上。であればこの身を救ってくれた事、感謝を述べる言葉にどれ程の想いが込められているだろうか。
『いや…取り敢えず頭を上げてくれ。…さっきまでとはえらい違いだな。…あんた、名前は?』
『すいません…シーアと言います』
『そうか。取り敢えず…今は長話も出来ない状況だ。俺はあれらを片付けてくるからシーアはここで待っていてくれ。…その…なんだ…そこまで言うなら後で飯でも…』
『はいっ!是非、お礼をさせて下さい!』
こうして二人は知己となり。程なくこれに加わる女と共に、一行は夜神を追う旅に出る事となる。
「シーア、本当に久しぶりだな」
「えぇ、けど…突然ごめんなさい」
「気にしないでくれ。何かあれば力になると言ったのは俺の方だ。それに…」
(前回はルミナに言われ引いたが…お前にその気が無いなら、シーアは俺が貰う…!)
「レイン?」
「いや、悪い。何でもない」
金色の髪と、赤みを帯びる薄紫の瞳。その顔立ちは夜神に勝るとも劣らず。Sランク冒険者である地位と、温厚篤実な性格を加味すれば比べるまでもない、人としての価値。
負ける筈がない。ちらと窺う男は自身の存在に目もくれず。レインは女を巡る好敵手に向け、内心で宣戦布告を言い渡した。
「夜神様、申し訳ありません。この方と少々込み入ったお話があるのですが…」
「構わない。もうここでの用は済んでいる。…俺は武具店にでも行って剣を見てくるとするか。帰りは勝手に…」
「いえ、ここで!一時間後に落ち合いましょう」
「はぁ…分かったからそう大きな声を出さないでくれ。それでなくともお前のせいで視線が痛いんだ…ったく…」
そうして、レイシアはレインを伴い場所を移すと、懐かしさに暫し思い出を振り返り。そして間も無く本題を切り出した。
「それで、便りには俺の力を貸してほしいとあったが…具体的には何をすればいいんだ?」
「知っての通り…夜神様は私の願いによって記憶の一部を失っています。当面の目的は精霊の泉に赴き精霊契約を成す事ですが、その道行で万が一夜神様を知る人物がいた場合、これを誤魔化すのに一役買って欲しいのです。それに…」
「ふっ…」
「えっ…と…私何か変なことを言いましたか?」
「いや、そうじゃない。言葉遣いがまるで別人だと思って。それが本来あるべきレイシア王女と言う訳か。ぷっ…あっはっはっは」
「もう、笑わないで下さい!あの時はバレないように必死だったのです!それと、レインには私が夜神様に置いていかれないよう全力で助けてもらいますからそのつもりで!」
「おいおい、Bランクになって二つ名で呼ばれるようになったってのに…はいはい。分かりましたよお姫様。…それで、話はそれだけじゃないんだろ?」
変わらない美しい顔と、変わってしまった青い髪。蘇る記憶に見る冒険者と、目の前の王女。その余りにも落差のある立ち居振る舞いに笑みを溢し、先を促す。
自身の素性さえ隠し、至った西の果て。全ての疑問は詳らかに明かされ、しかし。男については異世界人であると言う事以外、何も知らず。
レインの真剣な表情に何かを察したレイシアは、居住まいを正しゆっくりと口を開いた。
「…そうですね…柊夜神と言う人間について。少し話しましょうか…。ーーーーーーーーーー」
「…前に、正気の沙汰じゃないとは言ったけど…俺にシーアの危機を知らせるくらいには情もあったって事か。自分で助けなかったのは突き放す為…なるほど。これでようやく、あの時のシーアの変わりようにも得心がいった。なに、心配する事はない。俺やシーアと共に旅をすればあいつも少しずつ変わっていくさ」
その物言いはまるで何処ぞの主人公のように。敗北を知り、挫折を知り、覆い隠す。あの日、力の一端を目にして尚、失われる事のない根拠なき自信。それは心強くもあり、危うくもあり。
「そうだと…いいのですが…」
変わってしまう事など、望んでいない。そして、理解し得る筈がない。これら喉元に絡み付く言葉を飲み込むことが、レイシアに出来る精一杯の気遣いだった。




