19.捨てる神あれば
そして一週間後。
『…夜神様……』
かくして、これを制止する者達を振り切り。国境を越え、幾つかの街を経由した後、彼女は辿り着く。ここはバッシェルド帝国領土内。城塞都市アーカイム。
『おい、そこのお前。…見掛けない顔だな』
『あ、申し訳…すいません。私は冒険者のシーアと言います。先日、ここに大量の魔物が流れたと聞いて来たのですが…』
『……依頼を受けた冒険者か。今は一人でも多く戦える者が欲しいところだ。助かるよ』
その壁内に入って間も無く。巡回の兵士に声を掛けられると、首に掛かる銀色のプレートを掲げ、身分を明かすレイシア。
厳戒態勢の敷かれた街は人通りも少なく、どちらかと言えば兵士や冒険者の方が多い程。であれば、男がそう思うのも必然。また、一刻も早く状況を知りたいレイシアにとって、情報を得る絶好の機会となった。
『いえ…。それで、襲撃の際にこれを撃滅した人がいると聞いたのですが…』
『あぁ、俺も実際に見たわけじゃないからなんとも言えないが…けどほら、あれを見てみろ』
『っ…!?』
『…今はもう数も少ないが、その日は無数の氷塊が至る所にあったって話だ。誰がやったのかは分からないが…ここまでするならいっそ迷宮の元凶を叩いてくれたら助かるんだがな。…何にせよ、まだ予断を許さない状況だ。気を抜くなよ』
そう言って顎をしゃくり、兵士が示す先。振り返り、女が目にしたのは微動だにしない魔物の氷像だった。
あれから一週間を過ぎても解決に至らない魔物の襲来と、これを単身で掃討する人間の存在。レイシアは逸る気持ちを抑え、まずは街を巡り情報を集める事に専念した。
それから数時間後。
ぼふっ…
『…話によれば、数日前から街に押し寄せる魔物の数は減ってきているらしいけど…これを放置しても抜本的な解決には至らないと…領主の命で明日にでもこの街の兵士、冒険者を幾人か選抜し、迷宮へ赴くと言う……もし、今回の騒動が解決してしまったら…』
はぁ…
ごろん…
(結局、夜神様と思しき人の情報は何も得られなかった。本当に…夜神様なの…だとしたら何故、この街を救ったの……そんな善意、彼にある筈が……あ…れ…眠気が…流石に少し…疲れ……)
夜を徹し歩き続け、慣れない地と慣れない言葉に気を遣う。狭く、質素な宿では抜ける筈もない疲労。レイシアは倒れるようにベッドへ身体を投げ出すと、間も無く深い眠りに落ちていった。この数時間後、事態は急展開を迎える事となる。
かーんっ!かーんっ!かーんっ!
「ん…んぅ……」
かーんっ!かーんっ!かーんっ!
「魔物の群れがなだれ込んでくるぞー!」
「戦える者は武器を取れっ!」
「城壁、突破されました!」
がばっ…!
白みだす空と、鳴り響く警鐘。
夢現に聞く叫びが覚醒を促すと、飛び起き、窓を覗く。
「魔物…一体何が……これはっ…!」
まだ僅かに薄暗い世界に訪れる魔境。人々は逃げ惑い、兵士や冒険者がこれに立ち向かう。
戦いか、逃走か。逼迫した状況に迫る疑問の答えは考えるまでもなく。
ばっ!
だっだっだっだっだ!
(夜神様…夜神様…!)
走った。ただひたすらに走った。或いは、そこに再び現れるかもしれない男を求め、レイシアは街を駆け抜けた。
「それで…お前はまたこれを掃除するのか?」
一方、ここは魔物が跋扈する城壁近くにて。彼等を避けるように街を進む魔物に一瞥をくれ、漆黒に染まる猫がそう問いかける。
「蒔いた種は刈り取る主義だ。…それにもう、十分魔法の扱いにも慣れた。この街を離れる良い機会だろう」
「機会と言うならいっそ、全員殺してしまえば後腐れなくていいじゃないか。お前の言う関わりも、粉々に消えて無くなる」
「…何度も言わせるな。そんなにやりたきゃ俺の魔力を使って勝手にやればいい。…俺には、それの何が楽しいのかも分からないけどな」
「……………」
険悪な雰囲気を漂わせ。言葉はそれ以上に邪悪を醸し。一人はまるで興味も無いように。一匹はこれ以上の無意味を悟るように口を閉ざす。その莫大な魔力にものを言わせ、銀砂を撒くように街を包む煌めき。男はゆっくりと目を閉じ、魔法の発動に意識を傾け始めた。そして。
すぅ…
「夜神様!…夜神様ぁっ!!」
「っ!?………おいおい…嘘だろ……」
男は自身の名を呼ぶ声に振り返り、そこに立つ女の姿に我が目を疑った。
降り注ぐ光の粒子が舞い散る中。靡く風に煽られ、外套から蒼い髪が流れる。
あの日の夜と同じ。縋るような叫びを。胸を締め付けられるような想いを。男はまだ、忘れてはいなかった。
「夜神様…!」
「…こんな所まで…一体何しにきたんだ…」
「ただ会いたくて…貴方を追ってここまで来ました!…私も共に連れていって下さい!それが例え地獄であっても、貴方と共に在りたいのですっ!」
「…俺は……俺にはやるべき事がある。それに、お前がどれだけ尽くしても俺の心が変わる事はない…分かったらさっさと国に帰れ」
「今は一番でなくとも構いません!この身を賭し、生涯を懸けて貴方の拠り所になってみせます!だから…!」
きっと長くはない邂逅に、溜め込んだ想いの丈をぶつけ。爆ぜる感情に喧騒さえ忘れる。
そこが魔窟であると知っていた。危険であると理解もしていた。…けれど男を前に周りなど、その一切が見えていなかった。
「っ…!?」
(いや…出る幕じゃないか………悪いな。もっと早くお前と出会えていたら…俺はきっとお前に…これでお前もいい加減、俺を見限るだろう…)
直後。それは彼女の前に現れ、喉を裂くような咆哮と共に凶撃を振り下ろした。
「え…………」
(なんで…だめ…間に合わない…!ここで終わり?これで終わりなの…?ようやくこの手が…貴方に届くと思ったのに…)
登る朝陽は雲に隠れ、去っていく背に心は沈む。後悔は無く、未練だけは溢れんばかり。けれどもう、その想いを諦めてしまいそうな程、遠ざかっていく姿に打ちのめされる。
今まさに、彼女の心と身体は砕け散る寸前だった。




