16.旅立ちに向けて
それから三日後。
「はぁぁぁぁぁぁ!」
きんっ…きんきんっ…!
たったったったっ…!
がぎーんっ!きん…!きんきんっ!
「…おい、受けているだけでは感覚が掴みにくい」
がぎーんっ!
「駄目ですっ!…言いましたよね?覇天核がどれだけ強大な力を秘めているか。あなたもその一端を目にしましたよね?…あなたに攻撃されたら私は…死ぬ自信があります!なので、もう少し手加減を覚えてからにして…くだ…さいっ!」
すたっ…
「やれやれ…その手加減を覚える為にも攻撃させてもらいたいんだがな…」
気炎を上げ、果敢に攻め込むアリアの攻撃を受け流し、鍔迫り合いの最中に言葉を交わす。まるで体の良いサンドバッグのような扱いを受ける理由は言わずもがな。練兵場で日々鍛錬に勤しむ男はその理不尽な物言いに溜息を零した。
ジュレットとの激闘以来、彼の側近であるアリアとも言葉を交わすようになった夜神は、彼女と模擬戦を繰り返し、力の制御に明け暮れた。
魔力の恩恵か、はたまたご都合主義の産物か。夜神の見せる熟達した剣技と体捌きはアリアにとって好都合。常軌を逸した力を相手に得られる経験値は計り知れないと、彼の相手を申し出た。愛嬌のある見た目と性格に反し、強さを渇望する。平民の出身であるアリアにはその手で守りたいものがあった。
そんな、二人の様子を遠目に眺め練兵場へと足を踏み入れる。彼女もまた、旅立ちに向け一つずつ、これまでの積み重ねに幕を降ろし始めていた。
ざっ…ざっ…ざっ…
「今日もやっていますね」
「これは姫様。挨拶回りはよろしいので?」
「…今し方ニルネの所へ行ってきました。ジュレット騎士団長。私の大切な人達を…この国を、宜しくお願いします」
それはいつか在りし日。彼女の価値を初めて見出した者の名前。あの日から途絶える事なく続く交流に絆は深まり。これまでずっと、レイシアの支えとなってくれた。
別れの際に交わした言葉。胸に溢れるこの想いは、彼女にどれだけ届いただろうか。
「はぁ…姫様…夜神様とは上手くいっているかしら…ナルニアもちゃんと姫様の為に…」
「仕事中に上の空とは関心しませんね」
「え……姫様っ!?」
すとん…
「お久し振りです、ニルネ。少し…いいですか?」
今はもう隣に居ない生贄を思い。何を見ずとも手を動かす無駄な器用さも、何も持たなかった彼女には眩しく。懐かしい日に想いを馳せながら、その背に声を掛ける。
『姫様、それでは駄目です!付かず離れずではなく、押し通す!男は押しの強い女に弱いんです!寝食を共にし、片時も離れてはいけません』
『はぁ…ニルネ、それ逆でしょ?女が押しに弱いのよ。勢いも大事だけど、時には離れて存在を思い出させる事も必要ですよ姫様』
『男心、と言うのは難しいのですね…』
深夜、部屋に集まり議論を交わす二人の意見に耳を傾け、難解な心の機微に弱音を漏らす。
床に散らばった紙には多様な憶測が綴られ、またこれに付随して協力を得なければならない者のリストなど、時間はどれだけあっても足りなかった。
『そんな事はありません!姫様の美しさで迫ればどんな男も虜になるに決まっています!』
『はぁ…あんた…この話題には向かないから姫様が城を出た後の事でも考えてなさいよ。あ、ほら。夜神様が目覚めた時、疑問に思う事への返答とか』
『…ナルニア、あんたそんな偉そうな事言ってるけど…殿方と親密な関係を築いた事なんてあるの?』
『う………無いわよ!けど、あんたよりは分かるわ!』
『どうだかね』
『ふふっ…』
『『……姫様…?』』
『あ、いえ申し訳ありません。嬉しくてつい…こんな意地汚い私の我儘に付き合ってくれて…二人には感謝しています』
柊夜神を愛している。それが例え、勇者の責務を放棄した破滅の使者だとしても。
重く、俄には信じ難い事実を知り、それでも見捨てないでくれた。喜びとも、申し訳なさとも言えない感情が口を衝くと、レイシアは腰を折って俯いた。
これは彼の為ではなく自分の為。世界の為ではなく、自分の為。嘘偽りは無いけれど、小さな罪悪感が胸を刺す。そんなレイシアに、二人はこう返した。
『最初聞いた時は何がなんだかさっぱりでしたけど…要はあの異世界人、夜神様を救いたいって事ですよね。その為にやり直す』
『そんな簡単な話じゃないでしょ。目的と手段の順序はこの際置いておくとして…私は正直、騎士団長殿の判断に同意したいと言う気持ちの方が強いです。…魔力暴走。これを引き起こさせない為にも、姫様には彼の支えになってもらわなくてはなりません。…話しを聞くに、夜神様はとても繊細で、これは既にどうしようもなく破綻してしまっている。そんな人を射止めるなら、先ずは絶対に自身を裏切らないと知ってもらう事が肝要です。この先、幾度も踏み絵を強いられる事は覚悟しておくべきでしょう』
行動力があり楽観的、そして思い遣りのあるニルネ。理知的で冷静、けれど一度懐に入れてしまうと情に脆いナルニア。二人が側にいたから形にする事が出来た。
「姫様、お久しぶりです!夜神様とは、その後上手くいっていますか!?」
「ふふっ…相変わらずですね。上手く…いっていると言えたら良かったのですが…なかなかどうして難しいと言わざるを得ませんね…」
「そうですか…まったく、ナルニアは何をやってるのよ。でも、姫様なら大丈夫です!…こんなにも想っているんですから!叶わないなんて事、ある筈がありません!」
「ありがとう。…それで今日は…改めてこれまでの感謝を伝えにきました」
「…いつ、発たれるのですか…?」
「恐らく二、三日中には…」
ぎゅっ…
「…そんな顔しないで下さい…!私は姫様が戻ってくるのを待っています!あ、いえ、戻らないのは分かっています。なので夜神様と一緒に、戻ってきて下さい。…結ばれた後の事なんかどうとでもなります!最悪は押し倒して既成事実を…」
他愛もない挨拶を皮切りに、言葉を交わすたび、沈む気持ちと募る物寂しさ。僅かに視線を下げ、醸す落莫を振り払うよう、ニルネが笑えない冗談を言って場を取り繕う。
それは、あの日から変わらない光景で。一人ではない事がこれ程に心強いとは思わなかった。
夜通し語りあった日も。白熱する議論の末、喧嘩になった日も…一度や二度じゃない。だから…溢れる想いは留めどなく。
ばっ………!
「姫…様…?」
「ありがとう…本当にありがとう…!あの日、貴方が私に声を掛けてくれたから…!自分の無力さに心が折れそうだった…今の私があるのはニルネ…貴方のお陰です」
「…私をそうさせたのは姫様です。…必ず夜神様と結ばれて下さい。その銀色の髪だって…きっと夜神様は綺麗だと言ってくれます。こんなお伽噺のような話し…本にしたらきっと、飛ぶように売れますね」
そんな人物が確かに居たのだと。確かめるように。忘れないように抱きしめ。ニルネもまた強く腕に力を込めながら。精一杯の笑みを浮かべ、冗談めかしてみせた。
「…それは勿論。お任せください」
「ありがとう。…それで夜神様の様子はどうですか?」
「あれから……身体が覚えているのでしょう。もう教える事は何もありませんが、本人はまだ納得いかないようで…緻密な魔力の加減を掴む為、アリアと模擬戦を繰り返しています」
「…それは先の戦いで身に付けたのではないですか?現に貴方は今もこうして生きているではありませんか」
「…あ…はははっ…姫様も人が悪い。あれは武器が魔力に耐えられず、その限界を見定めたに過ぎません。あの男はどうやら…自分に力がある事をあまり知られたくないようでして…私にはそれが…」
「理解出来ない、と」
「はい。力を持てばそれを誇示したくなるのが人の性。前回も…急にやる気を出したかと思えば、たった一日訓練に参加しただけで…その後直ぐにこの国を出ていきましたから。あの男が考えている事は計りかねてしまいます」
「ふふっ。それが夜神様を見た者の正しい反応です。…他には何かありますか?」
「いえ、特には…」
「そうですか。この分だと明日には王都へ赴き、旅に必要な物を調達しに行く事になるでしょう。荷馬車の準備をお願いします。これをそのまま旅の足にしますので華美なものは控えて下さい」
綿密な計画も遂に佳境へと至り。残された時間はごく僅か。しかしやるべき事は多く、やり残した事は少ない。
「はい。出立前には食料など、ある程度積み込みますが…事前のお話通り、かの者を入れた3人分で宜しいですか?」
「お願いします。…城を出ればどんな出会いがあるか…私はここから先、夜神様が精霊と契約を為すまでの道行を知りません。…あの性格です。自分から人と関わるような事はしないと思いますが…偶然にも夜神様を知る人物が現れた際、私一人では誤魔化しきれない事もあるでしょう…」
人事を尽くし天命を待つ。それでも尚消えない懸念は多く。
「その為の冒険者パーティ…果たしてあの男は受け入れるでしょうか?」
「…分かりません…あの人と夜神様は…水と油のように相容れないでしょう。それに…」
「全てを捨ててもあの男にとって価値ある者になりたい。違いますか?」
「そうですね。夜神様の側に居るならば…綺麗なままではいられない」
行くと決めた。もう、後戻りは出来ない道。




