第7話 魔物と人
人間は全員奥へ逃げた。
龍の姿となったエリンはその巨大な腕で器用に岩や鍾乳石を拾い集めは積んで、奥へ続く道を塞ぐ。
「よし、これであとは仕上げを……」
あっという間に出来上がった岩積みの壁に、べりっと剥がした己の鱗を一枚あてがう。
『広がれ』
魔族の言葉で、己の一部だった素材へ"命を下す"。
するとブルブルと震えだした鱗は、バシッ! と軽快な音を立てて岩壁いっぱいに広がった。
高位の魔族が使える、自身の身体を変形させて姿を変える変身の術の応用だ。
続けてシートのようになったそれに、今度は『貼り付け』と命令する。
広がった鱗はぴったりと岩壁に貼り付いて、通路はたちまちに岩と龍鱗で作られた堅牢な壁で塞がれた。
コンコンと軽く壁を叩いてその頑丈さを確認すると、エリンは絶え間なく水の流れ込んでくる海に繋がるの通路へと向き直った。
既に水位は一般的な人間の身長よりも高い位置まで来ている。
反対側の通路も塞ぐのは簡単だが、それではいつ水が引くかもわからない。食料や水はほとんど持たずの緊急避難、長引けば奥の人間が衰弱、果ては死に至るのは明確だった。
エリンは大きく息を吸う。海辺で強く風が吹いた時のような、ゴォゴォと風の鳴る音が肺腑から響く。
「グオオオオ……!」
緑の瞳から炎がほとばしる。
地鳴りのような咆哮と共に、エリンは緑の炎を海面めがけて吐き出した。
炎は消えることなく、水面を舐めるように燃え広がっていく。シュウシュウと音を立てて海水は蒸発していった。
これが岩壁を鱗で塞いだ理由だ。高熱の蒸気が岩の隙間から漏れたら奥にいる人間もただでは済まない。だが、溶岩に浸かっても火傷一つできないエリンの鱗で隙間なく覆えばそれを防ぐことができる。
(でも、急がないと)
人間は密閉されていても死ぬ。戦争の時、入り口が壊れた地下室を掘り起こして人間の死体を見つけた時にエリンが学んだことだ。
絶え間なく流れてくる海に対して、エリンは勢いよく炎を吐き続ける。炎は流れてくる水に逆流するように洞窟の外まで及び、たちまちに水位を下げていった。
※
洞窟の奥に避難したバルック達は、海水の届かない高台になっている岩場を見つけてそこに避難した。
「エリンの奴、大丈夫なのか……?」
全員が岩場にあがり、一息ついたところでバルックがポツリと呟く。
「お前に心配される程あいつは弱くねえよ」
その独り言に対して、どこか得意げにフッサが横槍を入れた。
「なんだよ、お前はあいつの事が心配じゃねえのか? 飼い主だろ」
「あぁ?」
バルックの"飼い主"の単語にフッサは牙を向く。
「誰が誰の飼い猫だって? 俺はあいつの兄貴みてえなもんだ」
「兄貴? お前が、エリンの?」
フッサは「そうだ」と頷く。
「まだガキだったあいつを拾って育てたのが俺だ」
「……じゃあ、なおさら心配なんじゃねえのか」
フッサはフン、と鼻を鳴らす。
「あいつだってもうガキじゃねえんだ。これしきのことでどうにかなるとは思っちゃいねえよ」
「でも、最後に声をかけてただろ。無茶すんなって」
「…………」
フッサは黙って、ふいと顔を逸らした。
「なあ、答えろって」
「うるせえ。あれは……あいつがガキだったころの癖で勝手に出てきただけだ。お前が思ってるほど俺は過保護な男じゃねえよ」
「別にお前が過保護とは言ってねえが」
「…………」
フッサは今度こそ黙り込んでしまった。
バルックは笑ってフッサの背を軽く叩く。
「悪い、からかったつもりじゃなかったんだ」
「嘘つけ、ヘラヘラしやがって」
「別に嘘じゃねえよ」
バルックは周囲へ視線をめぐらせる。
共に避難した人々は皆不安の拭いきれない顔をしていたが、フッサの身体にぴったりと寄り添っていた。
ここにいる全ての人が、突然現れたフッサを頼りにしている。
バルックは翼竜が初めて自分を乗せて飛んだ時のことを思い出した。
『おいおいおい、見ろよアクバル! 飛んだ、本当に飛んだぞ!』
『うるせえぞバルック、前みろ前!』
『ちゃんと見てるっての! 凄え、これが空の景色か……!』
バルックは懐かしさに目を細め、アクバルの方をちらと見た。
アクバルの顔色はまだ悪かったが、身体を震わせながらフッサの尻の方で足を抱えて丸まっていた。
「……なあ、アクバル」
アクバルの肩が跳ねる。
返事は返ってこなかったが、バルックはそのまま続けた。
「あいつがさあ、この海を何とかしてやるっつってたんだよ」
「……なんだそりゃ。糞を落とす翼竜を皆殺しにでもするのか?」
低く震えた声だが、返事が返ってくる。
バルックは一瞬だけ目を丸くして、しかしそのまま続けた。
「いいや。その逆で、魔物と人間が一緒に暮らす国にしたいらしい」
「……意味がわからねえ。できるわけないだろ、そんなこと」
「まあ、俺も想像はつかねえよ。けどさ」
バルックは薄く笑う。
「現実になるなら、すげぇ嬉しいよなあ」
「…………」
アクバルは何も言わなかった。それでもバルックは構わなかった。
バルックはフッサへと寄りかかり目を瞑る。通路の向こう側、水の流れ込む鍾乳洞に一人残ったエリンの様子を少しでも探るように耳を澄ませたその時だった。
ガラガラと岩の崩れる激しい音が洞窟に響き渡る。同時に、岩場の下に既に溜まっていた水がサァッと引いていった。
代わりにもわっとした蒸気が流れ込んできて気温がぐっと上がる。
「なんだ、何があったんだ……?」
バルックは岩場を降りて音がした方へ向かおうと立ち上がる。
だが、その隣を俊敏な黒い影が通り過ぎていった。
フッサだ。
フッサは岩場の下に飛び降りると、目にも止まらぬ速さで通路の向こうへと駆け抜けていった。
「なんだよ、やっぱり心配だったんじゃねえか……」
苦笑しつつも、バルックも早足でその後を追いかける。
通路をしばらく走ると、崩れた岩と絨毯みたいに平べったい龍の鱗が地面に転がっていた。
その向こう側、人間と大きな猫の影を蒸気の先に見付けてバルックは「おおい!」と声をかける。
「エリン、フッサ! お前ら無事だったか!」
そのまま蒸気の中に突っ込んだところで、バルックは見た。
白く細長い手足。肋骨の形も露わな薄い腹。緩やかに膨らんだ胸元の双丘ーーそしてバルックは顔面をふにふにの何かに包まれて、勢いよく仰向けに地面へ押し倒された。
「おいテメェ、何見てやがる。このまま踏み潰してやろうか」
「フッサ、何してるの。暴力はダメ」
「うるせえ。嫁入り前の娘の裸を見た野郎に情けなんて要るかよ」
「どうして怒るの。龍の姿の時はいつも裸だった、今さら気にすることじゃない」
「そういう問題じゃねえんだよ! はぁ……やっぱりお前はまだまだガキだな……」
頭上で響く会話を聞きながら、バルックは自分の顔を包むのがフッサの肉球であることを理解する。
「おい、裸を見ちまったのは悪かったから早く手を退けてくれ。誰かに服を借りて……」
「あ゛!? やっぱり見てるじゃねえかテメェ、このまま無事で帰れると思うなよ!」
「フッサ、ダメだってば」
「おい、だから声をかけてこないと他の奴も来ちまうって……」
バルックは訴えるが、鉄拳制裁を唱えるフッサとそれを静止しようとするエリンの言い争いは並行戦の一方でバルックの言葉が挟まる余地は無かった。
結局、他の避難者がどやどやとエリンとフッサの元へ訪れ、フッサがバルックの服を奪い取りエリンに着せるまでその騒ぎが治ることはなかったのであった。
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