第5話 富めるもの、失われたもの
翼竜から降りてきた青年は、門でエリンとフッサの入国検査をしたバルックに違いなかった。
「ん? アンタは……」
憲兵に囲まれたエリンの姿を見て、バルックが怪訝そうに眉をひそめる。
それとほぼ同時に、フッサが「シャーッ!」と吠えるなりバルックへと飛びついた。
『よくノコノコと顔を見せれたな、盗人野郎! さっさと盗んだモン返しやがれ!』
「うわっ、なんだ!?」
「フッサ、落ち着いて。まずは話を聞かないと」
爪を立てて今にもバルックを引っ掻きまわしそうなフッサをエリンが引き離す。
「入国審査の時も思ったが、ずいぶん気性が荒い猫だな。もしかしてこの騒ぎもソイツ絡みか?」
『いけしゃあしゃあと……!』
フッサは牙を剥いて唸るが、この言葉にエリンを囲んでいた憲兵も反応した。
「バルック、そいつらの事を知ってるのか?」
「ああ、こいつの審査をしたのは俺とアクバルだからな。しかし仮にもギュネカバンのお偉いさんを武器持って取り囲むとは、一体何をやらかしたんだ?」
憲兵の一人が「お偉いさん」の単語にピクリと眉を動かす。
「待てバルック、お前今なんと言った?」
「何って……だから、帝国のお偉いさんか何かだろ。皇帝直々の紹介状を持たされるくらいなんだから」
その言葉を聞いた瞬間、エリンを取り囲んでいた憲兵たちの顔から、さあっと血の気が引いた。
憲兵たちは慌てて槍や剣を鞘へと収めると「申し訳ございませんでした!」と一斉に頭を下げた。
「まさか帝国のやんごとなきお方がこのような場所にいらっしゃるとは思わず……数々のご無礼お許しください!」
「皇帝陛下への上奏は何卒ご勘弁を……!」
口々に謝罪を叫びながら頭を下げる憲兵の群れ。
フッサは『見苦しい奴らだな』と吐き捨てたが、エリンはあくまで静かに「頭を上げてください」と促した。
「ギュネシュ陛下に告げ口のような真似をするつもりはありません。私はこのクウェンカが魔物と人々が共に暮らす国と聞いた陛下から、ぜひこれからの人間界の進歩のために学びを得て欲しいと依頼を受けただけの者ですから」
エリンの言葉に憲兵達は「おお……!」と安堵のどよめきをあげた。
「なんと寛大なお言葉……! さすがは皇帝陛下が推挙されるお方!」
「であればぜひ、こちらの施設をご覧になってください! 案内は私めが務めさせていただきますので……」
「おい、抜け駆けするなよ。 旅人殿、案内役はぜひ私に!」
動揺から一転、目をギラつかせて我先にとエリンの案内を申し出る兵士の群れ。バルックは何歩か離れた場所で、呆れたようにその様子を眺めている。
エリンは群衆を手で押し留めるようにしながら、バルックの方を指さした。
「すみません、私はそこのバルックさんと少しお話をしたくて」
エリンの言葉にバルックが「はぁ?」と目を見開く。
「バルックですか? あいつは憲兵でも一番愛想の無い粗忽者ですよ!」
「そうですよ、我々に任せていただければあいつよりもずっと快適にこの国をご案内しますよ!」
憲兵たちも慌てた様子で、口々に自分を選ぶべきだと主張する。
「バルックさんには入国の時に助けてもらった恩があるので。それに……聞きたいこともありますから」
エリンはバルックをじっと見つめる。
バルックは「いや、俺は……」と戸惑いながら言葉を探したが、微塵も揺れることのない彼女の視線に諦めたように息を吐いた。
「わかった。で、なんの話をしたいんだ?」
エリンはニコリともせずに「ありがとうございます」と頷いた。
「ここは人が多いですから……場所を移しましょうか」
※
寄せては返す波が黒ずんだ砂をさらっていく。
海岸には木造の小屋が並んでいたが、壁が腐り屋根の傾いた様から長いこと人に使われていないのは明らかだった。
廃小屋群の中に一つ、多少の補修がされていた小屋へとエリンとフッサは案内された。一歩歩くごとに床がギィギィと軋んで、湿って腐りかけた木の感触が靴越しに伝わる。
『ここと比べりゃ屍人の棲家の方がまだマシだな』
魚の死骸が打ち上がった海岸も酷い臭いだったが、小屋の中はさらに酷かった。潮風で傷んだ木材とカビの臭いが混じり合い、湿気と共に身体にまとわり付いてくる。
「ここは一体?」
「俺の家だよ。まだこの国に漁師が必要だった頃のな」
バルックは部屋の隅に積まれた、穴だらけの網にちらりと視線を寄越した。
「バルックさんは漁師だったんですね」
「ああ……とっくに失業してるがな。それよりここなら誰も来ねえ、いい加減に話とやらを聞かせてくれるか」
話を促されたエリンは「わかりました」と頷き、丸まった羊皮紙を取り出して広げ直した。
そのままバルックの目の前にまっさらな紙面を突きつける。
「単刀直入にお伺いします。紹介状の行方をご存知ですか?」
「な……!」
見開かれた目が白紙の羊皮紙を凝視する。
「私がこの国で紹介状を出したのは入国の時だけです。先ほどの騒動の時には既にこの偽物にすり替えられていました」
「い……いやいや、俺は知らねえぞ本当に!」
バルックはぶんぶんと首を横に振る。
「確かにあんたに紹介状を返したのは俺だ。だが、誓ってすり替えなんてコソ泥みてえな真似はしてねえ」
『……ま、コイツの言ってることは本当だろうな』
フッサがつまらなげに言った。
『コイツが犯人なら、あそこで俺らを助けるメリットがねぇ。牢獄にでもぶち込んじまえば取り返される危険もねえしな』
「なるほど。さすがフッサ」
フッサの言葉に感心したように頷くエリン。
バルックは怪訝そうな顔で「誤解は解けたのか?」とエリンに尋ねた。
「そうですね。ただ、そうなると今度はバルックさんと一緒に居たアクバルさんにお話を聞きたいところですが」
「アクバルか……」
エリンの口から出てきた同僚の名前に、バルックが渋い顔をする。
「仲間を疑われるのは不快でしょうか」
「いや……そうじゃねえ。正直に言うと今のアイツならやりかねねぇと、俺も思っちまっただけだ」
バルックは片手で顔を覆う。
「あいつも昔は気の良い海の男だったんだがな。翼竜共に海を奪われてからどんどん様子がおかしくなっちまって」
そしてハッとしたように「すまない」とエリンに頭を下げた。
「大切な物を盗まれたあんたに、こんなこと話しても困るだけだよな」
「いえ、そんなことは。それよりも翼竜に海を奪われたとはどういうことでしょうか?」
「そりゃ言葉のまんまの意味だ」
バルックが奥歯を噛み締める。
「翼竜での貿易でボロ儲けするまでは、ろくに資源もねえ崖沿いのこの国を支えていたのは俺たち漁師や景観目当ての観光客くらいだった」
バルックは遠い目で海風の吹き込むボロの壁へと目をやった。
「翼竜を見つけたのだって漁師だ。野生化した翼竜は基本的に駆除対象だったから、どっかから逃げる途中で力尽きたんだろう。沖に死にかけのやつが一匹浮かんでいたから、気の毒になって海岸に引き上げて漁師連中で世話を焼いてやったのさ」
「それは……勇気ある行動ですね」
「結果的に自分らの首を絞めたがな」
皮肉げな笑みがバルックの顔に浮かぶ。
「元気になった翼竜は従順で、人間を背中に乗せても言うことを聞くようになった。俺達はありがたがって翼竜を見付けたら保護するようになったよ」
「それで国に人馴れした翼竜が増えていったんですね」
バルックは「ああ」と頷く。
「空路での貿易は海路や陸路とは速さが段違いだ。ろくに資源もない、作物も育たない貧しかったこの国はたちまちに豊かになっていったよ」
「そうですね。上層の街並みなんて、帝国の首都にも劣らぬ豪華さでした」
「それだけなら良かったんだがな。翼竜が増えるにつれ、アイツらの糞が問題になっていった」
胡座をかいた足の上で、拳を硬く握りしめるバルック。
「最初は空き地に溜めてたんだが、悪臭が酷くてな。自然に風化する様子がねえから、仕方なく海に捨てることになったんだ」
エリンの肩の上でフッサが『なるほどな』と頷く。
『翼竜の糞にゃ魔力が含まれてるからな。人間界じゃ分解も吸収もされねえ、いつまでも残って臭う訳だ』
「でも、それじゃあ海が無事では済まないのでは」
「そうだ。海は汚れ、魚は死に、俺達は漁師の仕事を失った」
低く抑えられた声はわずかに震えていた。
「漁師は翼竜をこの国に広めた功績を買われて、憲兵団として高い地位と優雅な暮らしを与えられた。他にも暮らしが変わっちまった奴も居たが、皆補助金を出すことを条件に黙らされたんだ」
「じゃあ、アクバルさんが変わってしまったのも……」
「漁師の仕事を奪われて憲兵団に入ってからだな。権力に毒されたのか、金や女みてえな即物的なモンにばっかり執着するようになった」
「……バルックさんは、翼竜が憎いですか?」
エリンの問いかけに、バルックは「いいや」と力無く首を横に振った。
「あいつらは人間に手を貸してくれてるだけだ。生きてる奴に糞をするなって文句言うのもおかしな話だろ。ただ……」
バルックが後ろめたそうに視線を逸らす。
「あの時翼竜を助けたりなんかしなけりゃ、俺たちは今でも誇りを失わないでいられたかなと思う時はあるよ」
バルックの視線は腐りかけの床に落ちていた。
「それなら、また漁が出来れば誇りは取り戻せますか?」
エリンが身を乗り出し、バルックの手を掴む。驚いた表情でバルックはエリンを見た。
「糞の問題が解決すれば、翼竜と出会ったことは悪いことじゃなかったと。魔物と人間は共に暮らしていけると思うことが出来ますか?」
「そりゃそんなことが出来れば、後悔は無くなるだろうが……。実際問題、無理な話だろ」
「いいえ」
エリンは真剣な顔でバルックの目を見据え、キッパリと言った。
「なんとかしてみせます。きっとそれが、この国に私が訪れた意味ですから」
そして少し眉を下げて「代わりにと言う訳ではないですけど」と続ける。
「紹介状をアクバルさんから取り戻すのに、力を貸してもらえませんか。私はこの国の地理に詳しくないですし、何より彼と旧知の中であるあなたがいればとても心強い」
掴んだ手を離して、その手のひらを改めてバルックに差し出すエリン。
バルックはじっとその白い手を見つめた。そして、少しの間を開けてそこに自分の手のひらを重ねてエリンの手を握り返した。
「あんた、物好きな人だな」
バルックの手のひらは網を握り引いた時にできたのであろう傷の跡が多く残っていた。
漁師の手でエリンの冷たい手を握り、バルックは苦笑する。
「交換条件なんて無くても、俺に言うことを聞かせる手段はいくらでもあっただろうに。だが、その条件はありがたく飲ませてもらうさ」
「バルックさん……」
「バルックで良い。それと、本当は敬語も苦手だからよしてくれ」
エリンは「わかった、バルック」と頷く。
「そういえば、アンタらのことはなんて呼べばいい?」
「私のことはエリン。彼のことはフッサと」
『おい、俺のことまで紹介しなくても良いんだよ』
フッサが不服げに口を開くが、当然その言葉はバルックには分からない。
「わかった、エリンとフッサだな。改めてよろしく、エリン」
「うん。頼りにしている」
バルックが笑う。海の男らしい、爽やかな笑みだった。
それに応えたエリンの顔は相変わらず無表情だったが、その声には微かな笑みが含まれていた。
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