第4話 弱者の群れ
「あの階段をわざわざ登ってきたところ悪いんですが、見ての通りここら辺は翼竜だらけでお嬢さんにはちと危険な場所ですからね」
声をかけてきた憲兵は、言葉こそ丁寧だが表情や声音の端々に尊大さを滲ませながらぐっとエリンとの距離を詰めてきた。
「どちらの商館所属の方ですか? ああ、それとも貴族屋敷に滞在されてる方ですかね。どちらにせよ、よければ私が宿までお送りしますよ」
「いえ、滞在場所は決まってなくて。それより、この場所を見学させていただくことはどうしてもできませんか」
「滞在場所が決まってない?」
憲兵の眉がぴくりと跳ねる。一歩退いてエリンの身なりをジロジロと見まわした憲兵は、オーバーコートに残る縫い目や古びたナイフに気が付くと、媚びから一転嘲けりを露わに鼻で笑った。
「あんた、学者か何かかい? おおかた物好きな貴族にでも雇われたんだろうが、金持ちの道楽で見せてやれるほど翼竜ってのは安いもんじゃねえんでな」
「道楽じゃありません。私は本気で魔物と人間が共存する方法を探すために、この国と翼竜について知りたいんです」
凄む憲兵に怯むことなく、エリンは淡々と答えを返す。憲兵は「言葉の通じねえ小娘だな」苛立たしげに舌を打つと、近くで翼竜の背に跨がっていた同僚に「おい!」と声をかけた。
「この嬢ちゃんがどうしても翼竜を見たいそうだ。ちと近くで見せてやれ」
「へぇ、そりゃご期待に沿ってやらねえとなあ?」
意図を察した同僚の憲兵が下卑た笑いを浮かべ、乱暴に手綱を引いた。翼竜は向きを変え、エリンに向かって突進してくるーーその筈だった。
「おい、進めよ!」
翼竜に乗った憲兵が舌打ちをして手綱を強く打つが、翼竜はエリンから十メートルほど離れた位置でピタリと足を止め、それ以上は一歩も近付こうとしなかった。地面に鋭い爪を立て、喉の奥からグルル、と低い警戒音を鳴らして後ずさりさえしている。
異変は一匹だけにとどまらなかった。
大箱の魚に群がっていた他の翼竜たちも異変に気が付くと次々に食事をやめ、エリンの方へ頭を向ける。バサバサと翼をはためかせる音が連鎖し、数十匹の翼竜がエリンを中心にして、遠巻きに囲むように陣形を組んだ。
どの個体もエリンに対して明確な警戒心を露わにしているが、恐れをなして一定の距離から踏み込めないでいる。
「おい、どうなってんだこれ!」
「クソ、言うことを聞けよ!」
憲兵達も翼竜の豹変に狼狽えて、武器に手をかけて警戒の姿勢をとる者、少しでも翼竜から距離を取る者、翼竜の背に乗ったまま必死で手綱を引く者と様々だったが、翼竜の群れはそのどれも意に介さずにただエリンを遠巻きに威嚇していた。
「どうしよう、フッサ。こんな騒ぎにするつもりじゃなかったのに」
『落ち着け。こうなっちまったもんは仕方がねえ、コイツらから襲ってくることはねえだろうからゆっくり後退して一旦ズラかるぞ』
言われた通り、翼竜を刺激しないようにジリジリと後ろに退がるエリン。フッサの言う通り翼竜の群れは警戒こそすれど距離を保ったまま近付いてくることは無かった。
しかし、その均衡を崩す一匹の個体が現れる。
「ギギィ……!」
小柄な体躯の翼竜だ。剥き出しにした牙の隙間から涎をぼとぼと垂らしながら、前傾姿勢でエリンとの距離を詰めていく。
『おいおい、人間界育ちは実力差も分からねえほど平和ボケしちまってるのか?』
エリンの肩で、フッサが苛立たしげに唸る。
翼竜が遥かに格上の魔族に自分から攻撃を仕掛けるなど、魔界ではまず無い行動だ。
戦えば勝てない。しかし大抵の魔族は翼竜を食べることもないので、魔族の姿が見えてもある程度の距離を保っていつも通り過ごすのが魔界で知られている翼竜の生態だった。
「おい、お前ら急にどうした! 持ち場に戻れ!」
憲兵の一人が威嚇を続ける若い翼竜に駆け寄り、手綱を強く引っ張る。
「ギィィィッ!!」
「うわぁっ!?」
若い翼竜は一際甲高く鳴くと、みじろぎをして手綱を引っ張り返した。前につんのめって転んだ憲兵が慌てて顔を上げると、その眼前には目を血走らせた翼竜の顔があった。
「ひっ……!」
憲兵は声にならない悲鳴をあげるが、腰を抜かして立ち上がることができない。
翼竜がガパリと口を開く。魚の血で赤く汚れた口の中から、生臭く熱い呼気が色を失った兵士の顔に吹きかけられた。
鋭い牙がまさに憲兵の頭へ噛みつこうとしたその時。
「やめなさい!」
エリンは走って兵士と翼竜の間に割り込んだ。
腰のダガーを抜くことも無く、荒ぶる翼竜の相貌をただまっすぐに見つめ返すエリン。
その瞳孔は縦に細く収縮し、緑色の瞳の奥にチロチロと炎の光が揺れる。そのままエリンに噛みつこうとしていた若い翼竜は、ピタリと動きを止めて「グル……」と怯えの混じった声で唸った。
「下がれ」
冷たく、一切の感情を排した低い声でエリンが命じる。瞳の炎が一際大きく燃えて、怪しい光を放った。
次の瞬間、翼竜は弾かれたように後ろへ飛び退き、地面に頭を擦りつけるようにして平伏した。
命令された当の翼竜だけではない。周囲を取り囲んでいた数十匹の翼竜すべてがエリンの一言で一斉に地面に這いつくばり、追い詰められた子兎のごとくプルプルと地面にひれ伏したのだ。
先ほどまでの喧騒が嘘のように、餌場は不気味な静寂に包まれた。
「おい、一体何が起こったんだ……?」
「あいつ、何をしたんだ……? 翼竜の奴らが全員すくみ上がっちまってるぞ……!」
へたり込んだ憲兵も、同僚達も、顔面を蒼白にしてエリンを見上げている。その目にも、小さなざわめきの声にも恐怖の色がありありと感じられた。
エリンは眉を下げ、困ったように肩の上の黒猫を見る。瞳孔は丸く戻り、緑炎は既に影を潜めていた。
「……やってしまった」
『まあ、そうだな……』
「どうすればいいと思う?」
『どうしようもないだろ。全員締め上げて口止めでもしておくか?』
「フッサ、暴力はダメ」
『わかってる、冗談だ。こうなったら大人しく帝国の紹介状を出して言うことを聞かせるしかねぇだろ』
「……わかった」
フッサの答えにエリンは少し躊躇う様子を見せたものの、素直に懐から羊皮紙を取り出した。
しかし、紙を開いて紙面に目を落としたエリンは「あれ?」と首を傾げた。
「どうしてだろ、何も書いてない」
『ハァ!?』
フッサが身を乗り出して手元の紙面を覗き込む。そこには確かにエリンの言う通り何も書いてないまっさらな羊皮紙だけがあった。
『やられた。あの門番の野郎にすり替えられたんだ!』
「これって、困る?」
『困るどころの騒ぎじゃねえ。もしアレを悪用されたら最悪人間と魔物の友好関係まで白紙だぞ』
エリンが目を見開く。
「それは……困る、すごく」
『なら、さっさとアイツらを探し出して取り返さねえとなんねえが……』
フッサが舌打ちを打つ。その視線の先には、武器を構えて二人を囲むように広がる憲兵の姿があった。
奇しくも先ほどまでの翼竜と同じ様に、怯えた様子で距離を保ちながらも警戒を露わにしている。
『こいつらをうまく丸め込まねえことには、どのみち調査任務は終わりだな』
エリンの額に一粒の汗が滲む。頭を必死で巡らせて言葉を探す。強者に怯える、群れた弱者を鎮める言葉。
――そんなものを知っていたら、彼女は今ここにいなかった。
『言っとくが、お前に危害が加わるなら俺は元の姿に戻って人間どもを捻り潰すぞ』
「やめて。ちゃんと自分でなんとかする」
「おい、何をごちゃごちゃ一人で喋っている!」
憲兵がエリンを怒鳴りつける。
「滞在場所も決まってないと言ってたな、もしや貴様不法入国者か?」
「違います、ちゃんと許可をもらって入国しました」
「ならばそれを証明してみせろ!」
「それは……」
エリンは手の中のまっさらな羊皮紙を握りしめる。
証明の手段は無い。背後へジリ、とエリンが後退しようとしたその時だった。
「おい、どうしたこの騒ぎは」
翼竜に乗った一人の青年が、パッと飛び降りて地面に着地する。
その顔にはエリンも見覚えがあった。浅黒い肌に精悍な顔つき。その青年は、門番でエリンとフッサの検査を行った憲兵の一人であるバルックに違いなかった。
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