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竜のエリンと人間の国~魔界最強の竜は黒猫と世界を結ぶ旅に出る~  作者: 野上紅葉


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第3話 翼竜の楽園

 クウェンカは崖を切り出して出来た都市だった。

 岸壁を削り取って造られた家屋が蟻塚みたいに縦に広がっている。大通りや建物の上には巨大な杭に結び付けられた布が張り巡らされて、竜の糞が溜まっていた。


 魚の死体が山ほど流れ着いた海岸みたいな悪臭を誤魔化そうと、軒先にはこれでもかと香が焚きしめられている。

 混ざり合った臭いは強い陽射しによる熱気でむわっと立ち込めて、エリンと同様に城門を通ってきたばかりの商隊にはチラホラとえずいてる人間も見受けられた。


 エリンの肩に乗ったフッサが顔をしかめて口を半開きに開く。その口から飛び出た舌の先っちょをエリンは指でツン、とつついた。


『おい、やめろ』


「だって舌が出てたから」


『うるせえ、臭えんだから仕方ねえだろ。糞を街中に生のまま放置するとは、人間の衛生観念はどうなってんだ』


 悪臭にも関わらず、石畳の道の両脇にはところ狭しと商店や市場が広がっていた。


「とりあえず翼竜についての話を聞けたらいいのだけど……」


 周囲をきょろきょろと見回す。


 岩造りながらも豪奢な布や金の塗料で装飾が施された商店には、絨毯や珈琲豆、オリーブの実など異国情緒あふれる品々が並んでいる。

 大通りは上へ上へと伸びていて、崖のてっぺんまで螺旋状に建物が続いている。人間の足で見て回るにはかなり時間がかかりそうだった。


『まずは宿を探すぞ。糞に囲まれて野宿は御免被る』


「わかった」


『まあこれだけ人間がいる国だ、宿屋くらいサディン(※イワシに似た群れで回遊する魚の魔物)の群れよりも数があるだろ。探すのに苦労はしねえよ』


 実際、道の両側には宿屋らしき建物がいくつもあった。


「すみません、宿をお借りしたいのですが」


 古びた看板の掲げられた宿の戸ををくぐったエリンが声をかけると、顔に深い皺を刻んだ白髪の店主は目を丸くして「あんた、宿を探してるのかい?」と聞き返した。


「はい。表の看板を見たのですが……もう部屋の空きがないでしょうか」


「いや、そもそもうちはもう宿屋をやってないよ。ここら辺にある大抵の宿屋も閉まってるんじゃないかね」


『なんだって?』


 フッサが唸る。


「どういうことですか? これだけ人の出入りがあれば、宿屋も賑わっていそうですが」


「ちょっと前まではそうだったよ。今じゃ許可証を持った商隊や一部の貴族くらいしか国を出入りできないから客が来なくなっちまって、今じゃ空き部屋を物置代わりに貸し出してるんだよ」


 カウンターに頬杖をついて店主がため息を吐く。


「残ったのは金持ち向けの上等な宿屋くらいのもんで、それもお得意様しか来ねえからほぼ貸し切りだ。まあ今のこの国に入れるくらいのお人なら、金を積めば一部屋くらいは貸してもらえるかもしれんがね」


 店主は薄く笑って手を振る。愛想こそいいが、どこかおざなりな態度だ。


「金持ちがお嫌いなんですか」


 店主の眉がぴくりと跳ねる。


「ああ、嫌いだね。人の生業をぶち壊しておきながら、金さえ出せば許されると思ってる。翼竜なんかに頼るより前に、貧しいこの国を支えた人間のことなんて忘れてな」


「じゃあ、翼竜もお嫌いですか」


 トントンと机を指で叩きながら苛立たしげな答えを返されて、それでもエリンは顔色を変えることなく言葉を続けた。店主の顔に朱が帯びる。


「逆に聞きたいが、いくら役に立つと言ってもどうして魔物なんぞを受け入れられる? つい十数年前まで奴らを引き連れた魔族どもと戦争していたんだぞ」


 椅子から腰を浮かせて捲し立てるように言ってから、店主は不意に我に返ったように気まずげな顔で視線を逸らした。


「すまんな、余所者のあんたにこんな事を言っても仕方ないが……とにかくうちはもう宿はやっていない。貸せる部屋もないから、出ていってくれないか」


「……わかりました。お話、ありがとうございます」


 エリンはお辞儀をして、元宿屋を後にした。古びた木の扉を閉める直前にちらりと見えた店主は片手で顔を覆って、ただ無言のままに項垂れていた。



 それからしばらく、崖を登るようにして宿屋らしき建物を片端から訪れてみたが最初の店主が言っていた通りほとんどの宿屋が閉業して貸し倉庫や小売業に転身しているようだった。


 そして上層に行く程に建物の装飾は華美に、店に並ぶ品物も高級になっていく。通りの店が全て白亜の壁に細工豊かなステンドグラスの窓になった辺りで、エリンは表通りから一本外れた裏道に逸れてフッサと鼻先を突き合わせた。


「どうしよう。手持ちのお金はそこまで無いからこれ以上高そうな場所へは行けない」


『別に金が無くったって、あの皇帝の紹介状を見せりゃ王宮だって泊まれるだろ』


「そんなことしたら悪目立ちして調査にならない。それに、特別扱いは嫌」


『そりゃわかっちゃいるが。クソ、翼竜の糞臭にまみれて野宿かよ』


 エリンが小首を傾げて「今のは糞にかけた冗句?」と尋ねると、フッサは『違ぇよ』と彼女の額をぺしりと叩いた。


『だが、野宿するにしたって街中は無いだろ。屋根のクソ布がとにかく臭いやがる』


 翼竜の糞を受け止める布屋根は上層にもひしめいている。白壁とガラスがきらめく美しい街並みの中、空を覆う糞で汚れた布は一際浮いて見えた。


「布屋根が無くて、竜の糞も落ちてこないような場所があれば一番いいんだけど」


 頭を捻らせる二人の耳に、不意に「ギィーッ」と甲高い鳴き声が飛び込んできた。


『翼竜だ。近ぇな』


 フッサがぴるぴると耳を回す。布屋根がぶるぶると揺れて、跳ねた糞がべちゃりと地面に落ちた。


 布屋根の隙間から翼を広げた翼竜の姿が見えた。ぐんぐんと上へ飛んでいくその背中には人間の騎手の姿があり、その後ろに続く数匹の翼竜の背も同様だった。


「上に巣でもあるのかな」


『どうだろうな。人間も乗せてたし、集荷場か何かじゃないか』


「じゃあ、人間と暮らす翼竜の様子が見れる?」


『まあ、見れるかもな』


 フッサの言葉が終わるよりも早く、エリンは「行こう」とスタスタと頂上に向けて歩き出す。


『慎重にやれよ。見せろと言って見られるモノとも限らねえ、騒ぎを起こせば調査どころじゃなくなるぞ』


「わかってる。ちゃんと人間の作法でお願いする」


『本当にわかってんだろうな。大体お前は昔から言葉が足りねえんだ、さっきの宿屋の人間を相手にした時だって……』


 スイッチが入って長々と説教を始めるフッサを肩に乗せたまま、エリンは相槌をうちながら崖の上へと登っていく。


 側から見ればにゃうにゃうと猫に懐かれてるようにしか見えない説教を聞きながら歩くことしばらく、ほぼ岩肌のまま整備されていない険しい階段を登った果てに二人は辿り着いた――翼竜の楽園に。


 そこには魔界でも中々見ることがない程の数の翼竜がひしめきあっていた。甲高い鳴き声をあげながら、そこら中に置かれた大箱の中の魚に食いついている。


 布屋根は設置されておらず、太陽に照らされた地面は飛び散った魚の鱗でガラス片を散らしたみたいにキラキラと光っていた。


『なるほど、翼竜の餌場か。魔界よりずいぶん良い生活を送ってるみてえだな、図体までデカくなってやがる』


 魔界の翼竜が食事にありつくには、屍肉のおこぼれを狙うか、翼竜すら喰らう海の大型魔物に襲われるリスクを負って魚を獲るしかない。

 フッサの言葉通り、この場にいる翼竜はどれも肥え気味で魔界に住むそれよりも一回りは大きかった。


 また、翼竜だけでなく武装した憲兵や筋骨隆々の人夫も何人も往来していた。崖沿いには巨大な昇降機が取り付けられ、縦に広がるこの国の各階層へと翼竜が運んできた荷物が送り届けられている。


 翼竜が食い散らかした魚の掃除をしている者もいたが、翼竜の糞は一つも落ちていなかった。この国にずっと充満していた糞の悪臭の代わりに、生魚とその臓物の生臭いにおいだけが充満している。


「そういえば、ここだけ糞が落ちてないのね」


『あいつら自分の生活圏じゃ糞をしねえからな』


「そうなの? 意外と綺麗好き」


『当然だろ。誰だって自分の家を糞で汚したくはねえよ』


 エリンは「なるほど」と意を得たように頷く。

 そして目の前の景色に再び向き直ると、感慨深げに目を細めた。


「ここは良い場所。人と魔物が当たり前みたいに一緒に暮らしている」


 フッサは答えることなく、ただ黙って尻尾を揺らした。

 エリンは独り言のように続ける。


「どうしたら、こんな場所を作ることができるのかな」


『……それを調べるのが俺らの仕事だろ』


 フッサは鼻を鳴らして、少し皮肉げな笑みを浮かべてみせた。


『目に見えているモンほど綺麗なものとは限らねえがな』


「……うん、わかってる。それでも私は可能性を探し続けたい。それがきっと、私を助けてくれたあの人へ報いる道だから」


 空は青く、太陽は地面をキラキラと照らしていた。

 だが、不意にその光を遮るようにぬっと人影がエリンの前に落ちた。


「お嬢さん、こんなところで何をしてるんですか? ここは関係者以外立ち入り禁止なんですがね」


 口調は丁寧だが、どこか媚びるような声音でねばついた笑みを浮かべている。

 そこに居たのは、門番をしていた二人と同じ服に身を包んだ中年で瘦せぎすの憲兵だった。

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