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竜のエリンと人間の国~魔界最強の竜は黒猫と世界を結ぶ旅に出る~  作者: 野上紅葉


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第2話 竜の国クウェンカ

 クウェンカの国境には白茶けた石が空高くまで積み上げられ、崖先に広がる都市への道を塞ぐ城壁となっている。

 門の上では見張り塔で翼竜乗りを、下では城門の前でで行き交う人間や荷車を検めていた。


「止まれ」


 門へ近付いたエリンに、低い声が飛ぶ。

 槍を携えた男が一人、前へ出た。日に焼けた肌に、潮風で軋んだ茶色の髪。憲兵服の上からでもわかるほど肩幅が広く、たくましい身体をしていた。


「旅人か。竜印の通行証はあるか?」


「竜印?」


 エリンが首を傾げる。

 男は眉を寄せた。


「クウェンカに入りたいなら特別な通行証が必要だ。景気が良くなってから盗人やら詐欺師やらが急増してな、今は発行元の限られた専用の通行証しか使えない」


「おいおい、バルック。あんまりいじめてやるなよ」


 背後からぬっと影が現れる。見上げるほどに背の高い、ふくよかな大男だった。

 憲兵服は腹周りが少しきつそうで、日に焼けた顔には脂ぎった笑みが貼りついている。


「馬車の一つも持ってねえ旅人が、うちの通行証なんて持ってるわけねえだろ」


「余計な口を挟むな、アクバル」


 バルックと呼ばれた男が背後の大男を睨みつける。アクバルと呼ばれたその男は、バルックの注意を無視して不躾な視線をエリンに寄越した。


「気の毒になあ、嬢ちゃん。今から引き返したんじゃ翼竜がうろうろしてる岩場で野宿だぜ。夜に俺の部屋へ来てくれるってんなら、兵舎に泊めてやっても構わねえんだが……」


 肉で丸みを帯びた手がエリンの腰へ伸びる。

 瞬間、バシッと弾けるような音と共に黒い猫の手がその手をはたき落とした。


「いっっでぇ!?」


 黒い手の主はエリンの肩の上に乗ったフッサだった。

 普通の猫と変わらぬ大きさに変身したフッサは牙を剥き、耳を伏せて低い唸り声をあげた。


『脳みそ白子の糞人間が。エリンに指一本触れてみろ、腕ごと喰い千切ってやる』


「フッサ、だめ」


 大猫語で口汚く罵倒し、今にも飛びかかりそうなフッサをエリンは慌てて腕に抱える。


 人間からすれば猫の鳴き声にしか聞こえないが、それでも敵意は十分に伝わる。

 手の甲を赤く腫れさせたアクバルは、それに劣らぬほど顔を赤く染めて二人に向けて手を振り上げた。


「クソ猫、ぶっ殺してやる!」


 エリンは腕の中にフッサを庇いながら、瞬きもせず迫る手のひらをじっと見つめる。


 剥き出しの人間の手。速度ものろく、大した威力じゃないことは見て取れた。


 ――避けるほどの脅威じゃない。


 即座に判断を下したエリンは、そのまま一撃を受けるつもりで身動きをしなかった。


「やめろ!」


 だが、エリンが想定していた衝撃はこなかった。

 手がエリンの顔を打ちつける直前に、バルックがアクバルの腕を掴んで止めたのだ。


「女と動物相手に何やってんだ、馬鹿野郎!」


「なんだよ、先に手を出してきたのはその女の猫だろ! 立場の違いをわからせてやるのも憲兵の仕事だろうよ!」


「そうやって威張り腐って通行人を殴りつけるのが俺らの仕事だってのか、いい加減にしろよお前!」


 今にも掴みかかりそうな剣幕で怒鳴りあう兵士二人。周囲には人が遠巻きに集まっていた。


 エリンは少し首を傾げ「どうしよう」と呟く。


「このままではすごく目立ってしまう」

 

『とりあえず渡されたアレを出してみたらどうだ。特権は使いたくねえと言っても、国に入れなきゃ意味がねえだろう』


「わかった」


 頷いたエリンは、おもむろに腰のポーチを漁り始める。

 そして底で丸まっていた一枚の羊皮紙を取りだすと、言い争いを続ける二人の間にそれを差し出した。


「あの……これで入国できないですか」


「はぁ?」


 顔を見合わせる二人。


「言っておくが、大陸汎用の通行証は使えないからな」


 受け取ったのはバルックだった。

 同情混じりの視線を羊皮紙へと視線を落とす。その顔色がさっと変わった。


「これはどういうことだ? あんたは一体……」


 アクバルも横から羊皮紙を覗き込む。そしてすぐにその目が見開かれた。


「はぁ!?」


 素っ頓狂な声が響く。


「帝国ギュネカバン皇帝直筆の紹介状だって? こんな小娘がそんなもん持ってるわけねえだろ、偽造だ偽造!」


 帝国ギュネカバン。それは大陸で最も力を持つ、人族の盟主と言っても差し支えない大国だった。


 先ほどまでの騒ぎで遠巻きに様子を見ていた衆目の視線が一斉にエリンへと注がれる。


「いや、偽物じゃない。この印影を見てみろ」


 バルックが羊皮紙に捺印された皇家の紋章を指差す。太陽を模した紋章の線の中をよく見ると、篝火のようにチロチロと揺れていた。


「これは和平を結んだ魔国からギュネカバンに伝わったと言う、皇家独自の炎紋だ。機密文書の見分け方としてお前も習っただろ」


 アクバルの顔がサッと青くなる。


「じゃ、じゃあ盗んだんだ。そうに決まってる」


「疑うなら使節を出してもらって構いません。エリンとフッサの名前を伝えれば、ギュネシュ陛下に繋げてもらえる筈です」


 アクバルは金魚みたいに口をパクパクさせて、なおも何かを言おうとした。

 しかしアクバルが何か言う前にバルックがその後頭部を押さえ付けて、バルック自身と共に深々と頭を下げさせた。


「数々の非礼、申し訳なかった。入国はもちろん許可させてもらう」


『ふん、偉い態度の変わりようじゃねえか』


 フッサが不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「気にしないでください。それでは私達はこれで」


 エリンは深く帽子を被り直して、返された紹介状を受け取った。

 そのまま立ち去ろうとするエリンをバルックが「ちょっと待ってくれ」と引き留める。


「最後に一つ聞かせてくれないか」


「……なんでしょうか」


「紹介状には入国目的までは書かれていなかった。あんたは一体何のためにこの国に来たんだ?」


 エリンは少し考えた後、こう言った。


「調査にきたんです」


「調査?」


「ええ。人間と魔物が共存していく、その方法を探すための調査に」


 ずっと平坦な表情をしていたエリンが、少しだけ微笑みを浮かべる。

 踵を返して門へ向かう彼女を再び引き留める者はもはやそこには居なかった。


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