02 第一王女ソフィア・レイ・グリフィス
わたくし、ソフィア・レイ・グリフィスはグリフィス王国の第一王女ですの。
訳あって子供はわたくししかおりませんので、次期施政者ということになります。
(アルフレッド先生はあの方に似ている)
わたくしは幼い頃に初恋をした。王城の中庭で運命の出会いをしたのです。
あれはまだ九歳だった頃でしょうか。
『殿下、走り回らないでください!』
『エマ、平気よ!』
屋外とはいえ、王城の中庭です。わたくしは安心しきっていたのですわ。
『いたっ!!』
『ほら、言ったではないですか?』
わたくしは派手に転んでしまったの。
膝から血が流れて痛かった。立ち上がれないくらいに痛かったのを覚えています。
『ででで、殿下!?』
わたくしに駆け寄った側付きメイドのエマ。そのとき彼女が見せた表情は今も記憶に残っております。
『後ろ……うしろ……』
『なに? 後ろって……』
エマが青ざめる理由をわたくしは分からなかった。背後を振り返るまで……。
『えっ!?』
コウモリのような黒い魔物がいたのです。敵意を露わにして、わたくしたちを見ていました。
『殿下、逃げましょう!』
『エマ、立てないよ!』
もうダメだと思いました。
けれど、次の瞬間にはコウモリが燃え上がっていたのです。
『ファイアァァ!!』
燃えさかったあと、コウモリは力なく地面に落下。どなたかの火属性魔法により、わたくしは九死に一生を得たらしい。
『ジャイアントバットか。素材には何の価値もないな』
へたり込んだままのわたくし。直ぐ隣に男の子が立っているのに気付きました。
『どこのご令嬢か知らんが、最近は魔物が大発生している。屋外では気を付けるように』
『ありがとう……ございます』
『怪我をしたのか? ヒール!』
魔物を倒してくれただけでなく、男の子はわたくしの膝を治療してくれたの。
『簡易的な処置だが痛みは引いただろう。治癒士に見てもらうと良い』
とても格好良かった。
まるで物語に見る王子様みたい。攻撃魔法だけじゃなく、神聖魔法までお使いになられるとか。白馬には乗っていなかったけど。
『それで俺のことは内密に頼む』
どうしてか、彼は功績を求めていないらしい。わたくしを助けたと申し出たのなら、多大な報酬を得られたというのに。
わたくしは悩んだものの、彼の意を汲み頷いていました。
恐らく彼は許可なく中庭に来たのでしょう。ここは上位貴族の限られた人間しか入り込めないのですから。
『良い子だ。ならば、口止め料としてこれを君に……』
言って彼は中庭の薔薇を摘んでは魔法をかけていたの。
瞬く間に赤い薔薇をブローチに変えてしまったのです。
『初級の錬金術だけどな。それくらいしか作れない』
『いや、凄いですよ! わたくし、気に入りましたの!』
ニコリと微笑んだ彼の表情は永遠に覚えていることでしょう。絶対に忘れられないものでした。
『あの、お名前は!?』
手を振って走り去る彼に、わたくしは声をおかけしていました。
せめて彼が誰であるのかを知るために。
『アル……ああいや、俺はアヒージョだ』
確かアヒージョ様。ニンニク料理みたいな名前でしたの。
わたくしはあらゆる貴族のご子息を調べましたが、結局アヒージョ様は見つからなかった。それがわたくしの初恋。今もわたくしに婚約者がいない理由の一つです。
新しい教育係はアルフレッド様というらしい。
残念ながら先生はアヒージョ様じゃない。それどころか、ナイフにこだわりがあったり、わたくしの身体を触ったりするの。
(だけど、アルフレッド先生はとても優秀だと聞いた)
スケベであるのは我慢するとして、アルフレッド先生は貴族院を首席どころか、歴代最高得点で卒院された大天才という噂。スケベを理由に更迭するのは間違っているはず。
(きっと何かお考えがあってのことでしょうね)
アヒージョ様ではなかったとしても、彼を疑うのはバカな話ですの。
大臣補佐役という重責をお持ちですのに、わたくしの教育係を引き受けてくださっているのですから。
「姫様は剣術を習いたいのだと理解しますが、本日は歴史について学ぼうと思います」
先ほどから先生は刃物にこだわっておられますが、護身用という意味合いなのかも。
わたくしの身を案じておられるところはアヒージョ様と同じかもしれません。
(かといって、身体検査とかどうなの?)
男性に身体を触られてしまいました。
驚いたわたくしは抵抗すらできず、先生にまさぐられていたのです。
今思い出しても恥ずかしい。お胸の辺りを念入りに触られていたのですから。
『おやめください、先生!』
『ちょっとだけだから! ほらここがいいのだろう?』
『ああん、けませんわ! あああん!』
※過度な脳内脚色を加えてお届けしております。
『鷲掴みに!? ああ、そんなところまで!?』
『姫様、いいよ! 最高ですよ!』
『あぁぁれぇぇぇ!!』
とまあ、良いように触られまくってしまった。
先生の顔を見ると赤面してしまうわ。
(わたくし、子供ではありませんのに)
どうして先生は平然としているの?
わたくしはこんなにも恥ずかしがっているというのに。
そう考えると、恥ずかしいより苛立つ感じ。
少しばかり幼い体型だと自覚しておりますけれど、それはほんの少しですからね?
「まずはグリフィス王国の歴史から……」
わたくしを気にすることなく先生は授業を始める。
どうやら普通に歴史の授業みたい。スケベであったとして、先生は溢れる知識をわたくしに授けてくれるはずよ。
「ここグリフィス王国には千年以上の歴史がございます。ご存じでしょうか?」
「もちろんですわ。大陸でも屈指の長い歴史を持つ国。それがグリフィス王国です」
「よろしい。では、その長い歴史に戦乱の時代があったことを知っておられますか?」
えっと、確かそれは建国して三百年くらいが経過した頃でしょうか。
「八代目ゴンザレス王の時代でしょうか?」
「そうですね。ゴンザレス王は建国の王ラミレス様と並んでグリフィス王国の英雄です。覇王でもあったゴンザレス王は周辺の国々を瞬く間に制圧し、領土を拡大していったのです」
「現在のグリフィス王国が大国であるのも、ゴンザレス王の功績ですわ」
超絶エリートだと聞いていたわりに、先生の質問は簡単なものでした。
このような返答でいいの? 安直すぎるかしら?
「では、ゴンザレス王は如何にして他国を制圧したと思われます?」
「え? ただ攻め込んだのでは……?」
分からないわ。
わたくしはゴンザレス王が領土を五倍に拡大させたとしか知りませんの。
「もちろん攻め込みました。しかし、ただ戦争に勝っただけではありません。全ての国で残虐非道な行為をして、力尽くで従わせたのです。男は拷問にかけ、女は慰みものとして扱うことで」
ゴンザレス王の政策にそのような残虐行為があったのですか?
初めて聞くお話なのですけれど。
わたくしにも苦痛が理解できますの。
たった今、先生に慰みものとされたのですし。
『いやぁぁ! わたくし純潔ですのに!』
『最初だけですよ! ほら、もうこんなに!』
『ご無体ですぅぅ!!』
ダメだわ。先ほどのことが頭から離れませんの。それも全て先生がアヒージョ様と似ているせいですわ。
しかし、ここは授業に集中しなければいけません。せっかく優秀な先生に見てもらえるのですから。
「真実なのでしょうか?」
「歴史など勝者の都合で何とでもなります。その事実は敗者が残した碑文に記されていました。とても酷い扱いを受けたそうです。しかし、勝者こそが正義。負けた彼らは文句を並べるより、弱さを嘆くべきでしたね」
「勝者こそが……正義?」
疑問しか思い浮かばない。
戦争なのですから少なからず血が流れたはず。けれど、制圧後の対処は対話であるべきであり、力尽くで従わせるなんて許されないことです。
「姫様、王家としては正当な行為です」
アヒージョ様とは違うわ。
彼は勇敢であり、対価も要求しなかった。やはり先生は別人なのね。
まともな教育係かと思いましたが、新しい先生は普通じゃない。人を人として扱わなかったゴンザレス王を肯定しているのですから。
(あれ……?)
いや、そうじゃないわ。
先生は王家に仕える身。公然とゴンザレス王を否定できるはずがありません。
(こんな話をする理由があるはずよ)
何よりも優先して始まった歴史の授業。それには隠された意味があったの。
つまり先生は敗者の言い分にも耳を傾けろと、暗に仰っているのではないでしょうか。
「先生、栄光の歴史に潜む闇は消せないものでしょうか?」
「過去は決定事項。既に終わったこと。過去はどうあっても覆らないのです」
深い。深すぎますわ。
でも、わたくしは理解しましてよ?
過去が覆らないとの言い回し。先生は未来に期待されているのですわ。
わたくしが施政者となった未来に。弱者にも優しい世界を構築するようにと。
「力なき者は従うだけ。弱者は失うだけなのです。勝者こそが絶対。ご理解していただけましたか?」
王国が攻め滅ぼした国々は、もはや語られることなどありません。
何だか沈んだ表情。先生は勝者が絶対だという現状を嘆いておられるようでした。
「肝に銘じておきますの……」
これで正解かしら?
先生は大っぴらに王国を批判できない。よって、わたくしが明確な言葉にするのは間違っている。
自然と笑みを浮かべていました。
わたくしは恵まれている。アヒージョ様に似た先生。スケベなのは置いておくとして、正義を掲げる崇高な彼に師事できるのですから。
本日の授業で分かったことが一つ。
先生は悪を許さないのよ。たとえ生まれ育った国であったとしても。
「姫様、初日ですのでこれくらいにしましょうか。これより野暮用で聖教会へ行かねばなりませんので」
「ありがとうございました。非常にためになりましたわ」
先生が希代の天才と称される理由が分かりましたの。スケベでも彼は崇高な理念を持っておられるのです。
まあそれで、わたくしは疑問を解消しなければなりません。
「先生、つかぬ事をお伺いしますが、錬成も得意であったりしませんか?」
かつてアヒージョ様は目の前で薔薇の花をブローチに錬成してくれました。今でもそのブローチは宝物であったりします。
「いや、囓ったことがあるくらいですね。才能がないようでしたので諦めました」
やはり他人のそら似であるみたいね。
だけど、それは先生の魅力を否定するものではない。先生は先生の得意分野があるのですから。
「そうでしたか。これからもよろしくお願いいたしますわ」
初恋から七年。わたくしはようやく前へと歩み出せそうです。
心が再び熱を帯びた気がします。もう大人であるのですし、初恋は思い出として心の片隅にでもしまいこんでおきましょうか。
正義感や王国に背くような勇気は記憶の彼と同じでした。
わたくしはアルフレッド先生の人柄を好ましく感じております。噂に聞く通り、賞賛されるべき人物に他ならないのだと。
アヒージョ様とまるで同じだとは申しませんけれど、わたくしを見守り誘ってくださると信じております。
アルフレッド先生、どうかよしなに……。




