39 吸血鬼ヴォザナ
荒野に転がる大オークの骸。
血まみれのリアンナ姫は激しい戦いの後で消耗していたが、気丈に立つ。
手には白く輝く聖なる剣があった。
「見事な戦いでした」
ドレフュスが賞賛する。
「ありがとう、あなたの剣がなかったら勝てなかったわ」
リアンナはへし折られた愛剣を残念そうに見る。
「もし、良ければその剣をお納めください」
「しかし……」
姫は渡された剣を見る。
白く輝く光は聖なる力だろう。
「その剣は聖剣リュセリオン。私のような魔物が持つべき物ではありません。私が持てば単なる鉄の剣でしかない。あなたのような聖なる剣士が持つべき物なのです」
「……」
「私は長年その剣の主にふさわしい人物を待っていたのです。あなたに主になってもらえば、剣も喜ぶでしょう」
リアンナはうなずき、それ以上は言わず剣を腰に佩く。
「じゃあ、そろそろアーロンに行きますか」
ターニャはバリーのぬいぐるみの象頭をポンポン叩く。
「行くのは良いが、アーロンのどこに出る」
「城以外に私が行くべき場所はありません。あのマグレスの陳情団が行く前に王に警告をしないと」
リアンナが答えた。
「城に直接は無理だ。あそこは太古の結界が強力すぎる。市内では妖術師に気がつかれる恐れがある。今の時間なら城の外からでも間に合うのではないか?」
「ならば、では……」
リアンナは心当たりの場所をバリーに伝える。
次の瞬間、二人の女とロッドは戦場から消えていた。
「全く姫様にも困ったものだ」
暗い街角に小さな人影。その者はよほど注意深い人間でなければ見つけることはできない。
隠密のデリクだった。
デリクは独り言をぶつぶつ言いながら、白髭亭を監視している。
あの後、急いで報告に戻ってみると、おろおろするレティが一人なみだ目でいるだけだった。
聞けば、姫はどこかに行って帰ってこない。
デリクは念のために、宿の人間を起こしてリアンナがどこに向かったか尋ねた。
すると、白髭亭の不気味な客の話と彼女がその店の方角に行ったことを知る。
デリクは心配になり、白髭亭に向かうことだけをレティに告げると急いで来たのだ。
「さて、どうする。客のふりをして入るか、こっそり入るか。客のふりは時間的に遅すぎるな」
そうつぶやくと、何の迷いもなく侵入する。
軽装備の警備員がカンテラを持って巡回していた。
しかし、デリクから見れば、それはほとんどざるのようなものである。
無人の受付に行って台帳を確認。
「マグレス商工会ギルド貸し切り。南棟か」
南棟は北に玄関、東に通用口があるが、デリクは東から入る。
そっと鍵をこじ開け入ると、そこは食堂だった。
(確かに恐ろしく静かだ。姫様が乱闘したような後もないな)
一応、デリクはこの陳情団がバルガス家で聞いた暗殺者の一行であると当たりはつけている。
姫様の身が危ないことは予想していた。
食堂を抜けようとしていると、突然、背後に気配がある。
慌てて、小さな弓を構えた。
「何者だ貴様」
そこには不気味な黒ローブの男。
病的に白い顔に爬虫類のような目をしている。
(妖術師か? あの塔で見た奴に似てるが、別人だな)
「……バ、バルガス様の使いです。あなたは?」
すぐには攻撃されなかったので、何とか嘘で切り抜けられないか試すことにした。
弓を下ろす。
「私はキューディス。バルガスの用事とは何だ」
(キューディス。雰囲気、妖術師だよな。とりあえず、えーと、なんて言おうかな。内部の人間しか知らないことを言えば誤魔化せるかも)
「ええと、決行時における手順に間違いがないか、もう一度確認したいと仰せです」
(思いつかない、適当に言ってみたが)
「バカめ。私がその程度の手順を忘れるとでも思っているのか。問題はないと伝えておけ」
「ええと、それと、今の状態に支障はないかお尋ねです」
「……ふむ。そうだな」
男は一瞬、考え込む。
今は女冒険者二人に逃げられた直後だったのだ。
「我らの情報が外に漏れているようだ。ターニャという女魔法使いと、見たこともない女剣士、それと……いや、それだけだ。その二人に我らのことが知れていた。他にも情報の疎漏がないか調べてほしい」
(ターニャ? たぶん、俺たちのターニャさんのことだよな。女剣士はリアンナ姫だな)
「そ、その女二人はどうしたのです」
「取り逃した」
機嫌悪そうに答える。
デリクはその答えを聞いて内心ほっとした。
「バルガス様の話では、こちらに泊まっている方々の様子が人間離れしているといううわさが流れています。その女冒険者たちは金に飢えた事件屋で、偶然調べに来ただけではないですか」
(ま、こう言っても嘘はついてないわな。それほど)
「確かに楽観すればそうだが……」
男は、顎に手を当てて考えている。
「二人はどこに逃げたのですか。何なら、私が追いましょうか」
「それには及ばん、奴らはテレポートしたのだ。今は遠くにいるだろう。はるか南方だ」
(テレポート! ターニャにそんな芸当できないよな。じゃあ、誰か援軍かマジックアイテムでもあったのか。とりあえず、こいつは逃げた場所がわかってるみたいだな)
「はい、残念です」
「しかし、お主、なかなか鋭い男だな。あの厳重な鍵もあっさり開けている。バルガスの手の者にしておくのは惜しい男だ。どうだ、バルガスなどはしみったれだ。私に仕えろ」
「バ、バルガス様に使えて五年。命がけの忠誠心で頑張っています。お断りいたします、です」
「ほほう。見上げた忠誠心だ。良いのか? これほどの誘いは一生に一度かも知れんぞ。報酬もたんまり出る。前金だ」
男は懐からぎっちりと金貨の詰まった袋を取り出して見せる。
(オオ、すごい、金貨じゃん。百枚はあるな)
非常に嬉しそうな顔をするデリク。
「は、今日からご主人様と呼ばせていただきます」
金貨を受け取り、いきなり膝まずく。
「ふっふっ。決断も早い。ますます気に入ったぞ。名はなんと申す」
「ユアンです」
慌てて、前に使った偽名を使う。
「では、ユアン、早速……」
その時、玄関の方からカツカツと数人の足音が聞こえてくる。
そして、真っ直ぐこの食堂にやって来た。
デリクは思わず物陰に隠れる。
しかし、キューディスは微動だにせず待つようだ。
「ここにいらしたのね、キューディス殿」
扉が開き、黒髪の美女が現れる。
「これはこれは。ヴォザナ様。遠い所をようこそ」
女は長いウエーブのかかった黒髪、白い肌、赤い唇の美女である。
黒いドレスは大胆に肌を露出している。
背後の者たちは無言の大男、貴族風の服装。五人はいる。
(この女も重要人物だよな、名はヴォザナ。覚えておこう)
「主様の話では、あなたがヘマをやらかして、『静寂の国』のバリーと敵対したと。なぜ、奴が我らの邪魔をするの」
(『静寂の国』ってあの有名なアンデッドの国か、連中敵対してたのか。でも、バリーって誰だ)
「申し訳ないが、それは私が聞きたいくらいなのです。突然現れて、いきなり襲い掛かられ、撃退して逃げられたというのが真実なのです。妖珠も使わないと計画自体が失敗に終わるところでした」
「妖珠を使ったのは失敗だったわね。あれは妖術王でもそう簡単に揃えられるものではないのよ。それに、いきなり襲われたということはあなたの情報が外に漏れているんじゃない? これは後で叱責されるわね」
「私は逃げも隠れもしない。入れ替わりの呪法は人間性に限界がある。そのことは申し上げたはず。それで失敗したと責められてもそれは言いがかりだ。最終的にアーロン王を殺せば取り返しはつく」
(入れ替わりの呪法? こいつが連れている、何にも喋らない連中が掛けられている術のことだろうな、たぶん)
「まあいいわ。それより、バリーと逃げた女二人の行方は心当たりはあるの?」
「例えバリーでも妖術王様の呪詛を簡単には解けますまい。必ず女王フェリーゼのマナに頼るでしょう。つまり、奴は『静寂の国』にいると存じます。いずれにしても、怨霊が解放された時点でどの場所かはすぐに特定できます」
「呪詛王様と同じ結論よ、さすが十傑衆の魔術師ね」
(こいつも十傑の一人かよ。呪詛王とか色々いるのね)
「あなたも一員のはず。あなたほどのお方が、単なる使いでお越しになられたとは思えませんが」
「フフ。当然ね。私は暗殺の援軍として来たのよ。あなたの配下だけでは心配だって、呪詛王様が言うから。心配性なのよ、あの子」
「……チ(あのガキめ)」
言葉にならない口の動きで、呪詛王と呼ばれる人物を罵るキューディス。
(おうおう、悪人同士仲悪いのね。さっさと殺しあえ)
「あなたは陽光に弱いはずだ。我々は朝の『朝廷』を襲う。どのようにお助けいただけるのですか?」
キューディスは皮肉に言う。
「あら、決行の朝は弱い雨になるわ。それくらいできるのよ」
「そうですか、吸血鬼のヴォザナ様の援軍とは心強い」
全く心の籠らない賞賛を送るキューディス。
(やっぱり、吸血鬼か……この女。強敵ばっかり)
「ところで、さっきから、隅でこそこそしているあのおちびさんは誰」
ヴォザナが赤い爪でデリクを指さす。
「私の下僕のユアンだ。隠密だそうだ。お前の得意技は何だ?」
「ええと、隠密全般、弓と暗器も得意です」
「へェ、見かけによらないわね。じゃあ、試しにこの蝙蝠を打ち落とせるかしら」
彼女が手を開くと、ばたばたと小さな一匹の蝙蝠が飛び出し、飛び回る。
(腕を見せなかったら、役立たずだから口封じ、なんてのもあり得るな)
デリクは無言で弓を取り出すと、ほとんど狙いもつけず無造作に矢を放つ。
矢は吸い込まれるように蝙蝠を貫く。
「あら、凄いじゃない。あなた」
ニコニコと微笑む女。
吸血鬼とわかってなかったらデリクもほめられて嬉しかったかもしれない。
「この子も連れて行きましょうよ。役に立つかも」
「それはどうか。まだ、素性もはっきりとは……」
「あなたが連れて行かないなら、私が連れて行くわ。嫌とは言わせない。私の命令が聞けないの」
「ヴォザナ様のお言いつけに従います」
(おっさんよりこの女のほうが上なのか……気ままな女にかき回されるとは不憫な奴)
「この子は私が預かるわ。いいわね」
「もちろんでございます」
キューディスは頭を下げているが、顔は怒りに満ちている。
デリクは女にひょいと小脇に抱えられた。
そして、女はどこかに歩いて行く。
(これって、もしかしたら、拉致?)
とりあえず、今の状態で逆らうと命の保証がないのだけは事実だった。
結局、王に面会するその日まで、デリクはヴォザナの元にいた。
彼女といれば悪人の仲間と誤解される可能性は高かったが、混乱の中、城にもぐりこんで行方不明の二人を探すのに都合が良かった。
それに、リアンナにはそれなりに思い入れはあるが、アーロン王はデリクを無実の罪で殺そうとした男。
助ける動機に乏しかったのも事実。
(王を助けるかはその場で考えよう。リアンナも可哀想だからな。それに、あの妖術師の仲間らしいこいつらのことを調べるにも都合がいい)
去るのは簡単なので、逆にいることにしたのだ。
ヴォザナはデリクに様々なものを調達してくるように言いつけている。
どうやら、登城日までの短い日数の間に雨乞いの儀式を行うようだ。
外出の理由にもなるので、デリクは素直に協力する。
こっそりレティに会いに行くと、彼女はいなかった。
宿の人間の話によると、泣きながら城に帰ると言っていた、とのこと。
(今のところはその方がいいだろう。こんな街で女一人滞在するのも普通に危険だ)
登城の前日、夕方に儀式は行われ、空は一気に曇り模様になる。
夕闇に雲はどんどん集結し、翌日朝には雨が降るという。
ヴォザナの雨乞い儀式は特に陰惨なものでもなく、魔法陣を描いて、鉱石などの触媒を消費するだけのものだった。
「不思議そうね。これは中原の正統派の魔道よ。国によっては白魔術とも言う。私ははるか昔、魔道の徒弟だったの」
なぜか、そんなことをポツリとつぶやく。
何だか、その時のヴォザナは寂しそうだった。
(い、いかん、この女は極悪人。同情してはいかん)
「なぜ、その立派な魔道士が吸血鬼に?」
「吸血鬼が仲間を増やしたいと思ったら、その人の許可を取ると思う?」
「……」
寂しく微笑む女を少し哀れに感じた。
「無理やり『親』に魔物にされ、世間は全て敵になった。私の家族も悪魔の手先ということで皆殺しに。私は怒り狂って関係者を殺しつくした」
ヴォザナはその件に関してそれ以上は何も言わなかったが、人間社会への憎悪を持っているのだけは間違いなかった。
「あなたがいてくれて、助かったわ。あの者たちは戦闘には強いのだけど、こまごまとしたことは全然使えないの」
彼女の護衛の大男たちは劣化吸血鬼とも呼べる存在で、吸血鬼のなりそこないである。
無理やり誰かをそうしたのではなく、吸血鬼志願者の失敗作であるという。
「知ってる? 吸血鬼になりたがる奴って想像するより多いのよ、そして、くだらない奴ほど失敗作になるの、いい気味だわ」
(やっぱり、恐ろしい女だ)
失敗作たちは知性も低く、オウやアーとしか言えない。
しかし、異常に力が強く生き物への憎悪に狂っている。
彼女の命令がなかったらデリクも襲われていただろう。
次の日。
しとしと雨の降る朝が来て、登城する時が来た。
2026/6/28 8/26 微修正




