18 お忍びの姫
酒場の夜の翌日。
朝のアーロン城下町。
城に近い上流階級の街区。
リアンナ・アーロン姫は宿の建物から出た。
ここはお忍びで街を散策するときにいつも利用している
街にはうっすらと朝もや。
優しい朝日の中、思いっきり伸びをするリアンナ。
侍女も護衛もいない気楽さは非常な開放感があった。
少し寒いので、お気に入りの白いジャケットとスリットの入ったスカートを鎧の上から着用している。
もちろん、王の手の者が監視しているのは知っていたが、彼らは王とリアンナの不和にはほとほと手を焼かされており、今となっては監視以上のことはしてこない。
そっと振り返ると、宿に泊まった旅人としか見えない男が朝食を摂っている。
しかし、目つきの鋭さから王の隠密だろう。
リアンナはどうやってこの監視を逃れられるかを考えていた。
(エルヴィという女を捜さないといけないから、街から出られないわ。少なくとも首都にいないという確証が得られるまでは……何か騒ぎでも起こせばその隙に隠密は撒けるでしょうけど、それだとパトロールの衛兵が来てしまうわね)
厩に行き、愛馬の白馬の顔を撫る。
馬を出し、たずなを引きつつ宿の敷地を出て石畳をゆっくりと歩き出す。
(父もあんまり苛めたら可哀想かしら。でも、あんなことを言うなら帰ってあげない)
父セドリック・アーロン王の渋い顔を思い出す。
「いい加減、身を固めろ。この縁談のどこが気に食わん。相手は大国シンシアの王子なのだぞ!」
彼は娘が他の姉妹のように、大人しく他国に嫁ぐことを願っているのである。
もちろん、リアンナもそれはわかっている。
しかし、彼女には自分なりの許せる最低限の基準があり、それを超えていない相手とは絶対に結婚する気はなかった。
(私が許せる男は私より剣の腕前が上で、それでいて涼やかな容貌で、心優しくなかったらだめね。私が時折冒険に出るのも許してほしいわ。これさえ守ってくれたら、地位や格は気にしない)
身分はさておき、かなり基準が厳しいのだが、彼女はこれは非常に妥協した中身だと考えている。
剣の腕前と言う時点で独身貴族の大半が落第することを彼女は知らなかった。
父は時折、
「お前が男だったら、次期の国主は決定なのだがな……」
と嘆いていた。
今、アーロン王国には適当な王位後継者がいない。
王太子をたてていないのだ。
父王も多少老いたりとは言え、すぐには問題はないかもしれない。
しかし、いずれは必ず継承問題が出てくる。
父には三人の息子がいた。
長男エリウスは英雄の誉れ高かったが、人類を脅かす魔王の軍勢と戦って戦死。
魔王と相打ちになったというが、亡骸は危険すぎて回収もできていない。
魔王の死骸と一緒に敵の城に横たわっていると言われている。
もちろん、彼女は兄の亡骸が放置されてることに非常に不満を抱いていた。しかし、魔王の城は東の彼方、砂漠のど真ん中にあり、砂漠の異民族異種族たちの勢力圏なのだ。
アーロンの現状の国力では回収は難しいのである。
(機会があれば私一人でも行くわ)
この密かな願望が結婚で身を固めるという選択肢を拒否させていた。
次男リュギスは暗愚で、自分の領地で放蕩三昧をしているという。
あまりに父と不和が過ぎて蟄居状態。
長男とは違いいい噂が全くない。ただ、無能ではなく非常に傲慢であると聞く。
彼女も何度か会ったが、本能的に毛嫌いしていた。
(あいつは本当に駄目。悪政に怒った住民から何度も王のもとに直訴が来ているのよ)
地方領主には一定の独立権があるので王もその件に関しては苦慮している。自分の息子なので取り潰しもできない。反乱でも起こせば別だが、内政問題では大義が無い。
次兄のことを思い出すと、思わず首を振る。
三男ペトラティルスは生まれてすぐに死亡。
うわさでは三男は王位継承を恐れたリュギスに殺されたという。
もとより、父と不和であったリュギスが三男の登場を恐れたためではないかと言われている。
次男の蟄居の原因はそれが決定打だともいわれている。
王太子を選んでいないのもそれが理由だろう。
もちろん、今のままだとリュギスが次期王の本命である。
しかし、このような親子関係が知れ渡っているため、王家とつながりのある貴族たちは、隙あらば自分が王太子になろうと伺っている。
継承問題は時が経てば経つほど不穏さを増してくる。
(母が弟か兄を生んでくれていたら、あるいは、私が男だったなら……)
エリウス、リュギスは今は亡き前の王妃、リアンナは今の王妃の子。ペトラティルスは父が手をつけた侍女が産んだという。
母が違うため、兄二人とリアンナは年齢が一回り違う。
ちなみに、ペトラティルスは彼女の弟にあたる。
彼女はペトラティルスのことは全く知らない。身分が違う娘の子なので、自分の周りに来たことがなく、見たこともないのだ。
彼の死を知った父王が沈黙の中、悲しい目をしたことだけを憶えている。
母子ともに誰かに殺害されたと言う。
父のその目は長男エリウスの死を知ったときも同じだった。
そのときは、リアンナは幼児だった。
爽やかでハンサムな兄が大好きで、死を知ったときは泣きに泣いた。
リアンナは幼心に理想化していた兄と似た人物と結婚したい、といつの間にか願っていたのだった。
剣や馬の技術を磨くのも、理想の兄に近づくためである。
もちろん、リアンナはそんなことは特に意識していない。
いつの間にか、そうなっていたのである。
考え事をしつつ歩くうちに、いつの間にか商業地区に入る。
(エルヴィは冒険者。冒険者は仕事の口入屋にたむろしているというから、そこで情報が得られるわね)
そう思い立つと、早速、口入屋に向かう。
口入れ屋は商業地区の雑多で清潔とは言えないような場所にある。
冒険の依頼は多く、店も大きく繁盛しているようだ。
たむろする荒っぽい冒険者のために、口入屋は半分が酒場であり、半分が様々な冒険依頼を仕切るカウンターになっている。
まだ朝早いが、既に数人の鎧を着た男たちが口入屋の禿親父と商談をしている。
商談と言っても荒っぽい男たちの会話なので、傍目から見るとまるでけんかをしているようだ。
「ええい、おい、おっさん。もっと値段はでねぇのかよ!」
「うるせぇ! 嫌なら帰れよ半端もん!」
終始このような雰囲気である。
リアンナはさすがにちょっと気押されたが、すぐに持ち前の勝気さで中に入って行く。
掃き溜めに鶴。冷たい美貌を持つ女剣士の登場に、男たちは思わず無言で見つめてしまう。
しんと静まり返る店の広間。
全く臆せず、無言で見つめ返すリアンナ。
「お嬢さん。このようなところに一体どんな御用で?」
店の親父が沈黙に耐え切れずもみ手で話しかける。
「お前たち、エルヴィという女冒険者の行き先を知らぬか?」
ぎょっとする男たち。
情報の早い彼らである。
エルヴィを役人とヤクザ者が探し回っていることは既に周知の事実なのだ。
「どうするよ、おい」「何もんだ、この女。エルヴィ嬢のこと調べてやがる」
こそこそ話し合う男たち。
「どうした! 誰も知らぬのか!」
こそこそ話が気に入らなかったリアンナはかっとして、大声を出す。
「ひぇぇ、おっかねぇ姉ちゃんだ」
誰かが声を出す。
しかし、誰も笑ったりしない。彼女の鋭い視線の前では笑いの感情も凍り付いた。
彼女はいつも衛兵たちを指揮している。
このような男たちは扱いなれていたのだ。
予想外の彼女の気迫に、荒くれたちはたちまち大人しくなる。
「お嬢さん。俺たちもエルヴィを探してるんです。冒険者仲間だから、役人やヤクザに好きなようにさせるわけにはいかないんでね。それに、彼女が道をはずしたことで追われているなら、まずは冒険者の掟で裁かないと……俺たち全体の名誉にもかかわることなんです」
冒険者の中でも格上らしい男がそう答える。
鎧も武器も本人にも斬り合いをした痕跡だらけの男。
「では、お主らはエルヴィの行方を知らぬのだな?」
うなずく男。
「では、この者たちのことは何か知らぬか?」
二枚の羊皮紙を出して彼らに見せるリアンナ。
城の司法資料からドーリン、デリクの似顔絵を持って来ていた。
残念ながら、資料にはティルクの似顔絵はなかった。
「『破戒僧』ドーリンと『守銭奴』デリクね……こいつらのことはそれなりに知ってます。この二人はこのアーロン北部とキルボール辺りで名を売ってる冒険者で、確かターニャと言う女魔法使いと三人で稼いでいたはずです。ところが、三人は金持ちの娘を誘拐して身代金を奪っていた。今は捕まって城で死刑を待つ身だとか。罪状が本当なら、自業自得ですな」
男は肩をすくめる。
「この話は役所に聞いたら教えてもらえる話です。俺たちもそれ以上のことは知りません」
男は続けてそう言った。
「兄貴、俺はドーリンとデリクのことは少し知ってますが、拐かしなんてする奴らじゃありませんぜ。特にドーリンは、昔は名の知れた神官ですからね。いくら金の為とは言え神罰を受けるようなことをするはずがないですよ」
一人の男が口を挟む。
「わからんぞ、そんなの」
別の男がさらに口を挟む。
「なにを言うか、馬鹿野郎! 俺の目は確かだ!」
「誰が馬鹿だ、それはてめぇだろ!」
すぐに乱暴な議論が始まる。
リアンナは、騒音の中でも聞こえるように、格上の男に近づきさらに質問する、
「では、ティルクという男を知っているか。まだ少年だ、棍棒を使う」
「ティルク? そんな奴は知りませんね。おいお前聞いたことがあるか」
男に聞かれた側近らしき男も首を振る。
「フム、そうか……」
考え込むリアンナ。
エルヴィの足取りはつかめない。仲間からも隠れている。
彼らの話が嘘でなければではあるが。
ドーリンとデリクも特に怪しい雰囲気はない。
冤罪の所見があるようだが……。
(そう言えば、彼らの罪に被害者の名前がなかったわ。誘拐未遂だというから被害者のことを気にしていなかったが、当然、被害者がいないはずがない……普通、匿名にもしない。私が見たのはれっきとした捜査資料なのだから)
リアンナは二人の無罪の可能性からその異常に気が付いた。
(おかしい、絶対おかしいわ。被害者の名が抜けているなんて……司法長官を問いたださなければ)
そのとき。
「お嬢さん。俺たちも知っていることは話したんだ。なぜ、エルヴィを探しているのか教えてくれよ」
まさか、城で神隠し事件があり、その一人の関係者であるエルヴィを探しているとは言えなかった。
これは下手にもらすと、国が犯罪者をみすみす逃がしたという失態を世間に知らせることになる。
「言えぬ、が、一つだけ教えてやる。エルヴィは罪に問われて追われているのではない。安心しろ」
「やっぱり役人なのかな、この姉ちゃん」
「役人があんな女武侠みたいな服着るわけないだろ」
騒ぐ男たち、
「ありがとうお嬢さん。それは何よりの知らせです。ところで、良かったらお名前だけでもおしえてもらえませんか」
格上の男がなるべく丁寧に言う。
「私は、リ……」
リアンナと言いかけて、はたと考える。
リアンナと言えば、王の姫君の名前であり、背格好から正体がばれるかもしれない。
それでは面白くないので、偽名を使うことにした。
すぐに思いつかなかったので、侍女の名前を拝借する。
「レティよ」
「レティさんですか、私は……」
口々に数人の男が自己紹介する。
リアンナは男たちの挨拶に貴族的な態度で答えた。
上から目線であるが、堂に入った態度に皆が感服した。
リアンナはそれが済むとあっさりと去る。
礼の一言すら言わなかったが、彼女の素の高貴さがそのような尊大さをある意味当然のようにも思わせた。
「すげえ美人だったな。あの冷たい目で見られたらぞくぞくしたぜ」
「俺はあんな気が強いのは勘弁だ」
「てめぇはそんなんだから、女を見る目がねぇんだ!」
男たちは彼女が去った後も口々にうわさする。
「ところであの姉ちゃん、冒険者か侠客だから、通り名つけてやろうぜ」
「……『鬼姫』はどうだ?」
「『鬼姫』レティか。ぴったりだな。わははは!」
彼らはリアンナにあだ名をつけると、大笑いで締めくくった。
彼らは気がつかなかった。
リアンナを鋭い目で観察する男たちを。
そして、その監視者は朝から彼女を見ていた男たちではない。
2026/4/26 4/29 微修正




