17 蛇剣の男
ティルクは薄暗い洞窟に足を踏み入れる。
そこは洞窟というよりは古代の墳墓だった、壁は石が積まれ、天井は切りそろえた石で丁寧に作られていた。
長い年月の間に砂が浸食し、住み着いた誰かが応急修理を重ね、原型がかなり崩れている。
それほど暗くはない。
そこかしこに松明が灯されていた。
基本的に真直ぐな通路。
少年は砂と石畳を踏みしめていく。
通路は三十歩ほどもあり、両側に四つの扉のない部屋と、最奥正面にちょっとした広間があるようだ。
(こんな場所があったんだ)
ティルクはこっそりと進み、手前から確認してく。
最初の部屋では数人のゴブリンたちがだらしなく寝ていた。
無視して、調べ続け右手二つ目の部屋で心臓が撥ねる。
「母さん!」
そこには白い服を血で染めた母が倒れていた。
部屋には拷問道具が転がっている。急いで抱き起こした、が、力はなく既に息がない。
手足にひどい怪我があり拷問されたのだ。
最後の止めに胸を刃物で刺した跡がある。
最愛の母の無残な姿に、最初は戸惑い、すぐに爆発するような感情が押し寄せてきた。
「……化け物どもめ! よくも母さんを!」
目の前がぱっと赤くなった。
怒りのあまり、体がわなわなと震える。
(ゴブリンたちを皆殺しにしてやる!)
そう思い、手近な石の塊を引っつかむと闇雲に走り出す。
すると、
ドンッ
と誰かにぶつかった。
勢いよく走ったことと、両手に持っていた石が勢いを増し、ティルクは相手の上にのしかかるように倒れる。
「グワッ、ダレダ!」
慌てて身を引き起こすと、そこには先ほどのゴブリンリーダーが倒れていた。
一瞬、見つめあう。
ティルクは石を衝撃で落としてしまっている。
はっと見ると、目の前にゴブリンの棘棍棒があった。
運良くティルクの方が早かった。
ティルクはやおらそれを手にすると、
「死ね!」
「マ、マテ」
渾身の力で脳天をたたく。
ゴブリンは、ふらっと立ち上がったが、足に力が入らない、くたっと崩れ落ちる。
倒れたところに、二度三度と棍棒を叩き込む。
最後には頑丈な頭蓋が砕け、血と脳漿を撒き散らす。
全身を敵の血で真っ赤に染めて立つティルクは、まるで悪鬼の如き形相だった。
だが、次の瞬間。
「うっ!」
強烈な吐き気が襲う。
ティルクはふらふらと母の倒れる部屋に戻り、胃液とわずかな食物を吐き出す。
恐ろしい蛮族とは言え、知性ある生き物を殺害した罪悪感が体を震わせる。
少年は先ほどの怒りとは裏腹に部屋の隅で小さくなってうずくまってしまった。
ばたばたと足音が聞こえる、どうやらゴブリンたちが異変に気がついたようだ。
彼らは部屋の隅の少年には気付かず、リーダーの死体だけを発見した。
「族長ガ死ンデルゾ!」
「捕虜ガ逃ゲ出シタンダ!」
「急ゲ、マダ遠クニハ行ッテイナイ」
「ココト洞窟ハ後マワシダ! 見張リヲ置イテ行ケ!」
そう言い合うと、急いで外に飛び出して行く。
この洞窟は袋小路なのだ、出口さえ見張っておけば後で調べても問題ないのだろう。
少し落ち着いたティルクは棍棒を引きずりながら、そっと部屋を抜け出す。
(父さんを探さないと)
ふらふらと、一番奥の広い部屋に行く。
その部屋は古代の貴人の玄室である。
棺と思われる巨大な石の箱が開けられ、中身が無造作に散らばっていた。
その部屋にはゴブリンたちの食料や略奪品が置かれ、テーブルと椅子まである。
テーブルの上には書類が置いてあるが、字の読めないティルクは関係ないものとして無視をした。
部屋の隅に、木で作った台があり、父がその台の上に縛られている。
「父さん!」
ティルクは一声叫ぶと、急いで紐を外そうとする。
ナイフを取ろうとして、右手がなぜか棍棒を放そうとせず、吸い付いたように外れないことに気がつく。
興奮状態のあまり、手が棍棒を握り締めたまま麻痺していたのだ。
今まで引きずって歩いてきたことにも全く気が付いていない。
焦りのあまり、パニックを起こしそうになる。
「ティルク! 落ち着け!」
突然、父の声がする。
父は苦しそうにしながらも意識があるようだ。
ティルクのパニックを見かねて大声を出す。
父に怒鳴られて、少しきょとんとするティルク。
「来てしまったのか……」
不思議と父はがっくりと気落ちしているようだった。
「す、すみません」
命令に従わなかった恐怖が少し頭によぎる。
「こうなっては仕方がない、ティルク、左手でゆっくりナイフを抜いて紐を切ってくれ」
ティルクは深呼吸し、言うことを聞かない右手は無視する。
左手で腰のナイフを抜き、父を解放した。
「母さんが」
苦しそうに声を出すティルク。
「わかっている。全て俺の責任だ」
父、ヴィーンはそう言いながら立ち上がると、痛そうにひょこひょこと歩く。
彼はゴブリンの略奪品から手ごろな剣を選ぶと右手に持つ。
さらに、何かがぎっしりと詰まった袋を手に入れる。
「硬貨だ。しかもかなり古い。この墳墓にあったのかもな……これはお前が持って行け」
「はい」
ティルクは受け取り、腰のポーチに押し込む。
「いいか、これから脱出をする。お前は何があっても生き延びるんだ。俺がどうなっても無視して逃げろ。俺はお前が完全に農民の子になって、全てのしがらみから開放されることを望んだ。しかし、運命はお前を許さないようだ……」
含みのある言葉だ。
いつも不思議に思っていたのだ。
家族は全員茶色の髪に茶色の瞳、だが、ティルクだけは黒髪に黒い瞳。
なぜ自分だけ違うのか違和感を感じていた。
自分の出生に何か秘密があるのか。
ティルクは何か問おうとしたがヴィーンに制される。
「質問は後だ」
そう言うと、剣士のしっかりした足取りで出口に向かう。ティルクは無言でついて行く。
途中、母を見ると寂しそうな姿に見えた。
「ごめん、母さん」
ティルクは母を放置することが忍びなかった。
「急げ、ティルク」
急かすヴィーン。
ゴブリンが一人洞窟の入り口を守っていたが、こそりとも音をたてないヴィーンに背中を刺されて力なく倒れる。
背後から誰かが来ると全く思っていなかったのだろう。
通路と洞窟を抜けると、捕虜たちが繋がれている広場に出る。
彼らはヴィーンを見て、
「ヴィーン、助けてくれ」
口々に言う。
「無理だ、この剣でその鎖は切れない」
あっさり断る。
その騒ぎに気がついた二匹のゴブリンが奇声とともに現れる。
見張りだ。
しかし、ヴィーンは落ち着いていた。
稲妻のような剣捌きで一匹の喉を切り裂くと、次の一匹も棍棒を持つ指を切断し、痛みで麻痺したところに止めの剣を突き立てる。
父の想像以上の強さに驚くティルク。
「なかなかの剣捌きですな。こんな田舎でお目にかかるとは」
いつの間にか、一人の男が門の前に立っていた。
黒尽くめに覆面。
黒いマントの下にはしっかりと金属製の鎧も着ている。
ティルクは全く気配に気がつかなかった。
「所詮、ゴブリン程度ではこれが限界でしょう。しなくてもいい略奪をする、しかも、捕虜にはこうやって脱走されそうになる。こんな馬鹿な生き物に仕事を任せるのに反対だったのですが……しかし、せっかく連中に任せた仕事がこのまま失敗というわけにも参りませんから。死んでいただきましょう。親子ともども」
「貴様、何者だ」
睨みつけるヴィーン。
「さあ、死人に教える義理もないですな」
そう言いながら、するっと剣を抜く。
剣は不思議な光沢を帯び、闇に光る。
印象的な蛇の象嵌があった。
ヴィーンは男と対峙する。
やがて剣を突き出した男の剣がヴィーンに猛迫した。
蛇のような剣技。
細かに振動する刃。
ヴィーンはやっとのことで受けるが、数合耐えた後、剣があっさり折れてしまう。
「そんな、安物では我が剣に勝てるわけもない」
次の瞬間、男の剣はヴィーンを易々と田楽刺しにする。
「ぐう!」
しかし、それを待っていたのか、ヴィーンは剣を体に深々と刺したまま、苦痛を無視して男にしがみつく。
「クソ、離せ、下郎が!」
「ティルク! 逃げろ! 俺は永久にお前の父親だ、絶対生き延びろ!」
戸惑うティルク。
父をどう助けるか、おろおろするばかりだった。
「逃げろ! こいつは俺たちでは勝てない!」
黒尽くめの男は逃げそうなティルクに気がつき、左手でナイフを抜き投げつけようとする。
しかし、ヴィーンが右手でそのナイフを掴み取る。
出血する右手。
「逃げろ! ティルク逃げろ! 俺はもう助からない!」
「父さん!」
ティルクは父の必死の形相に驚き、しかし、その目が優しさに満ちていることを知る。
ティルクは言葉にならない声を上げると、全速力で逃げ出した。
闇の荒野をひた走るティルク。
恐怖と怒りと絶望が入り混じった、感情の塊りとなって。
「……そうか、そんなことが」
沈痛なドーリンの声。
「……」
「しかし、良く逃げられたな。そいつに追われなかったのか」
「ええ。理由はわかりませんが」
「何か急用でもできたのか。お父上に反撃されて怪我でもしたのか」
顎に手をあて、考えるドワーフ。
「一晩逃げ回って、明け方に近くの領主の警備隊に助けられたのです」
「なるほど、男は警備隊の存在にいち早く気が付いたのかもな。警備隊はゴブリンと戦ったのか?」
「いいえ、僕は少し事情を聴かれて、数日後に解放されました。警備隊は通過したゴブリンを警戒していただけで、僕の村は隣の領主の地域だからといって何もしませんでした。斥候は出してくれたのですが、ゴブリンは消えて捕まっていた村人は僕が逃げた後に皆殺しに……」
「酷い話だ……村は全滅し、頼るものもない。それで首都に来たのだな」
「はい、首都で冒険者になって修行したらいつか復讐できると思ったのです」
「蛇の象嵌の剣。魔法の剣だ。逃げられたら心当たりを探してやるよ。それに、妹さんの行方もだな」
「ありがとう、ドーリン」
うなずく、ティルク。
「その話だと、ゴブリンは誰か人間の指示で動いていたということになる。若い奴だけ悪人に引き渡されて、奴隷にされている可能性も考えられるな。お前の村の人間が奴隷市場に出回ってないか調べたら何かつかめるかもしれない」
この世界に奴隷は普通に存在している。違法の国家もないわけではないが、それは中原の先進国の一部だけである。
「おっと、長く話し込んでしまった。追手は来ないかもなこの様子じゃ」
ドーリン。
二人はこの闇の部屋に人が来ないことを薄々感じていた。
「ええ、普通、衛兵が僕たちを見逃すはずがないと思います、それなのに……」
「明らかにおかしい。例え使われていない広間でも、これほどの空間を城の人間が把握していないわけがない。本来なら、今頃、衛兵たちがなだれ込んで来ているのが当たり前だ」
「……」
「しかし、兵が来るどころか猫の子一匹いないと来てる」
耳を立てても一切音がしない。
自分たちが立てる物音が反響するだけだった。
「何がどうなっているんでしょう」
「ここは異空間なのかも」
ドーリンがつぶやく。
「異空間?」
「奇跡の修行で聞いたことがある。力のある術者は現実世界に魔力で穴を開け、現実と似て非なる、異なる世界を作り出すことができると」
「城の兵がここに入ってこれないなら、僕たちは出られないのでしょうか」
「わからん。誰かを閉じ込めるために作ったものならそうかもな。でも、そうと決まったわけでもあるまい。とにかく調べよう。絶望するのはそれからだ」
二人は装備を収める箱を壊し古い布を巻いて、数本の松明に改造する。
そして、金属で火花を起こしてようやく火をつけた。
「時間はかかったが、これで灯りが確保できた。完全な闇は俺でも視界が狭いからな」
少し満足げなドーリン。
「この灯りをつけていけば、松明は必要ないのでは?」
部屋の照明装置を指差すティルク。
「クリスタルのない場所に出たら先ほどの通路と同じ目にあうぞ。念のためだ。手に持てる灯りは、閉ざされた場所では重宝する」
ドワーフの言葉にうなずく少年。
武器庫を後にする二人。
二人が広間に出ると、相変わらず静寂と闇が支配していた。
2026/4/25 微修正




