14 盗賊の忠義
巨大な古代の城の屋上。
明るい陽に照らされている。
デリクは魔法のマントを使い、女に接近した。
絶対見つからない自信がある。
実際、今まで本気で隠れようとして見つけられたことはない。
(アーロンの役人どもにはいきなり魔法と投網でやられたけどな、待ち構えられたのはあのバカ髭ドワーフが酔っ払って暴れたせいだ。全てあいつが悪い)
少し苦い思い出がよみがえってきた。
あと十歩程まできた時、突然、女は振り返り、デリクの方に手招きする。
ぎょっとするデリク。
「み、見破られた!」
思わず声に出てしまう。
女は非常に美しい。
女神であると言われても、デリクには否定できなかっただろう。
それほどに人間離れしていた。
瞳は銀色に輝き、明らかな魔力を帯びている。
滝のような黄金の髪に透き通った肌。非の打ち所がない造形。
青く美しいドレスも彼女の前では添え物でしかない。
デリクはその女の慈愛に満ちた微笑に警戒心も薄れ、餌で釣られた野良猫のように彼女の側にまで行く。
女の背は高くデリクは自分がさらに縮んだように感じた。
「え、ええと。あの、私は怪しいものではありません」
(どう考えても怪しいだろ。何を間抜けなこと言ってるんだ!)
そうは思ったが、緊張してうまく言葉が浮かばない。
「名前はデリク・ヴィクターです」
女はうなずくと、すたすたと歩き出し、白い石のテーブルと椅子の前で手招きする。
テーブルにはいつの間に用意されたのか、揚げた練り菓子に砂糖をまぶしたものが置いてある。
なにやら金色に輝く飲み物まで用意されていた。
(そこでおやつでも食べろってことか)
なぜ、歓待されるのかわけがわからなかったが、得意の隠密をあっさり見破られて、この女に勝てる気がしない。
デリクは女の出方を伺うため、椅子によじ登って腰掛ける。
「……いただきます」
食べろと態度で示されて、食べないのは怖気づいているように見られるのではとも思い、お菓子をほうばる。
甘い濃厚な味が口いっぱいに広がり、香ばしい香りもあいまって非常に旨い。
投獄されてからまともなものも口にしていなかっただけに、思わず二個三個と手を伸ばす。
のどが渇いたので、金色の水を飲む。
こちらは爽やかな生姜の香りがあり、少し甘味がつけてあるようだ。
ごくごくと飲み干して、気がついた時にはテーブルの上のものをすべて平らげていた。
さすがにちょっと恥ずかしく思う。
女はデリクが食べている間にどこかに行っていたが、やがて帰ってくる。
手には青く輝く小さな宝石のアミュレットを持っていた。
女はそれをデリクに差し出す。
やはり、戸惑うデリク。
人がただでくれるものにろくなものがないのは常識である。
しかし、高貴な女性から無償の態度を示されて無視や拒否を決め込むほどデリクは強くなかった。
おずおずと手を伸ばそうとする。
「おやおや、こんなところにいらっしゃったのですか王妃様」
突然、皮肉に満ちた男の嗄れ声が響く。
声のする方を見ると、デリクの入ってきた場所のちょうど反対側にある塔の出入り口に一人の男が立っていた。
男は高価な魔道着に身を包み、その服にはアーロン王国の紋章が入っている。
王国の魔道師なのだろうか。
顔はフードのため半分しか見えない。
髭もなく死人のようにやせこけた白い肌。
しかし、デリクにはその声に聞き覚えがあった。
キルボール伯国の辺境で出会ったあの妖術師の声!
「貴様! あのときの妖術師! 何でこんなところにいる!」
デリクはそう吼えると、稲妻のように動き、植木に潜むと姿を隠す。
「ほお。下らぬ小者だと思ったが予想以上に見事な隠密だな。だが、お前のような者に問われて答えねばならぬ義理は俺にはない」
男は笑うとデリクを目で探している。
あの時の不気味な爬虫類のような目ではない。魔術で擬態しているのか。
デリクはそっと右に回りこむと、必殺の矢で妖術師の両目を狙う。
わざと物音を立て、こちらを見た瞬間目を射抜くのだ。
がさっ。
音がして妖術師は振り向く。
その瞬間、ビィィインという音ともに、立て続けに二本の矢が飛ぶ、
その矢は吸い込まれるように妖術師の目を貫くかに思われた。
しかし、矢は顔面の一歩手前で止まると、くるくると回転して、床に落ちる。
チィと舌打ちしたデリクは、更に手裏剣を投げつけた。
しかし、それも矢と同じように床に落ちる。
「フフフ、無駄だ」
隠密のセオリーとして、奇襲が失敗した時点ですぐに逃走すべしとあった。
懐の煙球を握り締めるが、逃げれば王妃と呼ばれた女が一人取り残される。
そう思うと動けなくなってしまった。
王妃を見ると先ほどの柔和な顔とは違い、怒りを抑えたような表情をし、冷たい刺すような視線を妖術師に送っている。
「どうした、それだけか、ではこちらも……」
男は、指で印を結び、怪しげな術を詠唱する。それはすぐに終わるが、彼の足元から一つの闇の穴が生じ、不気味な手が床を縁のようにつかむとのそりと金属でできた人形が姿を現す。
人形は金属の棒が人間であるかのように動いている。
右手には剣を持っていた。
「ゴーレムか」
思わず口に出してつぶやく。
この手の存在は、生き物のような知覚ではない。
隠密は効果がないだろうし、矢も暗器も当然効かない。
ゴーレムは真っ直ぐにデリクの潜む植木に剣を振り下ろす。
細い植木は真っ二つになり、やわらかい土に剣は深々と突き刺さる。
恐ろしい力だった。
(一発でも食らったら死ぬな)
間一髪で転がって逃げたデリクは、粉みじんになった植木を見てそう思う。
剣は無骨で太く、全く手入れされていないようだが、ゴーレムの怪力にも折れる気配はない。
じゃらっと、鎖を取り出す。
今は鎖で敵の動きを封じるしかない。しかし、あまりにも力が違いすぎる。
鎖の細さに心もとなさを覚えた。
敵の動きはかくかくとしており、隙は多い。
「これで!」
振り上げた剣に鎖を巻きつける。
そして、一気に背後に回って体にも巻きつかせ、動きにくくする。
しかし、そんなものもお構いなくゴーレムは剣を振り回す。
屋上の植木は真っ二つになり、タイルは砕け、モルタルや石が飛び散る。
デリクは避けるだけで必死だった。
その闘争を尻目に妖術師は王妃に近寄っていた。
「王妃よ。あなたは私の虜なのです。いずれ体だけではなくその心もすべて私が奪ってみせる」
男はそう言いながら王妃の肩に手を掛け、体を密着させる。
もう片方の手で、王妃の体をまさぐろうとする。
王妃は憤然としてその手を払いのける。聞いたこともないような言葉であるが、意味はわかった。
不思議なことに妖術師に人間的な顔が現れる。
手を払いのけられて心が傷ついたという表情。
「私がこんなに愛しているのに、なぜあなたは理解しようとしないのです。私はあなたのすべてを愛します、あなたの娘もいずれ手中に収めてみせる。あなたの息子は行方も生まれたかどうかもわかりませんが……必ず、あなたは私の愛を受け入れることになる」
男は強引に王妃の体を撫でた。
嫌がる王妃を見て、デリクは激怒する。
ゴーレムは妖術師には絶対剣を向けない。それを見越して剣をかいくぐり、ゴーレムを無視して妖術師に飛び掛る。
鎖は捨て、右手には黒い粘液のついた小さな手裏剣が握られていた。
「野郎! 手をどけろ!」
妖術師は余裕の顔である。
デリクが飛び掛っても不思議な力が彼の周りを覆い、一撃が通らない。
デリクは鞠のように弾き飛ばされ植木の上に落ちた。
その時、左手が見えないような動きをして、何かを飛ばす。
その物体は床を転がり、男のやや左後方に落ちる。
男はデリクを見ようと一瞬位置を変えるが、体勢を変えることにより足はその物体を踏んでしまう。
「ぐぉ」
妖術師が小さく吼えた。
彼は貴族的な室内履きのサンダルを履いており、足の裏は柔かい皮である。
その物体には小さな棘があり、彼の体重で皮は容易く突き破られてしまう。
「食らえ、月影忍道毒菱術!」
デリクは得意げにそう言うが、無理に妖術師を攻撃したため、ゴーレムの一撃が体をかすっていた。左足からかなりの出血をしている。
「毒だと!? 貴様、虫けらの分際で!」
妖術師は血相を変えて怒り狂う。
足の裏の痛みに耐えかね、無様に転がり毒にまみれた撒き菱を抜く。
「おっと、あまり頭に血を上らせないほうがいいぜ。すぐに毒が回ってあの世行きだ」
こんな不気味な化け物じみた相手に毒が効くのか?
少し不安になったが、見る見る、妖術師の左足は青黒くなって行く。
さすがに事態の深刻さに気がついたのか、妖術師は、
「下郎、すぐに解毒剤をよこせ。今よこせば命だけは助けてやる」
「知るかよ、死んだって絶対お前には渡さない」
一瞬、にらみ合うが、
「くそ、憶えておれよ。この恨みは必ず晴らす。そうやってこのヴォルガンは生きてきたのだ。そして、王妃よ、必ず完全な虜にしてやる。絶対に、だ!」
妖術師はそう宣言すると姿が霞のように消えていく。
ゴーレムは術者が消えると同時に、床に闇が開いて消えてしまう。
敵は退却したようだ。
気が抜けると、デリクは気絶しそうになるほど痛い足に気がつく。
しかし、婦女子の前で弱さを見せたくなかったので、気を張って王妃に笑顔を向ける。
それより、毒を使ったことを咎められるのではと畏れ、
「王妃様、ええとお名前は存じませんが……決して、毒は普段からは使っておりません。あのような極悪人にだけ使えと師匠からもきつく命じられております。決して濫用してませんので……」
師匠のことをふっと思い出す。
東洋人の穏やかな老武人。
王妃はデリクの言葉を無視してなにやら術を詠唱し、手に光を集める。
デリクの目線にしゃがむと、光を傷に当てた。
目の前に王妃の顔が来て、魂の飛ぶデリク。
(これは……あのエロ妖術師が必死になるのも理解できるかな)
狼狽するデリクを尻目に、傷はふさがっていくようだ。
ついには、傷跡は残ったが完治してしまった。
傷だけではなく、破けた服やマントまで修理されていく。
「ありがとうございます」
一気に痛みから解放されて、ぴょんっと跳び上がる。
残る痛みもない。
ドーリンの見せた奇跡かあるいはそれ以上なのかもしれない。
デリクが傷を確かめていると、王妃は再び例のアミュレットを差し出す。
「これを俺に持てとおっしゃるので? 何かは存じませんが、ありがたく頂戴します」
そう返事すると、王妃はデリクの首に掛けてしまう。
青い宝石は素人目にも何らかの魔力を帯びているのがわかる。
「これは一体?」
(ソナタノ……)
突然何かの声が心に聞こえる。
「へ?」
(……運命)
「運命?」
(娘ヲ……)
「娘さんを」
(助ケテ……)
「そ、それはもちろん構いませんが、娘さんのお名前は? それに、あなたは……」
(名ハ、ワカラヌ。私ハ……ヨイ)
「それでは……」
無理と言いかけたが、
(ソナタハ娘ニ出会ウデアロウ)
そう言われると、とりあえず、それ以上は追求しなかった。
「娘さんはさておき、あなたもここから出た方がいいと思いますよ」
(私ハ……ヨイ)
「よいなんてないですよ! あのような化け物に懸想されていたらどうなることか! 絶対あなたを助けますから、一緒にここから出ましょう」
(私ハ……デルワケニハ行カヌ)
首を振る王妃。
「私を信じてください。悪人に狙われているのに女性一人で……そうだ俺の師匠の下なら安心して……」
しかし、説得しても王妃は悲しそうに首を振るばかりであった。
(娘ヲ、オ願イシマス)
そう言われると、どうしようもなかった。
「そうだ、剣を奉げましょう。いつかあなたを救い出します。くだらない下郎の隠密の剣かもしれませんが、あなたは一人じゃない。絶対私が救い出してみせます」
(剣?)
しかし、デリクは剣を持っていなかった。
愚かな発言でちょっと恥ずかしくなった。
「ええと、剣は持っておりませんが、象徴的な意味です。何か剣になるものは……俺は刀しか使えないし、本当に象徴的な意味で……」
あたりにそれらしいものはない。
クナイでは失礼に当たるだろう。
デリクがきょろきょろしていると、王妃は再び何かの術を詠唱している。
手に光の塊があり、それがやがて一本の刀と化す。
黄金に輝く刀。
デリクは察してひざまずくと、王妃は刀で騎士叙階の儀式を行う。
「私デリク・ヴィクターは王妃様に忠誠を捧げます」
デリクが刀を受け取り腰に挿すように置くと、額に口づけをされる。
柔かい美しい唇が触れるとデリクは天にも上る気持ちがした。
夢見心地の中、王妃を見ると、徐々に透明になっていく。
彼女は幻影だったのか。
しかし、手にはずしりと重い刀があった。
「待ってください。せめてお名前だけでも教えてください」
(我ガ名ハ……)
王妃は美しい真昼の幻影として消えていく。
(オーディナル)
呆然と立つ小人。
かなり長い間、デリクは無人の屋上に立ちつくしていた。
2026/4/12 微修正




