第9話 別れ
「「社長!おはようございます!」」
「おはようございます!」
うん。朝の挨拶は気持ちがいい。
胸の奥に溜まっていた澱が、少しだけ洗い流されるような感覚。
どれだけ状況が悪くても、どれだけ先行きが見えなくても――
こういう「当たり前」は大事にしたいね。
あれ以来、待てど暮らせど襲撃はない。
ザバホックが報告していない…?
あり得るのか?そんなことが。
それとも、より強力な討伐隊の編成に時間がかかっているのか。
楽観視はしないでおこう。
もしもの時は全員に脱出するように伝えてはいるが…。
「しゃちょー。おふぁよぉ。ふあぁ」
眠そうな目をこすりながら、セシリーが横穴から出てくる。
「『お兄様』ってよんでもいいよ(おはよう)」
「や」
よし!楽しく話せたな!
セシリーはヒゲ爺の背中に飛び乗り、きゃっきゃと笑いながらお馬さんごっこに興じている。
楽しそうだ。僕が代わってもいいよ。
僕専用のデスクは、枯れ木を無理やり組み上げた粗末な代物だ。
歪み、傾き、触れるたびにギシギシと悲鳴を上げる。
その上に置かれた水晶が――ふわりと、淡く光を帯びた。
来たか…!
ヒゲ爺に聞いてた、地域ごとの各ダンジョンのボスが大魔王に成果報告をする『定例会議』だ…!
会社員時代を思い出すなあ。
水晶に手をかざすと精神体だけ会議室に飛ぶなんて、魔力ってインターネットじゃん。
今回の目的は、この会議で南の祠に戦力の増強、ないし魔力の増加を頼むこと。
僕は手をかざすと視界がぐにゃりと歪む。
空間が溶け、裏返り、そして――
世界が切り替わった。
****
不思議な感覚の後、僕の視界は巨大な花弁に支配された。
いや、違う。
本能が告げる。
――彼女が、魔王だ。
ゆうに数十メートルはあろうか。それは「花」というよりは、天を仰ぐ巨大な「捕食口」だった。
女性らしい曲線で人を模っているが、その肌は毒々しい斑点に覆われ、頭部と思わしき部位には牛のような角。
泥のような黒い蜜が地面を濡らし、甘ったるい死の香りが精神体の鼻腔を突き抜ける。
甘ったるい。
吐き気を催すほどに甘く、そして確実に「死」を連想させる匂いが、精神体のはずの嗅覚を貫いてくる。
見渡すと様々な種の魔族が跪いている。
『よく来た。我が子らよ。お前たちの成果を母に教えてくれ』
頭に直接響く声は、慈愛と暴力が同時に混ざったような響きだった。
「アルカ島、北の洞窟の主「ミランダ」。冒険者パーティーを2組、撤退させましたわ。内3名を打ち取りました」
ナーガの女が名乗りを上げる。
下半身をゆらりとくねらせながら、白い指でタグを掲げた。
魔物にとってはアレが首級代わりというわけか。
執事然とした男が進み出て、恭しくそのタグを受け取り、魔王のもとへ運ぶ。
『ほう、銀等級冒険者を。素晴らしい功績だ。』
「お褒めに与り光栄ですわ」
ミランダは深く頭を垂れる。
「西の森の「ヴォルフ」、金等級冒険者1人、銀等級5人」
ざわり、と空気が揺れた。
さっきまでとは明らかに違う反応。
『金等級か…!アルカ島で、お前に勝る戦士はいないな。母も誇らしく思うぞ』
その言葉に、周囲の魔物たちの視線が一斉に集まる。
羨望。嫉妬。畏怖。
そして――明確な序列。
報告は次々と続いていく。
『最後は、南の祠……ゴーレムか』
ぴたり、と場が静まる。
『……いつもより小さいな?』
視線が集まる。
刺すような、値踏みするような、冷たい視線。
『近寄るがいい。成果を読もう』
魔王の巨大な腕――いや、花弁がこちらへ差し出される。
「それには及びません。南の祠、冒険者に2度壊滅させられました」
『なっ…』
1回は勝利したが、ここはインパクト重視だ。
「ゴーレムがしゃべった…?」と聞こえてくるあたり、やはり皆ビックリするものなのだろうな。
「魔王様!恐れながら申し上げます。」
僕は一歩踏み出す。
視線が突き刺さる。
だが、止まらない。交渉はビビったら負けだ。
「我々の兵力では、祠の戦力は削られる一方です!どうか――戦力の増強、あるいは魔力供給の増強を!」
『…』
「私が召喚されているとわかれば、より強力な冒険者が…!」
「ギャハハハハ!」
下品な笑い声が、すべてをぶち壊した。
視線を向ける。
――ヴォルフ。
さっき賞賛されていた男が、腹を抱えて笑っている。
「西の森のヴォルフ、発言させてもらうぜ」と前置き、わざとらしく一礼し、こちらを覗き込む。
「ゴーレムが喋っただけでも爆笑モンなのに――『戦力増強してくれ』だぁ?」
肩を震わせる。
「アヒッ……アヒッ……ヒャハハハハ!!!」
「……僕らが弱いのは事実です。しかし、消耗し続けるのは魔王軍にとっても不利益じゃないですか?」
「傑作だ!お前たちが死ぬと、魔王軍が消耗?するわけねーーーーだろ!あんな残りカスのダンジョンで」
「なに…?」
「お前らの祠なんて、みーーーんな期待してねぇーんだよ!冒険者を1人でも殺してくれりゃラッキーでお前が置かれてるだけだろーーが!ヒャハハハハ!」
ヴォルフは腹を抱えて笑っている。
「だとしても!俺が変えて見せる!絶対に他のダンジョンに負けない成績を出して見せる!頼む!魔王様!今一度ご検討を…」
その時。
『お前は…「何」だ…!?』
どす黒いオーラが場を支配する。
心臓を鷲掴みにされたような感覚。
指一本、動かせば死ぬ。
『ありえない。余は”祠”には土人形を召喚を命じているはず…。お前は、お前は一体…』
緊張が、わずかに緩む。
「へぇ…。こんな魔王様初めてみたぜ。お前、本当に魔物か?」
ヴォルフがニタニタとこちらを見る。
「馬鹿なことを…!ここにいるのがその証明じゃないのか!?ダンジョンの皆が僕の召喚も証人になってくれるはずだ!」
「証人だぁ?ああ!モーロクジジイか?」
「…は?」
「それともあの薄汚えガキか?誰も信じるに値しねえ雑魚じゃねえか!ヒャハハ!」
僕の感情が赤く支配されていく。
だめだ、抑えろ。
止まれ。
止まれ。
「俺の森から逃げてったガキ、懐かしいなぁ。半魔だって隠してやがって。人間の母親を殺してやった時の顔ときたら…アヒャヒャヒャ!」
「………は?」
「同族殺しが出来れば、あのガキも始末してやったんだが…、あ!半魔だからもしかしてセーフだったのか?」
――プッチーン
視界が真っ赤に塗りつぶされた。
ああ、いけない。
歩が止まらない。
わずかに残る僕の理性が止まれと叫んでいる。
また、同じことをするのか?
僕の手には――
ヴォルフの首があった。
「お゛、お゛前゛。何゛を゛…」
「馬鹿にしたな…」
ヴォルフを右手が持ち上げる。
「雑魚に雑魚って言って何が悪――」
「俺の部下を馬鹿にするな!!!」
空間が揺れる。
床が砕け、クレーターが穿たれる。
ヴォルフが、痙攣している。
……効いてるのか。
精神体に物理攻撃。
意味、あったんだな。
『なっ…』
怒り。
そして――恐怖。
暗黒のエネルギーが魔王から流れ出す。
『子同士で争うことなど母は認めておらぬ…!そんなことが出来ぬように産み落としたはずだ…!』
魔物たちの視線が変わる。
敵意。
明確な、排除対象へのそれ。
『ゴーレム、貴様と我らの敵と見なす。』
宣告。
『それでも我が子だ、母はお前を殺したくはない……』
――甘い。
歪んだ慈悲。
『二度と姿を見せぬことだ。我が愛しき……なり損ないよ』
視界が暗転していく…。
***
やってしまった。
やってしまった。やってしまった。やってしまった。
これでは『あの時』と同じ過ちを繰り返してるじゃないか!
もう二度と感情で動かないと決めていたのに。
怒りの感情を抑えきれなかった。
じっくりと交渉していけば、魔王も応援を寄こしてくれたかもしれない。
「最強のダンジョンにしてみせる」と宣言しておいて、なに無責任な事やってるんだ僕は!
彼らに顔向けができない。
魔力供給の停止…。
いや、それだけで済めばいい。
ヴォルフは報復に躊躇しないだろう。
ザバホックの件もある。このダンジョンの状況は最悪だ。
他の勢力にも、このダンジョンが魔王軍でなくなったことが知られれば…何が起こるか予想もつかない。
「社長、どうだったンね。魔王様は元気しとったンか」
「…………あ、ああ」
セシリーを背負ったヒゲ爺がこちらにやってくる。
「ヒゲ爺。ゴブリンを集めてくれるかい?」
「ン?おお、構わンよ」
ヒゲ爺が口笛を吹くと、ダンジョンの横穴やどこに隠れていたのか、数十体のゴブリンが姿を現す。
「集まってくれてありがとう」
ゴブリンたちがこちらを見上げる。
「本当にすまない!!」
彼らに伝えるべきは謝罪しかない。
誠心誠意事の次第を話そう。
僕は先ほどの顛末を彼らに伝えた。
***
「君たちはここから逃げてほしい。僕の暴走で迷惑をかけて、更に手間までかけさせて本当に申し訳ない…。」
「なに言ってんだよ社長!」
若いゴブリンのゴブゾウが言う。
「アンタ、俺たちのためにケンカしてくれたんだろ!そんなアンタを置いていけるかよ!」
「ゴブゾウくん…、でも僕は…」
「社長がしゃべったからって、そんなんで追い出すなよな!魔王軍もちっちぇーぜ!」
そうだそうだ!とゴブリンたちは声を上げる。
「そう言ってくれるのは嬉しい。でも、ここに残っちゃダメだ。皆逃げてくれ。ヴォルフが報復にでもこれば、ここは壊滅的な打撃を受けるだろう。奴は金等級冒険者も倒す実力者で…」
「でもよう!俺たちゃ社長と一緒に戦いたぜー!」
ゴブリンたちが騒ぐ。
「お前ンら!」
ヒゲ爺の声が響く。
「あんま社長を困らせンな」
ヒゲ爺がこちらを見る。
彼だけはこのゴブリンの中で事の深刻さを正確に理解していたようだ。
「社長は死ンでほしくねンだよ。お前ンらによ」
「けど俺らだってヨ…」
「わかっちょる。でもな、社長はずっと俺らンこと考えてくれてたンはわかってんだろ。そンなお人が自分のケツ拭きに、お前らに一緒に死ねって言えると思うか?」
「そ、それは…」
ゴブゾウ達若手のゴブリンは押し黙る。
「ごめん、ヒゲ爺。」
「よか…ねえが。怒ってくれた社長は嫌いじゃねえ」
ヒゲ爺が僕のケツを叩く。
「社長、あとは任せな。東の滝には古い馴染みのゴブリンがいるンだ。ココにもしもがあった時の、ホントのホントの最終手段だナ」
「すまない…」
「行くぞォ!お前ンら!」
「えー…でも社長、一人で死ぬ気なのか…?ヤだぜ。せっかく友達になったのに」
「ゴブゾウ、困らせンな」
「……………社長。ごめんな。でも、ピンチになったら呼べよ!」
ゴブゾウが僕の尻を叩く。これがゴブリンなりの別れの挨拶らしい。
「絶対呼べよ!」とゴブゾウの声が遠くから聞こえる。
一人ひとり、握手を交わし、尻を叩かれる。
彼らはヒゲ爺に連れられて行く。
「セシリー、君もついていかなきゃ」
「や!!!」
セシリーが足にくっついて離れない。
ダメだ。ちゃんと彼女とお別れしないと。
「短い間だったけど、すまなかったね。お別れを二度もさせるなんて」
「やだ!!!!!」
ズボンがびちょびちょだ。
セシリーの涙やら鼻水やらがべとべとについている。
「ヒゲ爺ー!」
「おおン。どうした」
ゴブリンに指示を出し終えたヒゲ爺がこちらにドコドコと走ってきた。
「ああー、セシリー。おンめェーも社長を困らせちゃダメだろ!」
「やだやだやだ!!またお別れなんて絶対や!!!」
「あーあー。だーだー。」
ゴブリンの力にはかなわないのか、セシリーは引きはがされる。
「やだー!!!やだー!!!行ぎだぐな゛い゛ーーーー!!!」
「わーったわーった」
そっとヒゲ爺がセシリーになにか耳打ちをすると、彼女はグズりながらヒゲ爺の背中に乗った。
セシリーを担いだヒゲ爺がこちらを見る。
「任せたよ。最強にするっていったのに、いきなり約束破ってごめん。落とし前をつけたら、きっと迎えに行くよ。それか、僕が死んでこのダンジョンが空っぽになったら…」
「それ以上は言わんでいい。またな。」
「またな」とは。ヒゲ爺も粋な事を言う。
泣き喚くセシリーの声と共に、ヒゲ爺がゴブリンを引き連れダンジョンから出ていく。
静まり返る洞穴。
ああ、誰もいないと、ダンジョンってこんなに広いんだな。
アリの巣のように無数に空いた横穴は全てがゴブリンの住処だった。
今は僕一人だけ。
***
数刻後。
チリリ、と入口から来訪者を知らせるベルが鳴る。
死にたくはないので、あがけるだけあがこう。




