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第2話 十七歳の誕生日と、夢の中の女神

 ――レオン。


 誰かが、俺の名前を呼んでいた。


 柔らかな声だった。


 遠くから聞こえてくるようなのに、不思議とはっきり耳に届く。


 ――レオン・アシュフォード。


 俺はゆっくりと目を開けた。


 そこには、見たこともない景色が広がっていた。


「……ここ、どこだ?」


 足元には、どこまでも続く白い床。


 頭上には、青空の代わりに無数の星々が輝いている。


 朝なのか、夜なのかも分からない。


 太陽らしきものは見当たらないのに、周囲は不思議な光に満ちていた。


 まるで、空の中に立っているような感覚だった。


「夢……だよな?」


 頬をつねってみる。


「痛っ」


 普通に痛かった。


 いや、夢でも痛みを感じることくらいあるのかもしれない。


 とにかく、ここがどこなのかは分からない。


 少なくとも、俺の知っているアシュフォード村ではなかった。


 昨日は剣術大会で負けて、家に帰って、夕飯を食べて、それから眠ったはずだ。


 変わったことといえば、今日が十七歳の誕生日だということくらい。


 ……いや、誕生日だからって、こんな夢を見るものなのか?


「困惑しているようですね」


「うわっ!?」


 突然、背後から声がした。


 慌てて振り返る。


 そこに、一人の女性が立っていた。


 長い白銀の髪。


 透き通るような肌。


 そして、星空を映したような瞳。


 身にまとっている白い衣は、風もないのに静かに揺れていた。


 美しい、という言葉だけでは足りない気がした。


 彼女がそこにいるだけで、周囲の空気まで変わってしまったように感じる。


「えっと……どちら様ですか?」


 俺が尋ねると、女性は穏やかに微笑んだ。


「突然呼び出してしまい、ごめんなさい。私は、あなたに伝えなければならないことがあって、ここへ招きました」


「伝えなければならないこと?」


「ええ」


 女性はうなずいた。


「まずは自己紹介をしましょう。私は創世神。この世界を含む、数多の世界を創り出した者です」


「…………」


 俺は黙った。


 数秒ほど考えてから、口を開く。


「……すみません。もう一度お願いします」


「創世神です」


「……神様?」


「はい」


「この世界を創った?」


「その通りです」


「……なるほど」


 俺はゆっくりとうなずいた。


 そして、正直な感想を口にした。


「俺、思ったより変な夢を見てるなあ……」


 創世神は、一瞬だけ目を丸くした。


 それから、小さく笑った。


「そう思うのも無理はありませんね」


「いや、だって……神様って」


 俺は頭をかいた。


「もっと、こう……雲の上にいて、雷を落としたりするものかと」


「それは、ずいぶんと物騒な神様ですね」


「ですよね」


 思わず返事をしてしまった。


 何だか、普通に会話ができてしまう。


 目の前にいるのが本当に神様なのか、ますます分からなくなってきた。


 けれど。


 次の瞬間、俺は息をのんだ。


 創世神が、悲しそうな顔をしたからだ。


「レオン。あなたにお願いがあります」


 その声には、先ほどまでの穏やかさとは違う響きがあった。


 長い時間、誰にも言えなかったことを、ようやく口にするような声だった。


「お願い……ですか?」


「はい」


 彼女は俺をまっすぐに見つめた。


「どうか、百の世界を救ってください」


「…………は?」


 思わず、間の抜けた声が出た。


 百の世界。


 世界を救う。


 あまりにも現実離れした言葉だった。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 俺は慌てて手を振った。


「百って、百ですか? 一つでも大変そうなのに、百?」


「はい」


「いやいやいや! 俺、昨日の剣術大会で三位ですよ!?」


「知っています」


「四人中です!」


「それも知っています」


「知ってるんですか!?」


「あなたのことは、以前から見守っていましたから」


 創世神は真剣な顔で答えた。


 ……いや、そこは知らなくてよかったんですけど。


 俺は頭を抱えた。


 どう考えても、人選を間違えている。


 王都には、俺なんかより強い騎士がいくらでもいるはずだ。


 魔法の天才だっているだろう。


 伝説の英雄とか、勇者とか、そういう人を選べばいい。


「すみません。俺、人違いじゃないですか?」


「いいえ。あなたで間違いありません」


「何かの手違いとか……」


「ありません」


「もう少し強い人のほうが、よくないですか?」


 創世神は、しばらく黙っていた。


 やがて、静かに首を横に振った。


「強さだけで選ぶのなら、ほかにも候補はいたでしょう」


「だったら……」


「でも、私があなたを選んだ理由は、剣の才能でも魔法の才能でもありません」


 彼女は一歩、俺に近づいた。


「あなたは、負けても立ち上がろうとする人だからです」


「……!」


「悔しくても、誰かを恨むことなく、自分にできることを考える。自分より優れた人を見て、諦めるのではなく、追いつこうと努力する」


 昨日の大会のことだ。


 俺は思わず、目をそらした。


「それに……」


 創世神は続けた。


「あなたは、自分が強くなりたい理由を忘れていません」


「強くなりたい理由……」


「誰かを守りたい。困っている人を助けたい。あなたは、そう願っていますね」


 胸の奥が、少しだけ熱くなった。


 そんなこと、誰にも話していなかったはずなのに。


「あなたが特別なのは、何でもできるからではありません」


 創世神の声が、優しく響いた。


「できないことがあっても、それでも誰かのために何かをしようとする。その心が、あなたにはあるのです」


 俺は、何も言えなかった。


 自分には才能がない。


 そう思っていた。


 だからこそ、努力するしかないのだと。


 でも、目の前の女神は、俺が弱いことを知ったうえで、俺を選んだと言っている。


 それが、どうしようもなく不思議だった。


「……俺に、本当にできるんでしょうか」


 気づけば、そんな言葉が口から出ていた。


「分かりません」


「えっ?」


「あなたが百の世界を救えるかどうか、私にも分かりません」


 創世神は、はっきりと答えた。


「未来は、まだ決まっていないからです」


「……」


「ただ、一つだけ確かなことがあります」


 彼女は俺の手を取った。


「あなたが行かなければ、救えない世界があるのです」


 その言葉に、俺は息をのんだ。


 創世神の手は、驚くほど温かかった。


「今、百の世界は滅びの危機に瀕しています。世界の外側から、すべてを無に還そうとする存在が迫っているのです」


「無に……還す?」


「その存在の名は、終焉神アポカリュプス」


 聞いたことのない名前だった。


 けれど、その名を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。


「一つの世界が滅びれば、そこに生きる人々も、築き上げてきた歴史も、すべて失われます。そして、滅びは次の世界へと広がっていく」


 創世神は、空に浮かぶ星々を見上げた。


 そのうちの一つが、黒く染まっていた。


「私は世界を創ることはできても、神として直接すべての世界を救うことはできません」


「……どうしてですか?」


「世界には、そこに生きる者たち自身の意思があります。神がすべてを決めてしまえば、それは生きることではなく、ただ動かされるだけの存在になってしまうでしょう」


 彼女は、俺を見つめた。


「だからこそ、人の意思で未来を変えてほしいのです」


 百の世界。


 終焉神。


 世界の滅亡。


 どれも、俺には大きすぎる話だった。


 昨日までの俺なら、きっと笑っていたと思う。


 そんなことが本当にあるわけない、と。


 でも、目の前の星が黒く染まっていくのを見て、そんな言葉は出てこなかった。


「……俺がやらなかったら、どうなるんですか?」


「滅びが進みます」


「ほかに、誰かいないんですか?」


「世界ごとに、立ち向かう人々はいます。ですが、百の世界を結び、滅びの根源へたどり着ける可能性を持つ者は、今のところあなたしかいません」


「…………」


 逃げたい。


 正直に言えば、そう思った。


 俺は英雄でも何でもない。


 自分のことでさえ、満足にできないのに。


 どうして百の世界を救えるというのだろう。


 でも。


 俺は、創世神に一つだけ尋ねた。


「……俺が世界を救ったら」


「はい」


「その世界の人たちは、俺がいなくなったあとも、ちゃんと生きていけるんですか?」


 創世神は、少し驚いたようだった。


「ええ。あなたが救った世界は、その世界の人々自身の手で未来を築いていくでしょう」


「俺がいなくなっても?」


「はい」


「……そっか」


 俺は、ゆっくりとうなずいた。


 それなら。


 俺がやることは、全部を一人で背負うことじゃない。


 その世界の人たちが、自分たちの未来をつかめるように、できることをすることだ。


 俺一人で何もかも解決できるなんて、思っていない。


 昨日の剣術大会だって、マルクに勝てなかったのだから。


 それでも。


 困っている人がいるのなら。


 自分にできることがあるのなら。


 何もしないまま、見て見ぬふりをするのは嫌だった。


「……分かりました」


 俺は顔を上げた。


「俺に何ができるかは、まだ分かりません。正直、怖いです」


 創世神は黙って聞いていた。


「それでも、俺なんかでいいなら……やります」


 彼女の目が、わずかに揺れた。


「本当に、よいのですか?」


「はい。ただ、一つお願いがあります」


「何でしょう?」


「俺、まだ全然強くないんです。だから……ちゃんと成長できるように、助けてください」


 言ってから、少し恥ずかしくなった。


 神様にお願いすることが、それでいいのかは分からない。


 けれど、創世神は微笑んだ。


「もちろんです。あなたには、世界を越える力を授けましょう」


 彼女が俺の額に指を触れた。


 温かな光が広がる。


 次の瞬間、右手の甲に、小さな星の紋章が浮かび上がった。


 よく見ると、その星の周囲には、さらに九十九の小さな光が刻まれている。


「これは、絆の星紋。あなたが世界を救うたびに、その力は成長していきます」


「絆の星紋……」


「あなたの旅を支える力です。ただし、力を得るだけで強くなれるわけではありません。剣を振るうことも、魔法を学ぶことも、あなた自身の努力が必要です」


「分かっています」


 俺は右手を握った。


 紋章の光が、指の隙間からこぼれた。


「最後に、一つだけ」


 創世神の表情が、少しだけ曇った。


「あなたの旅は、決して楽なものではありません。救った世界を離れ、出会った人々と別れなければならないこともあるでしょう」


「……はい」


「それでも、あなたは進み続けられますか?」


 俺はすぐには答えられなかった。


 家族の顔が浮かんだ。


 父さん。


 母さん。


 そして、エリシア。


 昨日まで当たり前だった日々。


 明日も続くと思っていた、何気ない時間。


 それを手放すことになるのかもしれない。


 怖くないわけがなかった。


 それでも。


「……ちゃんと、帰ってこられますか?」


 俺は尋ねた。


 創世神は、静かに答えた。


「それは、あなたの旅の先にある答えです」


「……そっか」


 俺は少しだけ笑った。


「じゃあ、帰れるように頑張ります」


 創世神は、今度こそ本当に優しい顔で笑った。


「ええ。どうか、あなた自身を見失わないで」


 その言葉を最後に、周囲の光が強くなった。


 俺の意識が、ゆっくりと遠のいていく。


 そして――。


     ◇


「……レオン!」


 誰かの声がした。


「レオン、起きなさい! 朝よ!」


「ん……?」


 俺は目を開けた。


 見慣れた天井。


 窓から差し込む朝日。


 聞き慣れた母さんの声。


「ほら、今日は誕生日でしょう? いつまでも寝ていないの!」


「……ああ、うん」


 俺はぼんやりと体を起こした。


 夢だったのだろうか。


 白銀の髪の女神。


 百の世界。


 終焉神アポカリュプス。


 あまりにも現実離れした出来事だった。


 けれど。


「……あれ?」


 右手の甲を見た瞬間、俺は固まった。


 そこには、小さな星の紋章が刻まれていた。


「…………え?」


 こすってみる。


 消えない。


 水で洗えば落ちるかと思ったが、そんな様子もない。


「ちょ、ちょっと待て……」


 俺はベッドから飛び降りた。


 そのとき、階下から父さんの声が聞こえた。


「レオン! 早くしないと、朝飯が冷めるぞ!」


「い、今行く!」


 俺は慌てて服を着替え、階段を駆け下りた。


 食卓には、いつもより豪華な朝食が並んでいた。


 焼きたてのパンに、卵料理、野菜のスープ。


 母さんが、笑顔で俺を迎えてくれる。


「十七歳のお誕生日、おめでとう!」


「おめでとう、レオン」


 父さんも、優しく笑っていた。


 その光景を見た瞬間、胸の奥が温かくなった。


 夢のことなど、忘れてしまいそうになるほどに。


「ありがとう、母さん。父さん」


「どうしたの? そんなにじっと見て」


「いや……何でもない」


 俺は笑って席についた。


 この時間が、ずっと続けばいい。


 そう思った。


 朝食を終えたあと、俺は庭へ出た。


 いつものように木剣を握り、素振りを始める。


 一回。


 二回。


 三回。


 昨日と何も変わらない。


 俺の剣は、相変わらずぎこちなかった。


「……やっぱり、夢だったのかな」


 そうつぶやいた、そのときだった。


 右手の紋章が、淡く光った。


「うわっ!?」


 思わず木剣を取り落とす。


 光は一瞬で消えた。


 けれど、確かに見えた。


 その紋章の中央に刻まれた、小さな星。


 俺は空を見上げた。


 青い空。


 穏やかな風。


 いつもと変わらない村の景色。


 それなのに、世界が少しだけ違って見えた。


 百の世界を救う。


 そんな途方もない旅が、本当に始まろうとしている。


 そう思った瞬間。


「レオン!」


 村の入り口から、聞き慣れた声が飛んできた。


 赤い髪の少女――エリシアが、こちらへ駆けてくる。


「お誕生日おめでとう!」


「お、おう。ありがとう」


「何よ、その顔。寝不足?」


「いや……ちょっと変な夢を見てさ」


「夢?」


「ああ。神様が出てきて、百の世界を救えって」


 冗談のつもりだった。


 笑って流してくれると思っていた。


 けれど、エリシアはなぜか真剣な顔になった。


「……レオン」


「ん?」


「それ、冗談よね?」


「え? あ、ああ。もちろん……」


 そう答えかけたとき。


 右手の星紋が、再び光った。


 そして、俺の耳にだけ、あの女神の声が響いた。


 ――レオン。


 ――あなたの旅は、もう始まっています。


 俺は息をのんだ。


 エリシアが、不安そうに俺の顔をのぞき込む。


「どうしたの?」


「……いや」


 俺は右手を握りしめた。


 まだ、何も分からない。


 自分に何ができるのかも。


 これから何が起きるのかも。


 けれど、一つだけ確かなことがあった。


 昨日までの当たり前の日々は、少しずつ変わり始めている。


 そして、俺はまだ知らなかった。


 この小さな星の紋章が、やがて百の世界をつなぐことを。


 この村で過ごす最後の朝が、すぐそこまで迫っていることを。


 そして。


 いつか、俺が救った世界のすべてが、俺を救いに来てくれることを。


 このときの俺は、まだ何も知らなかった。

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