第1話 剣術大会、四人中三位
剣術大会の決勝戦は、開始からわずか三十秒で終わった。
「勝者、マルク!」
審判の声が、村の広場に響き渡る。
歓声が上がり、観客席から惜しみない拍手が送られた。
勝者のマルクは木剣を掲げ、得意げに笑っている。
その向かいで、俺――レオン・アシュフォードは、地面に尻もちをついていた。
「……いてて」
「おい、レオン! 大丈夫か?」
「ああ。なんとか」
差し出された手を借りて立ち上がる。
俺の手からは、いつの間にか木剣が消えていた。
少し離れた場所に転がっている。
どうやら、最後の一撃で派手に吹き飛ばされたらしい。
「悪いな。ちょっと力が入りすぎた」
マルクが申し訳なさそうに頭をかいた。
「いや、いいんだ。俺が弱かっただけだから」
俺は笑って答えた。
悔しくないと言えば嘘になる。
今日のために、毎日欠かさず剣を振ってきたのだ。
朝は日の出とともに起き、村の裏山を走る。
昼は父さんから教わった剣術の型を繰り返し、夜は木剣を握ったまま眠りそうになるまで素振りを続ける。
それでも、マルクには勝てなかった。
いや。
マルクだけではない。
俺は今日、四人で行われた剣術大会で三位になった。
参加者は四人。
つまり、上から三番目。
胸を張って自慢できる成績ではない。
「レオン、惜しかったな!」
「次は頑張れよ!」
観客席から声が飛んでくる。
「ありがとう!」
俺は笑顔で手を振った。
応援してくれた人たちに、がっかりした顔を見せたくなかった。
それに、負けたものは仕方がない。
反省して、次に生かせばいい。
……そう自分に言い聞かせていると、背後から聞き慣れた声がした。
「何を格好つけてるのよ」
振り返る。
そこには、赤い髪を揺らした少女が立っていた。
幼なじみのエリシア・ヴァレンティアだ。
「別に格好なんてつけてないだろ」
「つけてるわよ。悔しいなら悔しいって言えばいいじゃない」
「悔しくないとは言ってない」
「じゃあ、悔しいんでしょう?」
「……そりゃあ、まあ」
エリシアは呆れたようにため息をついた。
「だったら、もっと強くなりなさいよ」
「簡単に言うなあ」
「簡単じゃないから言ってるの。あなた、毎日練習してるくせに、いつも同じところでつまずくんだから」
「うっ……」
痛いところを突かれた。
エリシアは昔から、こういうところがある。
俺が隠しておきたい弱点を、遠慮なく指摘してくるのだ。
もっとも、彼女の言うことが間違っていた試しはほとんどない。
「でも、まあ」
エリシアは俺の手を見た。
「前よりは、ずっとよくなってるわよ」
「……本当か?」
「嘘をついてどうするのよ」
そう言って、彼女は少しだけ笑った。
その笑顔を見て、胸の奥にあった悔しさが少しだけ軽くなった。
「ありがとう、エリシア」
「お礼を言う暇があったら練習しなさい。次は私が相手してあげるから」
「お前、俺より強いじゃないか」
「だから練習になるんでしょう?」
返す言葉がなかった。
エリシアは幼い頃から剣術を学んでいる。
同じ年齢なのに、実力は村の大人たちにも認められていた。
将来は王都の騎士団に入るのだと、彼女はいつも口にしている。
その夢を語るときの彼女は、誰よりもまぶしく見えた。
俺にも夢がないわけではない。
強くなりたい。
困っている人がいたら、助けられる人間になりたい。
いつか、父さんのような立派な剣士になりたい。
ただ、エリシアのように、その夢へ向かって真っすぐ進めているかと聞かれれば、自信はなかった。
俺には、特別な才能がない。
魔法の適性は最低限。
剣術も平凡。
父さんには「お前は努力家だな」と言われるが、それは裏を返せば、努力しなければ人並みにすら届かないということだ。
それでも。
諦めるつもりはなかった。
才能がないなら、努力すればいい。
時間がかかるなら、時間をかければいい。
いつか誰かを守れるくらい強くなれたら、それでいい。
俺は、そう思っていた。
このときまでは。
◇
大会が終わると、広場はいつもの賑わいを取り戻した。
今日は村の収穫祭でもある。
広場には屋台が並び、焼きたてのパンや肉料理の香ばしい匂いが漂っていた。
「レオン、ほら!」
エリシアが焼き菓子を差し出してくる。
「何だ、これ?」
「お祝い」
「三位のお祝い?」
「そう。四人中三位、おめでとう」
「お前、絶対に馬鹿にしてるだろ!」
「ふふっ。半分くらいはね」
エリシアは楽しそうに笑った。
俺はため息をつきながら焼き菓子を受け取った。
甘い匂いがする。
一口かじると、蜂蜜の味が口いっぱいに広がった。
「うまいな、これ」
「でしょう? 朝から並んで買ったんだから」
「えっ、わざわざ?」
「別に。ついでよ、ついで」
エリシアはそっぽを向いた。
耳が少し赤くなっている。
俺はそれを見なかったことにした。
こういうとき、余計なことを言うと怒られるのだ。
「そういえば、明日で十七歳ね」
「ん? ああ、そうだったな」
「自分の誕生日くらい覚えておきなさいよ」
「覚えてるって。ただ、あんまり実感がなくてさ」
「十七歳になったら、村の外へ出て働く人もいるんだからね」
「そうだな」
村の外。
その言葉に、俺は少しだけ遠くを見た。
俺たちが暮らすアシュフォード村は、王国の辺境にある小さな村だ。
周囲には森と山が広がり、少し歩けば魔物が出ることもある。
王都までは馬車で十日以上。
村の外の世界について、俺が知っていることは多くない。
父さんから聞いた話や、旅人が置いていった本で読んだ話くらいだ。
それでも、いつか外の世界を見てみたいと思っていた。
見たことのない景色。
知らない土地で暮らす人々。
自分の知らない魔法や剣術。
想像するだけで胸が躍った。
「……旅に出てみたいな」
気づけば、口に出していた。
エリシアが目を丸くする。
「旅?」
「ああ。いつか村を出て、いろんな場所を見て回りたいんだ」
「へえ。初めて聞いた」
「言ったことなかったからな」
「じゃあ、騎士になるのは?」
「それも諦めてないよ。ただ、世界を見て回ったら、もっと自分にできることが見つかるかもしれないだろ?」
エリシアは少し考え込んだ。
やがて、いつもの真剣な顔で言った。
「だったら、もっと強くならないとね」
「……結局、それか」
「当たり前でしょう。外の世界には、私たちが想像もできないくらい強い人がいるんだから」
「分かってるよ」
「なら、明日の朝から特訓ね」
「誕生日なんだけど!?」
「誕生日だからこそよ」
俺は頭を抱えた。
けれど、笑っていた。
こんな毎日が、これからもずっと続いていくのだと思っていた。
明日も父さんと朝食を食べて。
エリシアに文句を言いながら剣の練習をして。
夜になれば、母さんの作る料理を囲んで一日を終える。
そんな、当たり前の日々が。
◇
夕方。
家に帰ると、父さんが庭で剣を振っていた。
「おかえり、レオン」
「ただいま、父さん」
「大会はどうだった?」
「……三位」
父さんの剣が止まった。
「そうか」
「四人中だけど」
「そうか」
「……笑わないの?」
「何を笑う必要がある?」
父さんは木剣を壁に立てかけると、俺の頭に手を置いた。
「お前は最後まで戦ったんだろう?」
「……うん」
「なら、それでいい。負けた理由は、明日から考えればいいさ」
父さんはいつもそうだった。
結果だけを見て、俺を責めることはない。
だからこそ、期待に応えられない自分が嫌になることもあった。
「父さん」
「何だ?」
「俺、もっと強くなれるかな」
父さんはすぐには答えなかった。
夕日を背に、俺の顔をじっと見つめる。
「なれるかどうかは、誰にも分からん」
「……そっか」
「だがな、レオン」
父さんは俺の肩を軽く叩いた。
「強くなりたいと思い続けることは、お前にもできる」
「……」
「それをやめなければ、少なくとも今日のお前よりは強くなれる」
俺は、ゆっくりとうなずいた。
「うん。頑張るよ」
「その意気だ」
父さんは笑った。
「明日は十七歳の誕生日だ。母さんも張り切っているぞ。今日は早く寝ろ」
「分かった!」
家の中から、母さんの声が聞こえてくる。
「二人とも! 夕飯ができたわよ!」
「ほら、行くぞ」
「うん!」
俺は父さんの後を追って家に入った。
温かな食卓。
いつもの家族の笑顔。
何も特別なことはない。
だけど、俺にとっては、それが何より大切なものだった。
明日も、こんな一日がやってくる。
そう信じて疑わなかった。
◇
その夜。
レオンが眠りについたあと、世界の遥か彼方で、一つの星が消えた。
誰も気づかなかった。
夜空を見上げる者もいなかった。
ただ、星々の狭間に浮かぶ白い神殿で、一人の女神が目を開いた。
「……始まったのですね」
女神の前には、百の星が描かれた巨大な円盤が浮かんでいた。
そのうちの一つが、黒く染まっている。
女神は静かに目を閉じた。
「残された時間は、もう長くありません」
彼女は円盤に手を伸ばした。
百の星のうち、九十九の星が淡く輝いている。
そして最後の一つ。
そこには、まだ小さな光が灯っていた。
「どうか……間に合って」
女神は祈るように呟いた。
「あなたに、すべてを託します」
その言葉は、誰にも届かなかった。
けれど。
翌朝、十七歳の誕生日を迎えた少年の夢の中に。
白銀の髪を持つ女神が、初めて姿を現すことになる。
そして、その瞬間から。
レオン・アシュフォードの人生は、二度と元には戻らなくなるのだった。




